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乳癌は早期発見も早期治療もいらない

乳癌は早期発見も早期治療もいらない

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2015年02月22日
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カテゴリ:癌全般
ということで、乳がんにかかってしまった小林アナウンサーの
手記を紹介しますね。

ここ二ヶ月間
療養ということで
仕事をお休みしていましたが
その理由は
『乳ガン』になってしまったから
です。

心配してくださった皆様
今まで言えずに
申し訳ありませんでした。

病気発覚以来
このことを
公表しないでいようと
ずっと思っていました。
全く売れてはいないものの
仮にも
芸人として
どうなんだろう?
言ったら皆が
ひいてしまうのではないか
気を遣われるだけではないのか
ただでさえ笑をなかなかとれないのに
お笑いなんて無理だ
そして
私自身も気持ちが萎えてしまうのではないか
色んな思いが巡り
本当にごく一部の方々にしか
言えずにいました。
ただ
今はもう手術もして
気持ちも落ち着いて
何より
とても前向きになれて
むしろ前よりも元気な自分がいます。
そう思えた時、
ありのままを伝えたい、
知ってもらいたい、
それから
もし同じようなことで
悩んでいる方がいて
私の話が必要とされるのであれば
話したいし
話を聞くこともできる
という思いから
皆さんに
お伝えすることにしました。

ただ
あまりにも
多くのことがあり過ぎて
全てをうまく伝えられないかもしれませんし、
途中で嫌気がさして
読む気も失せる方もいるかもしれません
ごめんなさい。
けれど、
最後まで読んでいただけると
嬉しいです。

最初に健診を受けたのは
2/8でした。
区の子宮頸がん無料健診の
お知らせがきて
よし、無料だったら受けよう!
と思った時に
そうだ、そろそろ乳ガン健診も、、
という
本当に軽い気持ちで
病院に行ったのです。

でも一つ言えるのは
実は
私の母も
若い時に乳ガンを経験しており
おそらく
周りの同世代の友人たちよりは
少しだけ
乳ガン健診に対する意識は
強かったかもしれません。

マンモグラフィと触診。
あっという間に終わりました。

二週間後
結果がきました。

『両側 不明瞭 集簇性分布の石灰化あり
精密検査を受けてください』

え?まさか、、、
だってシコリなかったし
触診でも問題なかったのに。
でもこの時点ではわからないし
ネットなどで見てみると
石灰化も良性のことが多いって
書いてある、
大丈夫、大丈夫。
そう思いながらも
不安な気持ちを抑えられず
すぐに病院に勤める叔母に
連絡しました。
乳腺外科でいい病院はないか。
すぐに連絡をくれました。
翌日
すぐに病院の予約を取りました。

それからまた二週間後。
病院に行って
最初の診断。
エコーでは何も見えない
けれど
マンモグラフィの石灰化が気になる。
お母さんも若い時に経験してるし
念のため
マンモトームという
検査をしましょう
ということでした。
『マンモトーム』とは
皮膚を少し切って
石灰化の部分の細胞を取り
それがガンかどうか調べる検査です。

その一週間後
マンモトーム検査をし

最終的な結果が出たのは
4/4。
私は
何となく嫌な予感はしていました。
昔から
良いことも悪いことも
こうなる!という勘が働く方だと
思っていて、
その時も
そんな気がしたのです。

診察室に入るなり
先生から
『結果ですが、、、ガンでした』
と申告されました。
心の準備は出来ていたと
思っていたものの
黙って先生の話を聞くのが
精一杯でした。
諸々説明があった後
『今はどう治療しようと考えてる?』
と聞かれ
口を開いた瞬間
涙がダーーっと流れてきて
何も話せなくなりました。
病名は
『右乳房 非浸潤性乳管ガン』。
ガンには
浸潤性のものと非浸潤性のものがあり
簡単に言うと
非浸潤性は転移しないガン。
いろいろな説はありますが
放っておくと浸潤性になることもあり
そうなれば
命に関わる危険性も出てくるし
治療も長引く。
今のうちに
手術すれば
まず転移の心配はなく
抗ガン剤も必要ない、
再発のリスクも少ない、
ということでした。
ただ
早期発見なのに
全摘出しなければならない。
温存しても
ホルモン治療をしていかなければならない。

その選択肢を迫られた時
私は正直納得がいかず
気持ちも動揺していたので
すぐには
何も決められませんでした。

しばらく
考える時間をもらいました。

その帰り道
お母さんに電話しました。
泣かないつもりだったのに
『私、ガンだった』
と言った瞬間
また涙が溢れてきました。
ガン。
たった二文字のこの言葉
なんて破壊力なのだと
思ったりしました。
でも
お母さんは
落ち着いていました。
『とにかく今日の仕事頑張りなさい』
昔から
お腹痛くても風邪でも
ひっぱたかれて学校行ったことを
思い出しました。

それがあったから
その日は
乗り切れたのかもしれません。

それからは
仕事をしながら
セカンドオピニオンを受けるための
病院探しが始まりました。
この時期が
正直1番辛かったかもしれません。
毎日ネットとにらめっこ。
ここに行った方がいいのか
他のところがいいのか
どんな治療法があるのか
温存は無理なのか
この日は仕事が、、、
などなど
毎日毎日悩んで悩んで迷って。
いっそ
放っておこうかという
極論にまで至った日もありました。
1人で毎晩マクラを濡らしました。
だけど
私より泣いていたのは
お母さんだったと思います。

告知されてから
初めて実家に帰って会った瞬間
何も言わず
私を抱きしめて
お母さんは
泣きました。

後ほど話しますが
患者会という
乳ガン患者さんたちが集まる会で
お母さんは
私の話をしながら泣きました。

それから
手術当日
『頑張ろうね』
と言って
お母さんは泣いて
20年ぶりぐらいに
手をつないで
病院に向かいました。

お母さんが泣く度に
『お母さん泣いたら私泣けないじゃん』
と思っていましたが
いま考えると
私の代わりに泣いていてくれたんだ
と思うのと
お母さんはよく
『自分が病気になるより子どもがなる方が悲しい』
と言います。
そうだ
私も
いまの自分の状況より
お母さんの闘病生活を
思い出す方が辛い。
ちなみに
お母さんはもう
手術をしてから
約20年経ち
元気いっぱいです。

母の話になってしまいましたが
悩んだ結果
一つの病院に決め
そして
『皮下乳腺全摘出 + 同時再建』
という方法を選びました。
皮下乳腺全摘出とは
乳首と皮膚を残して
中身の乳腺を取り出す手術。
そして
シリコンにその場で入れ替えるのが
同時再建です。

私の場合
非浸潤性で
その中でも
本当に早期なのですが
非浸潤性のガンは
乳管内で
右往左往し
広範囲にあることが多いそうです。
なので
一部切除は難しい。
それに
全摘出して再建した方が
オッパイは綺麗に作れる。

この方法に決めたのも
患者会の方々に
お会い出来たことが
とても大きいです。

『KSHS』
という乳がん体験者の方々が
運営している団体。
何度もお話を聞きました。
そして
何度もオッパイを見せてもらいました。

その再建した胸が
とても綺麗で
何より
皆さんが
笑顔で
こういう表現は
今まで
少し抵抗があったのですが
まさに
『キラキラしている』
その言葉がピッタリでした。

私もこんな風になれるのかも。
まさに
『ビビビ』
と来た瞬間でした。

皆さんには
とても感謝しています。

それから
また
お母さんの言葉に
後押しされました。
『日本のアンジーだねグッド!』
ちょうどその時期
アンジェリーナジョリーが
予防のための
乳腺除去手術を行ったという
ニュースで持ちきりでした。
私もテレビを見ながら
『悲観しなくていいんだ』

すごく前向きになれました。
アンジーとお母さんに感謝。
それからは
和製アンジーだと
勝手に思っています。

手術が決まると
心も決まりました。
後は何とかなる。

5/31に手術。
アンド
豊胸。

そう
右胸は
乳腺に代わって
シリコンが入っており
左胸は
豊胸しています。

そこの病院では
見た目の美しさも
考えてくれていて
豊胸も提案してくれました。
私は
『お願いします』
と即答しました。

おかげで
ブラジャーをして
やっとDだった胸が
今や
ノーブラで
Eぐらいはあります。
そう周りに自慢しています。
私は
自他ともに認める
ボインになりました。

手術後は
傷よりも
肋骨辺りが
筋肉痛のように痛くて
右胸は張りがすごくて
違和感だらけ。
でも
手術日翌朝には
朝食を完食し
自宅に戻り
次の日には
散歩をして
外食をして
シャワーも浴びました。
ダラダラと毎日を
送っておりましたが
手術から
約一ヶ月。
痛みもほとんど取れ
普通に日常生活を送り
仕事も復帰しました。

当初は
仕事も辞め
全て投げ出して
田舎にでも帰ろう
と本気で思っていました。

レギュラーのラジオも
二ヶ月も休むなんて
絶対降板だと。

でも
皆さん
待っていてくれると
言ってくれました。
スタッフの皆さん
その間繋いでいてくれた喋り手の皆さん
リスナーの皆さん
いろいろ動いてくれたマネージャー
本当に感謝しています。

感謝感謝と
たくさん使いますが
病気になってから
改めて
人の優しさ、温かさが
身に染みるようになりました。

すぐに
駆けつけてきてくれた友達
毎週
家の近くまできてくれて
くだらない話に付き合ってくれた仲間もいる。
私は
たくさんの人に
支えられていることを
実感できた
二ヶ月でもありました。

あ、父が全く出てこなかったのですが
お父さんも
わざわざ長野からきて
一緒に病院回りを
してくれたりしましたし、
いつも悩みを話すと
私の迷いを
吹き飛ばしてくれる人です。

長くもあり短かった二ヶ月でした。

省いてしまったところもあるので
お伝え出来ていないところも
ありますが、
私の身に起きたことは
以上です。

正直今も書いていて
この後の反応が怖い
という気持ちもあります。
それから
私はたまたま早期発見で
今はもう元気でいられる。
けど
同じ病気でまだ闘っている人もいるし
様々な事情で
再建できない人だっています。
不快な思いをさせてしまうかも
しれません。

けど
もし同じように悩んでいる方がいて
私が話すことで
続きはこちら↓

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最終更新日  2015年02月22日 19時36分47秒
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