葉タバコ乾燥小屋
近代化遺産とか歴史的建造物などというと、何か大仰で馴染みの薄いもののように思われて呼び方としてはあまり好きにはなれません。お城とか武家屋敷など沢山の物が歴史的遺産として残っていますが、オジサンの好きなものはこれまでブログでも紹介してきたように駅舎だったり、普通の民家などで割合新しい物が多く、近代化遺産と呼ばれるほど大げさなものではありませんそのようなものの中に、「葉タバコ乾燥小屋」というものがありまして、機会があればブログに載せたいと考えていました。オジサンが「葉タバコ乾燥小屋」に興味を持ったのは、同じく高梁にお住まいのto-ruさんという方が作られている「有漢川物語」という素晴らしいホームページで「葉タバコ乾燥小屋」の写真を見てからです。「趣のあるもの」というタイトルで何枚かの写真が載っているのを見たときに、なんともいえない懐かしさと嬉しさを感じましたと同時に、こういうものに興味を持っている人がいることに小さな感動を覚えました。実は十数年前まで、現在おばあさんが住んでいる家にも立派な「葉タバコ乾燥小屋」が母屋の隣に残っていたのです。昔は養蚕と葉タバコを米作りと並行してやっていました。養蚕に関してはオジサンが小学生低学年の頃の思い出しかなく、畑に桑の木が沢山植えられていて桑の実をとって食べていたこと (口の周りが紫色になる) や、蚕の部屋に入るとムシムシという蚕が桑の葉を食べる音が聴こえてきたのをボンヤリと思い出す程度です。葉タバコの方は養蚕よりもかなりおそくまでやっていたようで、中学生の頃まで生産していたのではないでしょうか。 (おじいさん、おばあさんの家のことで、一緒に暮らしていなかった為記憶が断片的でハッキリせず申し訳ありません)何回か畑で葉タバコの収穫を手伝いましたが、炎天下で腰をかがめてする重労働という印象と手が、ヤニのようなものでベトベトになったということぐらいしか覚えていません。葉タバコ栽培のほうは、それでも2年ぐらい前まで生産されている方が部落にもいました。現在は一軒もありませんが、高梁地域では数は多くありませんが、現在も生産されている方がいるようです。今回ブログに載せようと思ったキッカケは、2月7日の新聞に高梁市成羽町上日名に残る「葉タバコ乾燥小屋」の写真と記事を目にしたからです。記事によると岡山県では、1700年頃には相当規模で栽培が行われていたようで、幕末に備中松山藩の藩政改革に当たった山田方谷もタバコの栽培を奨励したそうです。昭和40年代初頭にはピークを迎えたようですが・・・それからは年々生産も減り始め現在に至ったとのことです。タバコの乾燥は、単なる脱水乾燥だけでなく特有の香りや色調を左右する重要な品質管理であったそうです。新聞の写真に載っていた「葉タバコ乾燥小屋」は1934年頃の建物で、敷地面積4坪の二階建て。乾燥させる葉タバコを室内につり、加熱して発酵させる構造で燃料として薪がつかわれていたようです。使われなくなった建物は利用価値もなくなり、だんだんと忘れられて取り壊されたり朽ちてしまうのを待つだけとなります。現在は数も少なくなり、探しても見つけにくくなりました。本当に意味での産業遺産、残しておければ良いのですが・・・は、高梁市巨瀬町友末地区に残る「葉タバコ乾燥小屋」です。新聞のものより少し古いものだと思われます。屋根の部分が特徴的です。