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のぽねこミステリ館

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2006.02.09
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新倉俊一訳『結婚十五の歓び』
(Les Quinze Joyes de Mariage)
~岩波文庫、1979年~

 いつものように、内容紹介、感想の順ではなく、つらつらと書こうかと思います。本書からの引用も、内容の紹介も詳しくすることにします(自分の勉強とも関わるので、メモの意味もこめて)。
 本作は、中世フランス文学です。その方面で有名な、新倉先生の訳です。本作の作者、成立年代など、不明な点も多く、定説はないようですが、解説をまとめると、成立年代は14世紀末から15世紀初頭、作者は、(田舎の)聖職者であろう、というのが有力なようです。
 さて、この物語は、一言でいえば(ひどい)奥さんにふりまわされる(気の毒な)旦那さん、といったところ。
 内容に入る前に、タイトルについても一言。本書の構成は、序文、第一の歓び~第十五の歓び、結論、となっているのですが、序文にこのようにあります。
「我身は(中略)ついぞ結婚の経験はないものの、これを経験せる者から聞いたこと、ならびにこの目で目撃したことから察するに、結婚には十五の難儀があり、しかも、結婚をなせる人々はこれを以て歓喜、快楽、至福とみなし、無双の歓びと信じ込んでいる、と考えるにいたった。しかしながら(中略)これら結婚の十五の歓びこそは、思うに地上最大の責め苦、苦悩、悲哀、不幸で」あるというのです。作者は結婚を、魚梁(やな:川魚をとるしかけの一種)にたとえているのですが、その魚梁にひっかかった者は、苦難の状態にあってもそこから出ようとせず、歓びと考えている、というのです。だから、あえて歓びと呼ぶ、と結論で言っています。

 第一の歓びは、結婚してそう年月が経っていない男性に起こります。奥さんは、豪華な服を欲しがっています。夜、床につき、夫婦の営みをしたがる旦那さんですが、奥さんは具合が悪いといいます。理由を聞いてもなかなか答えてくれません。奥さんは、旦那さんがあんまり言うから答えるけれど、と、理由をいいます。旦那に言われてお祭りに行ったけれど、自分の服装が一番みすぼらしかった。決して高い服が欲しいから言うんじゃないけれど、私がみすぼらしいと、あなたのことを思えばこそ恥ずかしいのです、と。旦那さんは、家計で手一杯なのに、なんとか服を買ってあげようと、お金に苦しむことになります。

 んー、書くのに時間かかりますね。あとは流しながら書くとしましょう。
 第二の歓びは、奥さんがお友達や従兄弟(それが本当に従兄弟がどうかはわからないとのこと)と祭りや巡礼に行こうとする場合。第一の歓びのように、巧みに旦那さんをいいくるめます。
第三の歓びは、妊娠した場合。妻はそう具合が悪くないのにとても具合が悪いように言い、お医者さんもそのようにいいますから、旦那さんは奥さんのかわりに家事で手一杯なのに加えて、奥さんを心配するあまり食事もろくにとれなくなります。ところが、旦那さんが留守にしているあいだに、友達たちが家にやってきて、当の奥さんも一緒に食事を楽しむのです。
 第四の歓びは、何人か子どもができて、適齢期になった娘たちを嫁に出す場合。結婚するとき、女性は嫁資金といって、持参金を持っていかなければなりませんでしたから、出費がかさみます。これに、旦那さんは苦労することになります。
 第五の歓びは、奥さんの方が身分が高い場合。ここでも奥さんは高い晴れ着をほしがり、浮気もします。

 ところで私は、小説を読むときに、面白いと思ったところ、関心をもったところに付箋をはるのですが、本書には原語や言葉を説明してくれる注もついていて、勉強につながるところにも付箋をはりました。研究室の方に付箋をはっている理由を聞かれ、そのように答えたのですが、「神かけて、ジャンヌ(使用人の名前)、この私は夫から何も買ってもらえない。あの人ときたら、本当に馬鹿だ」というところから何を学んだのかとつっこまれてしまいました。笑ってしまったから貼っていたのですが。
 とまれ、この奥さんのセリフは第五の歓びに登場する方のもの。旦那さん、口答えをしようものなら、奥さんの家柄の方が立派なわけですから、その話をされてしまい、逆らうことができないのです。

 第六の歓びは、好人物が、若くて邪険な妻をめとった場合。奥さんはやたらと口答えをしますが、旦那さんは彼女をいたく愛していて、できる限り機嫌をとろうとするので、大変なようです。
 第七の歓びは、結婚してしばらく年月が経った場合に起こります。一般論として、若い頃はまだしも、年を経るにつれて、旦那さんの精力は衰えていきます。奥さんは浮気をし、その噂が旦那さんの耳にもはいるのですが、奥さんはうまくやりこめます。
 第八の歓びは、子どもがまだ小さい場合。子育てのことで、もめるわけですね。子どもが本当は元気なのに、とても弱っているという奥さんや乳母たち。旦那さんは心配しながら、いろんな仕事をして疲れるわけですが、そんなことを言おうものなら、出産のときに自分がどれだけ弱っていたか、どれだけ聖女さまたちにお祈りしたか、あなたはもうお忘れになったのね、といわれるのです。
 第九の歓びは、旦那さんが年をとったり、病気なりで弱ったりしまったとき。長男はそれなりの年齢になっていて、まるで家長のようにふるまいます。家族の誰も旦那さんをいたわらないのですね。
 第十の歓びは、なんかもう離婚手前までいっている事例です。
 第十一の歓びは、若い貴公子が国中をふらふらしているときに、ある娘さんを妊娠させてしまった場合。娘さんの奥さんは、なんとかその男と娘を結婚させようとします。男は男で、結婚できて大喜びなのですが、結婚後にできちゃった婚だったことがばれ、両親から嘆かれてしまう、というものです。
 第十二の歓びは、めちゃくちゃ尻にしかれる場合。
 第十三の歓びは、旦那さんが戦争に行き、捕虜にされるなどして、しばらく帰ってこられなくなった場合。旦那さんが妻のことを強く思っているあいだにも、奥さんは夫が死んだものとして、新しい夫を見つけ、楽しんでいるのです。
 第十四の歓びは、とても気立てのよい女性と結婚したものの、妻に先立たれてしまい、邪険なバツイチ女性と再婚する場合。その女性は結婚の経験があり、旦那をどう扱うかこころえているので、しばらくは本性を見せずに、夫の性質を見抜いたあと、どんどん邪険にふるまうというのです。
 第十五の歓びは、願いかなって結婚したものの、相手の女性が遊び好きで、この世の快楽をむさぼるタイプだという場合です。作者によれば、これは「地上最大かつ極度の苦しみ」です。

   *

 結局全部紹介してしまいました…。私が専門に勉強にしている時代よりも、成立年代はあとなのですが、興味深い一次史料ですし、細かくメモをとっても困りますまい(ほとんど遊びで書いていますが)。
 以上、途中から「歓び」と書くのが痛ましいほどの物語を紹介してきましたが、新倉先生は、ここに反女性主義が見られる、と指摘しています。同時に、本書は、そんな苦しみの中に入り、それを歓びと感じている愚かな男性たちへの風刺の性格をもっているとのことです。
 史料として読む場合には、こういうことも考えなければなりませんが、ここではひとまず一つの物語として楽しく読みました。旦那さん気の毒だなぁ、と思いながら。
 私は古本で購入しましたが、絶版になってはいません。私が通っている大学の生協にも並んでいます。






Last updated  2010.01.09 07:56:07
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