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エッセイ集 【山のある風景】

2015年06月20日
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エッセイ 【スバル】


  見上げれば満天の星/故郷の夜空のごとし/蛍飛びなば

 幼い頃から空を見上げるのが好きだった。
村の高台にある生家の庭から大村湾が見渡せ、それを包み込むように県境尾根が稜線を引き、天と地を分けていた。
夜が更けてくるに従い、波一つ無い海面にも映しだされているのではと見間違うほどに空には星が満ちていた。

 単身上京して、一年は慌ただしく過ぎた。
東京の生活にもようやく慣れ、周囲を振り返る余裕が出てきたら、山が見えないのに気付いた。
職場は海に近かったが、ヘドロで臭かった。

 そんな時、大学でワンゲルの夏期実習があった。
上京して初めて山に登った。山頂からは見渡す限りの展望が得られた。爽快だった。
 
このことがきっかけで日曜毎に仲間を募って郊外の山に出かけた。
すぐに一人きりでも登れる自信がついてきた。
北アルプスを目指すようになるのに一年かからなかった。

 上高地から横尾まで梓川沿いの平坦な道をゆっくり歩いた。
そこからはジグザグを繰り返しながら徐々に高度をあげていく。
途中水場を過ぎる頃から坂の傾斜がきつくなり、喘ぎ喘ぎ更に登ると涸沢についた。
 そこは氷河期のカ-ルの形跡が残っている所で、付近一帯には色とりどりのテントが張られていた。
夜、なにげなしにテントをはい出し、いよいよ明日は穂高に登るのかと、ふいと山頂を抜けて空を見上げたら、故郷で見たのと同じ位の星が瞬いていた。

 懐かしい記憶が同時に蘇ってきた。父を早くに亡くし、母と一緒に見上げた星空。

 《一番大きく輝いているのが父さん、横に少し離れているのが姉さん、
その上に二つ並んでいるのが母さんの父さんと母さん》
 と、いつも言っていた母。

 あの時から二〇数年が過ぎ、その母も逝き、親しかった友も逝ってしまった。
私も何時の間にか母が側にいた年齢になった。今でも時々空を見上げる。
そして、今だからこそおもう。青春真っただ中にいる息子、娘に、かってそういう母と子がいたことを伝えたいと。

  星満ちて/ひとつひとつ指差せば/亡し父母友の追憶見ゆ

             1998.10.24/2002.1.28のいちご通信2号発表



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最終更新日  2015年06月21日 05時10分44秒
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2015年06月19日




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絶唱(2)


 友が逝って四年になる今夏、クワウンナイ川を訪れた。
 クワウンナイ川はトムラウシ山に源流を有し、天人峡で忠別川と合流後、更に旭川で石狩川と合流し、大河となって海に注ぐ。クワウンナイ川を遡行して、夏でも雪渓が残る源流一帯を抜け、大雪山から延々と連なる稜線に登り詰めると広大なお花畑になる。
 
 天人峡温泉でバスを降り、来た道を少し戻るとクワウンナイ川の入口だった。そこには登山禁止の標識が立てられていた。友が遭難してからだと地元の人が教えてくれた。
 友が流されたクワウンナイ川に手を差し入れた。冷たい水だった。大きいザックを背負い、この川を遡行する友の姿が浮かんできた。振り向いた友は、満面の笑顔だった。瞳は子供のようにキラキラと輝いていた。

 《あなたの瞳には、この大雪山山系のたおやかな峰々と、海外青年協力隊に勤務するご子息の赴任地、ケニアに聳えるキリマンジェロが、いつも映っていたのですね。》
 そうつぶやくのがやっとだった。

 《文集を出そう、友の生きていた証しの文集を。さわやかに、そして、ひたむきに生きた友を深く心に刻み込むためにも。》
            1998.09.19


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最終更新日  2015年06月19日 15時51分45秒
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2015年06月18日

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絶唱
    (1)
 
 九四年の夏を私は忘れることができない。
 日本第二位の高峰、北岳を登り終えて帰宅した私を待っていたのは悲しい知らせだった。あまりに突然のことで、遭難の知らせの電話を握ったまま、しばらく立ちつくしていた。帰宅の翌日、告別式に参列した。遺体は現地で荼毘に付され、お骨となって白布に包まれていた。残された者には辛い別れが待っている。愛する者との別れほどせつなく、辛いものはない。告別式の朝、ご主人が涙を堪えながら挨拶した。
「妻は山が好きでした。その山で命を落としたのですから、本望でしよう。妻は幸せな一生でした。」
 山に魅せられ、山を愛し、こころに花を咲かせて、いつも笑顔の絶えぬ人だった。
 トムラウシ山は北海道の尾根、大雪山系の最奥にある。山頂には巨大な岩が累々と重なり、そこに至る稜線には瞳のような湖沼が点在している。
 その山に友と登ったのは九〇年八月の事であった。雄大な山の広がり、山麓を埋め尽くす高山植物の群生は、友の山への想いを募らせるのに充分だった。
 その後、友は、海外の山々をはじめ、国内の山々にも次々と足跡を印してきた。近年は、ご子息が海外青年協力隊員として活躍されているケニヤに聳えるアフリカ最高峰キリマンジェロに登頂することが夢なんですと、明るく語っていた。
 夢を実現する前に、もう一度、山への想いを募らせてくれた山、トムラウシ山への再登を思い立ったのだろうか。雪渓のまだ残る七月、トムラウシ山に続くクワウンナイ川を遡行、横断中転倒し、雪解け水に二〇〇メートルも流され、帰らぬ人となった。
 悲しみのなか、友が青春時代によく登ったと言っていた北アルプスに入ったのは告別式から一〇日目のことである。

 信濃大町から高瀬ダムを抜け、鳥帽子岳、野口五郎岳、水晶岳、鷲羽岳を越え、槍ケ岳の山頂に立った。強い風が谷から吹きつけ、岩肌は冷たかった。友が幾度となく立った山頂からは、友が幾度となく踏んだ山々が俯瞰できた。その山々のいたるところ、砂礫地にも、崖っぷちまでも、僅かばかりの土に根を張り、小さい葉や茎に水滴をつけ、雪にも、風にも、嵐にも耐えて、花が咲いている。友が愛した花が今日も咲いている。
 君の分まで生きるよ、そう、つぶやいたら、とめどもなく涙が溢れてきた。
          94・12・19



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最終更新日  2015年06月18日 10時10分49秒
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2007年09月23日
  吹雪の青春

            作詞・補作詞・作曲
                母衣崎健吾
      


吹雪の吹く夜は
囲炉裏を囲み
酒を飲み交わし
青春を語ろう
吹雪の止んだ日は
こころ弾ませ
新雪踏んで
あの峰目指そう
喜び悲しみ
いろいろあったけど
僕たちは仲間さ
スキーを愛する
こころ結びあう
吹雪の仲間


一人でいるときは
君への想い
日記に綴って
幸せ祈る
二人でいるときは
アルバムめくり
幼い頃の
父母語る
喜び悲しみ
巡りくる青春
いつまでも
歩けるさ
明日を信じて
すこしの勇気と
希望があれば


 この歌は、当時友達の多くが入っていたスキーサークルの夏合宿に参加して、とてもいい雰囲気でしたので、即興で作ったものです。
その後、私の愛唱歌の一つになっていましたが、登山サークルの第二次北海道遠征の際、北海道最奥の温泉・トムラウシ温泉から帯広までの車中で、お酒の勢いを借りて初めて一般公開しました。
 そのとき温泉から一緒に乗っていた東京の大学ワンゲル部の人達と意気投合して大合唱した思い出深い歌です。








最終更新日  2007年09月23日 14時09分03秒
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2007年05月13日
『日本百名山』
         
                     母衣崎 健吾

『礼文島から眺めた夕方の利尻岳の美しく烈しい姿を、私は忘れることができない。』
 この書き出しで始まる『日本百名山』(著者 深田久弥)という本に出会ったのは、山に出かけるのに便利な阿佐ヶ谷に住んでいた頃だからもう二〇年も前のことになる。それまでは山の本と言えば案内書ばかり買っていたので、この本に出会ったときは驚いた。
 紀行文のようで単なる紀行文でない。かといって小説でもなく、随筆とも趣が違う。ましてや無味乾燥な記録文や報告文でもない。何と言っても文章に品がある。なによりも奇をてらっていない。一作品の長さはほとんどが見開きの二ページに収まっている。長いものでも三ページしかない。それでいて、読み終わると爽快で、豊かな気持ちにさせてくれる。
 
 この本に出会ってますます山が好きになった私は、休日がくるのがまちどうしくて仕方がなかった。山の仲間は、結婚や子供の誕生を境に山を離れていったけれど、私はむしろ山に登る機会が増えた。新婚時代は妻と一緒に登り、子供が誕生してからは子供と登った。息子が小学六年生の時、東北の山々を一〇日かけて巡ったことがある。卒業記念を兼ねてのこの息子と二人だけの山行の思い出は私にとって宝物になっている。息子にも印象が深かったようで、卒業文集にこの山行のことを書いていた。山に登り続けていなければこの様な企画さえも思いあわさなかっただろう。
 気が付いてみると、今夏までで『日本百名山』のすべての山に登ったことになった。数えてみたら全部で三〇〇を超える山に登っていた。何事にも中途半端であった私は、何かをこれ程の長い期間にわたり続け、最後までやり遂げたということは無かった。
 『日本百名山』と出会い、その感動を胸に抱いて登った日本の山々。その追憶は田舎の祭りに母と連れ立って出かけるときに感じた、なんともいえぬ気持ちを思い出させてくれるときでもある。
           
               のいちごつうしん NO,205  






最終更新日  2007年05月26日 21時42分56秒
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