2011/05/30(月)13:34
甥の死2
甥は、このような母親に育てられているわけですが、結局、母親は育てることができずに
4歳ごろには、私の両親に、預けられたようです。
甥を育てるのは、両親にとって、大変なことであったようです。
すでに、自分の子供は成長し、兄の仕事の関係で、田舎から慣れない
都会に出てきていたのですが、知り合いの全くいない都会での自分たちの
生活だけでも大変なところに、自分の息子の子供、つまりは孫を押しつけられたのです。
このとき、両親に自分の子供を押しつけた兄に抗議したところ、言った兄の言い訳が忘れられません。
「私は、両親の生きがいを作るために、自分の息子を預けたんだよ。それに、お前には関係ないだろう。」
なぜ、両親を慣れない都会に連れてきているのか、ということに対する抗議に対しても、
「両親は、私のためばかりではなく、お前のためにも、都会に来ているんだよ。お前には両親の気持ちはわからないんだよ」
私は、何度も両親から、慣れない都会に出てきたことを後悔する言葉を聞いていたのですが、
両親を悲しませたくない気持ちもあり、あまり強くは抗議できませんでした。
甥が、両親に預けられた時は4歳児とは思えない体格でした。
2歳時並みの体格と思えました。
何しろ2歳年下の、私の息子よりも、小さかったのですから。
幼少時期に受けた母親からのいじめは、この後も、甥の成長に暗い影を落とし続けました。
同年齢の子供と、なかなか友達関係を築けない
弱い者いじめを繰り返す
気分のむらが大きい
一つ一つは、大きな問題ではないのですが、私の両親にとっては、大きな悩みだったようです。
実の親でさえ、子供を育てるのは大変なのに、孫を育てなければならない。
実の両親は、何の反省もなく、孫を預けるのは、私の両親のためであると信じているのですから。
私の両親は、幼稚園・小学校とPTAや学校行事に積極的に参加していました。
その頃、甥は授業参観に来る祖父母が他の父兄より老けているために、
授業参観が嫌だったようです。
祖父母も、この子はかわいそうなんだよう、こんなおばあちゃんやおじいちゃんが、参観に来るのだからと言っていました。
このころの実の親は、甥を有名校に入れたくて色々と画策していたようです。
確か、小学校は学区を変えるために、希望の学校のある学区内にマンションを借りて、住人票を移して、希望の学校に入れたようです。
甥は、実の親の希望する小学校には行けましたが、休みを多く、たびたび祖父母は学校から呼び出しを受けていたようです。
呼び出しを受けて、学校に行くのは、決まって祖父母です。
実の両親は、まったく言ったことがありません。