テーマ:癌(3513)
カテゴリ:癌全般
内藤康弘医師(1940年生まれ、元・産婦人科医、現・住友記念病院理事長)。 内藤医師自身、余命三ヶ月。大腸癌末期で外科手術を受け、大腸を20cm切除した。 その後、放射線治療を20日間受けた。 「照射の回数が増えるにつれて、予想通りの副作用に見舞われた。吐き気や下痢が 頻繁に現れた。次第に食欲が減退し、体重も日毎にダウンしていった。 全身がだるく、ものすごい倦怠感に襲われた。そのままの状態が続けば、 待合室で顔を合わせる癌患者と同様に、やせこけた惨めな姿になってしまう」 地獄の日々に耐えた。次に担当医師は抗ガン剤治療を勧めた。 「いやだ!」 内藤医師は抗ガン剤も放射線も拒絶する道を選んだのだ。 「---これまで医師として多くの患者に抗ガン剤を投与してきたが、 劇的に効いたという症例があまりない。医師なら抗ガン剤がさほど 効果のないことぐらい知っている。 『患者には使うが自分には投与されたくない』とみんなそう思っている。 むしろ、抗ガン剤を打つことで、髪の毛が抜けたり、ガリガリにやせたりと、 火に油を注ぐような悲惨な姿になっていく」 内藤医師は病院を脱出し、二度と戻らなかった。 そして、三つのことを大切にした。 1.多めの野菜の食事をとる←これが食育の基本です。 2.早寝早起き 3.恐怖・不安に克つ(精神安定剤などで) 現在内藤医師は住友記念病院理事長として病院を運営している。 この病院は乞われて経営に携わることになった。 「あそこの病院の理事長は末期癌患者だった」ということが うわさになり、まもなくして末期癌患者を受け入れるようになった。 紆余曲折があった。あまりにも過酷な労働で、看護師が 辞めていっては補充をすることの繰り返し。 末期癌患者を受け入れることになって4年目の1996年。 病院には「患者の精神力」と「心のケア」を重視した内藤医師の 治療方針に共鳴し、理解した看護師たちだけが残った、という。 「どの患者も入院直後は深刻な顔をしてイライラしていた。ところが、 そうした気難しい患者も、内藤が相談相手になって会話を重ねるうちに 笑顔を取り戻していった」という。 住友記念病院では、抗ガン剤治療、放射線治療はいっさい行わない、という。 当然のことながら、抗ガン剤、放射線治療を行った方が収益は はるかに上がる。しかし内藤医師自身がそれらを拒否したのだから、 それらの治療を行うことは絶対にできなかった。 「末期癌患者を受け入れるに当たって、内藤は、抗ガン剤や放射線治療に 代わる癌の治療法を一生懸命探し求めた。医学文書を読みあさり、 手応えのありそうな治療法をリストアップして、独自の点検を始めた。 その結果、ゲルソン療法やメガビタミン療法、ワクチン療法、 フードサプリメント療法(MS-7療法)、漢方療法、心理療法、 バイオミュージック療法、新陳代謝療法などに興味を抱いた。 これらの治療法を患者の症状と希望に合わせて取り入れていくことにした。 内藤の治療方針はほぼ固まった」 最後に内藤医師と患者の対話を掲載します。 患者:がんと診断されてから感情が変わりました。毎日、食事のできることの 幸せ、今までなんとなく見ていた花や風景のすばらしさに気付くように なりました。 内藤:その感情を得たことは財産ですよ。ボーッとして10年を生きるよりも、 3年か4年と短いかもしれないが、一日一日を感謝の気持ちで、 生き甲斐を実感して生きる方がすばらしいと思います。 その感情は、癌がくれた贈り物ですよ。癌になってよかったという気持ち、 その気持ちが大切です。その気持ちさえしっかり持てれば 立ち上がれます。いろんなことができますよ。 【参考文献】 【内藤医師の著書】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年03月16日 16時48分02秒
コメント(0) | コメントを書く
[癌全般] カテゴリの最新記事
|
|