2011/06/14(火)20:35
なんという繊細さ、なんという丁寧さ
今や洗濯機の無い家庭はない。
家庭を持っていなくて洗濯機が無くても、コインランドリーの洗濯機で洗濯する。
あ、でも、こんなひともいました。
「シルクの下着にすべて取り替えました。
買ったときの感触がなんとも言えないやわらかさなので、どうしても手洗いをします。」
気持ちよさそうなそのひとのシルクの下着をさわらしてもらいながら、
その下着のおかげで冷え性が苦にならなくなった話を聴きました。
これを洗濯機で引っ掻き回すことはできません。
野口先生はずーっと手洗いでした。
晩年洗濯機を用意してくれる人がいました。
先生亡きあと家の整理をしたとき、その洗濯機がたぶん一度も使われていなかった…、
と確認しました。
洗濯機があっても、やっぱり先生は手洗いをされていたのだと。
先生の毎日の洗濯をことばに変えた文章があります。
「まず、『ゆるめ・ほぐし、つけ・ひたし』が前提となり、ふれ、なで・さすり、おし・こすり、もみ、ゆり・ふり、うち・たたき、ひねり・しぼり、ひろげ・のばし、たたみ、かわかし・ほし……』などである」(野口三千三)
なんという繊細さ、なんという丁寧さであろうか…。
だから、
「そのような働きかけを受けた物は、その『ちから』が伝わり流れて『うねり・なみ』の動きとなる」(野口三千三)
この中には
「野口マッサージ」の六つの手技もふくまれています。
「野口体操」も同じです。
からだの動きもまたこの繊細さ・丁寧さでやられなければやったことにはなりません。
からだの動きにおける繊細さ・丁寧さそれ自体が野口体操なのです。