失いたくないもの
何度か繰り返し言及していることだけれども、大人になることはある意味『何か』を失っていることかも知れない。純粋さ、無邪気さ、そういった物から、うまく言葉では表すことの出来ない感情・感覚。動物と会話することは容易に出来ていたのかも知れないし、妖精は本当にいて幼い頃には見えていたのかも知れないし、亡くなった祖母に甘えることも出来ていたのかも知れない。けれども僕らは、今、そういうことが出来ていない。否、『出来ない』と思っている。非科学的だ、とあっさり切り捨ててしまっている。「科学」という説明体系や、知識を、生きていく上で身につけている。それは大人になることで手に入れたモノ達で、或いはそれらを手にする代償として『(口では説明できない)何か』を失っているのだろう。『えんがちょーー!!バイ菌ショーーーック!!バリアー!』「存在する種々の雑菌の多くは、空気感染および接触感染が可能だから、 『バリア』言われても(笑)そんなにバイ菌が嫌なら無菌室に入るか 防護服でも身につけて、酸素ボンベ背負って生きて行かなくちゃ」『何時何分何秒地球が何周回ったときだよー!?』「12時52分34秒、地球が誕生した年を約46億年前と仮定すると、 およそ1,679,000,000,000周回ったことになるかな? まぁ地球が出来た年数なんて放射性物質の半減期から概算している値だから それ以上詳しい値なんて算出のしようがないけどね」大人になるのは、なんと、面白くないことだろう。けれども、時間の流れは、精神的な成長はさておき、肉体的な成長を止めることはできない。いや、ある一定の年齢を超えたときに、その流れがもたらすのは『成長』ではなく、『老い』である。『老い』に対し対抗手段を、ヒトは試行錯誤し、手に入れてきたが、幼い頃持っていた『何か』を失わないようにする手段を、手に入れようとはしなかった。願わくば、どれだけの時間が、僕の肉体を老いに向けようともその『何か』を失わずにいたいと思う。もう、ほとんど残っていない『何か』を握りしめて。そして、今日、僕はまた一つ歳を重ねる。何の変哲もない、この日に、少しだけ特別な思いを持って。失いたくない『何か』に思いを馳せて。誕生日を迎えた瞬間、パンツ一丁で洗濯物を干していました。 (すでに、何かを失っている気がしないでもないです。)