嵯峨嵐山
今回の旅行が楽しいものとなった大きな要素のひとつに、グランヴィア京都で客室まで案内してくれた女性の美しさがある。両親と旅行に出かけると、ホテルマンやホテルウーマンの感じのよさに本当に感銘を受ける。今回は、スタイルよし、顔よし、物腰もたおやかでありながら、日本人かなぁ?と思えるようなエキゾチックさもある美人「美人は嫌い」なはずの母まで質問攻め。するとなんと、4月に入社したばかりの新入社員だという。20歳(@@)ホテルの専門学校を出たというが、きっと優秀な成績だったのだろう。本当に驚いた。そして、若い子の、しっかりしたその仕事ぶりに接する事ができ、とっても嬉しくなった彼女1人でホテルの印象をぐっとアップしたのだから、すごい事だと思う。そしてやっぱり美人はお得だ。 観光は2日目の午前中だけ。地元から何十年も出たことがないと言う運転手さんの案内で、嵯峨嵐山をまわる。両親の体調を考慮して、車が入っていけるの?と思えるようなところまで案内してくれ、至れり尽くせりだった。 こういう昼間でも薄暗い、風情のあるところが大好き!マイナスイオンをたっぷり浴びるそしてこの時期に来たのは大正解どこへ行ってもゆったり。修学旅行生をのぞけば(^^;)大河内山荘戦前の昭和を代表する時代劇スタ-大河内伝次郎の別荘。丘陵の地形を巧みに用いて創られている庭園は、眼下に保津川が借景される。また、遠くは霊峰比叡山を遠望することが出来る。 類を見ない景勝の邸で、現在はこれが一般に大河内山荘として公開されている。抹茶とお茶菓子が供される。 化野念仏寺弘法大師は、弘仁二年(811)化野の風葬の惨めさめを知り、五智山如来寺をつくり里人に土葬という埋葬を教えた。その後・・・法然上人がここに念仏道場を開いたことから化野念仏寺と呼ばれることになった。現在の建物は江戸時代の始め(正徳2年・1712)に再建されたもので、明治に入りさらに化野に散在していた無縁仏、石仏、石像約8,000体を集め今日の形に供養するようになった。毎年8月23・24の両日に千灯供養が行われる。数多い石仏に一斉にろうそくが点灯される。 サスペンスに頻繁に登場するロケ地だそうです(^^;)落柿舎江戸時代の俳人・向井去来の草庵跡。かれは芭蕉門下(蕉門)十哲の一人。芭蕉は、元禄4年(1691)ここを訪ね嵯峨日記を書いている、ここに来ると今も茅葺き屋根の庵があり、土間の荒壁に蓑と笠がかけられ、「主の在・不在」をしめす名残りが留められているのも印象的。 去来の墓はこの庵の北裏手にある、小さい去来の墓をみると、慎ましく質素に暮らしていた姿が偲ばれる。しかし去来を偲びここに集う人々の多いことが一見して良くわかる、それは俳諧を好む人たちが絶えず墓参に訪れていることである、また これらの人たちの記念句碑が林立している、 近くに西行井戸もみられる。 そのほか案内された所は、画像がないので記憶喪失(--;)駅中の伊勢丹地下にて、巨大メレンゲを見つけて母と盛り上がるゆば蕎麦 限りなくあっさり出汁の味ホテルのジムは暇つぶしに1日目だけのつもりで部屋でまったりしていたら、食べすぎをなじられ、「行ってきなさ~い!」「食べた分消費してきなさ~い!」で追い出される