カテゴリ:カテゴリ未分類
2016年9月20日の教室は『「本当」ということ』という内容で進められました。 「本当」というのは、「あ」→「あれ」→「そう」→「うーむ」というように「あ」で開き、受け入れようとし、「あれ」で疑問をもち、「そう」で理論的に理解し、「うーむ」でからだに納得させる、落としのみこむ、そこまでで「本当」「当然」になる。ということでした。 色々な動きを音を出しながらやってみます。 立って一歩一歩、歩く。半身にのりきった状態でもう片方の半身を「あ〜」と声を出しながら足の裏から頭の先まで空けて、「し」で大地を踏む。「あ」の音によってうまくからだを空けることができる時とそうでない時があります。うまく空いた時は自然と「し」で踏んだ時、足の裏から重さが大地に流れたと同時にまたからだの中に入ってきます。 私は日常の生活の中でも自分の声やことばにもどかしさがあります。話しをしていてもことばが浮いているような、自分の声でないような感じがするのです。 しかし今回、自分のからだから出た「あ」の音によってからだが空いたり空かなかったりすることを感じることができました。 音を、ことばを出しながらからだを動かすことは、私にとってごまかしのきかないことです。 からだを空けることのできる「あ」はどんな「あ」だろう、何回も声に出してみます。空いたら次に進みます。自分の発した音で、今の私のからだがどう変わっていくかを感じることができれば、手がかりを見つけられるかもしれません。 「あ」は始まりの音です。はたしてこのことが自分にとって「うーむ」となるのか、時間がかかっても探していきたいです。 澤浦 いづみ
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 10, 2017 09:47:52 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|