2005/11/07(月)07:31
自然の動きと呼応するからだの動きが
「人間は自然の一部であり、自分は自然の分身である」(野口三千三)
ことを、わたしたちは忘れがちです。
忘れるどころか人間は自然を支配する者、自然を征服した者、と勘違いしている人さえいます。
殊に、身体を鍛えようと攻撃的に体操をする人の傲慢さにはハラハラさせられます。
日曜は二人の講師が交代で担当しています。
今日の伝え手は,モノからいろいろなコトを学び、それをからだの動きで確かめようとしています。
これは野口三千三が確立した「モノに貞く」授業です。
モノは、道具はもちろんのこと、オモチャに至るまで
体の中からある構造と機能を取り出して
拡大したり、あるいは縮小して作られたものが殆どだからです。
それは元を正せば、「人間は自然の一部」だからです。
とすれば、モノは自然の構造と機能を持っているのです。
今日は、“崩れ”がテーマでした。
砂から様々なことを学びました。
砂袋や砂時計が用意され、砂の崩れて行く様を眼で、手で感覚しました。
崩れることはバランスを崩すことです。
バランスを崩せば、差異ができます。
そこに崩れた「からだの重さ」があれば・・・。
「バランスを崩さなければ動きはうまれない」(野口三千三)
今度はからだの動きで崩れて行く感覚をつかみます。
分かりました。
腰の中が崩れてくれなければ、胴体と脚を繋ぐ股関節の通りが悪いこと、
胸の中が崩れてくれなければ、胴体と腕を繋ぐ肩関節の通りが悪いことが。
自然の動きと呼応するからだの動きが、一番楽で、一番気持ちがいいことを
“砂の崩れ”をからだの動きを通して実感したのでした。