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乳癌は早期発見も早期治療もいらない

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被爆

2015年10月20日
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カテゴリ:被爆

玄米、味噌、醤油、自然塩、海藻類、カボチャなどなど。
こういう食べ物が有効だということです。(以下青文字は引用)

◎秋月医博による、長崎原爆被爆対策

秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。

1945年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。

このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、マクロビオティックの食事(後述)を厳格に守ることを命じた。つまり玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、北海道産のカボチャ、食塩などの食事である。

このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。

このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。

◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」

秋月博士の命じた食事の内容を具体的に同博士の発言にみてみよう。

同博士は、次のように命じた。「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」。また、同博士は「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。

秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえた のも、このような食事法によってなのです。疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」


◎秋月博士の被爆体験

1945年8月9日、長崎に原爆が投下された。その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

博士は焼けただれて痛がる人々に、 「水を飲んではいかんぞ!」と大声でどなった。おそらく直観的に、血液の濃度を保ち、血液を水でうすめることなくガードしようとしたのだろう。((注)たしかに戦地で、傷の深い重傷の兵士に水を飲ませると、すぐに死んでしまうという記録がある)

さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」 (秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる。レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。みそ汁の具は、カボチャであった。のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

すると、どうであろう。そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかった のである。ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。

このことは、私にとって大きなショックであった。食というものによる、見かけからはなかなかわからない 「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊)
【出典】
http://ameblo.jp/happybeauty-rice/entry-10831219402.html





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最終更新日  2015年10月20日 15時20分50秒
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2014年11月15日
カテゴリ:被爆
空母ロナルド・レーガンの被爆兵士達が起こした対東電訴訟に対抗して、東電が起こした上述訴訟の却下を求める訴訟が敗訴と成っただけでなく「水素爆発ではなく核爆発だった」とまで申し渡されてしまった件で、
飯舘村の「裁判外紛争手続き」も、半年前の弱腰
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2014072102000123.html
から、かなり強気に変わった
http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20141111000107
事は、原発ゼロ社会を目指す私にとっても、真に喜ばしい事です。
 それで、動画「Radiation Scans」から見えて来た真実を確定する為に、一段と深く東電の病巣を抉り出す事にしました。
 空母ロナルド・レーガンが被爆したのは、東電や政府が言う水素爆発ではなく、核爆発だと、2011年3月26日から書き始めた私のHPです。
 東電擁護派からお小遣い貰って遣ってくれた破壊箇所を、仮修繕できたことをお知らせします。 ⇒「1号炉も核爆発から始まって居た」
http://yoshi-tex.com/Fuku1/Astonishment2.htm
【出典】
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=747415945343065&set=a.464229956995000.1073741826.100002239982708&type=1&theater

なぜ被爆したのか?真相はこれだ!↓
トモダチ作戦参加米軍兵士が癌に!【3.11人工地震津波テロ】
https://www.youtube.com/watch?v=6CzbQj8k4DI


★本日2つめの記事でした。前のも読んでくださいね★






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最終更新日  2014年11月15日 17時29分17秒
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2014年08月01日
カテゴリ:被爆

これはアメリカによる人体実験だったのですよね。
だから情報は公表しなかった。
詳しくは以下のブログ記事をお読みください。

広島・長崎原爆で奇形児が少なかった訳=カラクリ
カテゴリ:原発ヨハネの黙示録
以下は
「原爆ホロコースト」の実態
からの引用です。

●広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べている。
「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。
第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。
第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。
第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。
加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」

トルーマン大統領は原爆の惨状についての報道を一切禁止し、被爆治療を徹底的に妨害した。
そして被爆者を「治療」せず「実験動物」のように観察する組織「ABCC」
(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置した。

●広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。
まさにアメリカがやったことは、「人体実験」だったといえよう。

被爆者である橋爪文さんが書いた
『少女・14歳の原爆体験記』(高文研)
(中略)
より。

「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。
これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に

『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。
そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。
その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。
治療は全く受けませんでした。
そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。
日本政府もそれに協力しました。
こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。
私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。
あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。

以上引用終わり。

当ブログの
放射能汚染ガレキ受け入れ阻止!5

長崎、広島原爆で奇形児が一人も生まれなかったという大嘘 1

長崎、広島原爆で奇形児が一人 も生まれなかった という大嘘 2
でも引用しましたが
「ABCCは何をしたか」
からの引用です。


岡村ヒサさんの証言
私は昭和20年当時、尾長町で産院を開業していました。
41歳でした。
その頃はまだ家庭分娩が多うございましたが、だんだん少なくなりまして、昭和30年頃には、皆産院に吸収されました。
何も記録は持っていませんが、奇形がたくさん出ました。
当時はABCCへ、みな報告しなくてはいけないシステムになっていました。
奇形が出ましても、報告するのを嫌う人もございましたので、しなかったこともあります。

以上引用終わり。

(コメント欄に続きます)

http://blog.livedoor.jp/tacodayo/archives/5822795.html






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★本日2つめの記事でした。前のも読んでくださいね★






最終更新日  2014年08月01日 17時30分47秒
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2012年12月25日
テーマ:原爆(2)
カテゴリ:被爆
享年73,肺ガンが原因だそうです。
命よりご冥福をお祈りいたします。

訃報:中沢啓治さん73歳=漫画「はだしのゲン」の作者
毎日新聞 2012年12月25日 09時29分(最終更新 12月25日 15時08分)

 広島原爆で被爆した体験を基に描いた漫画「はだしのゲン10+件」の作者、中沢啓治(なかざわ・けいじ)さんが19日、肺がんのため広島市内の病院で亡くなったことが分かった。73歳。葬儀は近親者で営まれた。

 広島市の神崎国民学校(現・市立神崎小学校)1年の時、爆心から1.2キロにあった学校の前で被爆した。塀の陰にいたため、奇跡的に助かった。父と姉、弟は自宅の下敷きになって被爆死した。

 中学を卒業して看板屋で働いた後、漫画家になるため1961年に上京した。当初は原爆と無関係の作品を描いていたが、被爆者だった母親が66年に死去し、火葬した際に骨が粉々で原形をとどめなかったことをきっかけに、原爆への怒りを込めた作品「黒い雨にうたれて」を68年に発表。73年、週刊少年ジャンプ(集英社)で「はだしのゲン」の連載を始め、87年に完結させた。単行本は1000万部を超え、十数カ国で翻訳出版されたほか、映画にもなった。

 プロ野球・広島東洋カープの大ファンで、「広島カープ誕生物語」を描き上げたのを最後に09年、網膜症と白内障による視力低下を理由に漫画家を引退した。その後は精力的に講演などで被爆体験を語ってきたが、10年秋に肺がんで入院し、以降は入退院を繰り返していた。

 11年8月、自身の被爆体験を語ったドキュメンタリー映画「はだしのゲンが見たヒロシマ」が公開された。毎年8月6日にある広島市の平和記念式典は「つらい体験を思い出す」と長年避けてきたが、11年の式典に初めて出席した。

 02年、第14回谷本清平和賞を受賞。毎日新聞が06年10月から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも、反核・平和への思いを繰り返し語っていた。

http://mainichi.jp/select/news/20121225k0000e040099000c.html

あらためて原爆のことを思い起こしましょう。以下の動画をご覧ください。

『はだしのゲンが見たヒロシマ』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=Sb3jVRJ91FA

Barefoot Gen, HIroshima Destroyed(英語字幕付き)
http://www.youtube.com/watch?v=BfJZ6nwxD38&feature=endscreen&NR=1



『はだしのゲン』作品集

(本日2つ目の記事でした。前のも読んでくださいね?)

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最終更新日  2012年12月25日 23時27分39秒
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