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カテゴリ:言葉って??(英語とか日本語とか)
近頃しみじみ実感するのです。言葉には二つの機能があるなぁと。考える手段としての言語と意思伝達の手段としての言語と。
というのはですね、私、一人暮らしが長いんで、前から独り言を言う癖があるにはあったんですけど、最近、その傾向がとみに顕著なことに気づきまして(って、ちょっとそれは人間としてどうなんだ)。だって、日本語で独り言言ったところで、周りの人に分からないから、相当変なこと言ってても全然平気なんですもん。 こういう独り言の場合の言葉なんて、単に、思考の端々が音声としてこぼれちゃっただけだから、もうまーったく全然意思伝達の手段としてなんか使われていない、というか、意思伝達の機能を果たしてもらっちゃ困るわけです。だって、私の癖になってる独り言って、「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」とか「もっとがんばりましょー」とかだから、もし、周囲の人が、私の言ってることを理解しちゃったら、むちゃむちゃ恥ずかしい(と言いながら、ここで書いてしまう自分の精神構造には疑いを覚えないわけではない)。いや、でも、言い訳をすればですね、私はあまり間がいい方じゃないんで、めちゃめちゃ急いでるときに限って、ペン立ての中身とか、インスタントコーヒーの中身とかを床に派手にぶちまけちゃったりするわけで、もうこんな目に遭ったら、つい、「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」と呟きたくなりませんか? もう、自分が悪いのは明らかだから、誰にも当たれないんだけど、でも、慰めは欲しいぞ、仕方がないから、自分で自分を慰めるしかないじゃんかっていう感じと言いましょうか。しかも、更に言い訳をさせてもらえば、これ、私のオリジナルじゃなくて、妹の口癖が伝染ったんだもんね(って、全然言い訳になってません)。 それにしても、口癖くらい、「濡れ手で粟」とか「一攫千金」とかの景気のいい言葉だったらいいものを、なんか私の口癖はいまいち辛気くさくていかんですね。 と、つらつら考えているうちに、たとえ、それが母国語でなくても、片言の言葉しかしゃべらない人があまり賢そうに思えないのは、言葉が考える手段であるということを、皆分かってるからなんだなぁと気づいたりなんかして。たどたどしくしゃべっている人は、思考回路もたどたどしい、と無意識に思っちゃうんですよね。 でもさ、ホントはさ、母国語じゃない言葉をしゃべってるときって、思考は母国語でしてるから、必ずしも、しゃべってるとおりの幼稚な言葉で考えるわけじゃないんだぞっと(ここでそんな自己主張をしてどうするんだ)。でも、外国語に堪能な人は、思考もその言語で考えてるから、こんなこと言ってもしょうがないですけど。しかも、考えてる中身が所詮「じんせい、ちゅらいでしゅぅ」や「もっとがんばりましょー」なんだもん、幼稚じゃないもんっと主張したところで、全然説得力がありまてん。 ということで、やっぱり、「もっとがんばりましょー」はんこっ、と自らつぶやく今日このごろ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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