カテゴリ:教養・学術書(西洋史以外)
赤坂憲雄『異人論序説』
~ちくま学芸文庫、1992年~ <異人>をキーワードに、様々な具体例を紹介してくれている本、というのが、全体的な印象です。ほとんど結論のようなことを最初の方で言っています。 <異人>というと、不浄だから排除される存在、というのを先に連想してしまいますが、聖なるものもまた<異人>なのです。182頁にある図では、折口信夫さんの説によりながら、原初的な混沌としての<聖>が、善き<聖>(=浄)と、悪しき<聖>(=不浄)に分かれることが示されています。 ここでは、本書を読み始めてからずっと連想していた(かなり乱暴な)例をとって、全体の雰囲気をお伝えできたら、と思います。 私たちは、<地球人>という共同体に属しています。ここにやってくるウルトラマンもバルタン星人(いま、変換でバルタン聖人となって笑いました)も、私たちにとっては明らかに<異人>です。ただし、ウルトラマンは<不浄>なるバルタン星人をやっつけてくれる存在だから、ひとまず<浄>の存在ですね。ところが、怪獣のなかでも、たとえばウルトラセブンが持っていたカプセル怪獣は、ウルトラセブンをサポートしてくれる存在であって、地球防衛軍はミクラスたちを攻撃するわけにはいきません。一方、怪獣やらなんとか星人の能力によって、ウルトラマンが催眠状態に陥り、町を破壊しはじめたらどうでしょうか。彼は、<不浄>なる怪獣たちをやっつけるどころか、人間社会に害を及ぼす<不浄>の存在となります。ふぅ、マニアックネタですね。 このように、<浄>と<不浄>は、容易に入れ替わるものです。同じ妖怪だって、カラカサオバケは嫌ですが、ザシキワラシに会えたら嬉しいのです。もしある村に、カラカサオバケがこの村を救った、という伝説があれば、そこではカラカサオバケは<浄>の存在となるでしょう。以上、まったく資料に基づかずに雰囲気だけでお伝えしましたが、言いたいことはお伝えできたかと思います。 次は、ちょっとまじめにいきましょう。 赤坂さんは序章で、「共同体と外部の<交通>の視覚から、<漂白>と<定住>の形式によって」(17-18頁)異人を分類しています。 1.一時的に交渉をもつ漂泊民 例:遊牧民、遍歴職人など 2.定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者 例:旅人、巡礼、学校の教師など 3.永続的な定住を志向する移住者 例:移民、亡命者、嫁など 4.秩序の周縁に位置付けられたマージナル・マン 例:精神病者、身体障害者、病人など 5.外なる世界からの帰郷者 例:復員兵、“帰国後のロビンソン・クルーソー”など 6.境界の民としてのバルバロス 例:未開人、野蛮人、鬼など 先にあげたウルトラマンと怪獣ですと、怪獣は6でしょうね。ウルトラマンは、1か2の「一時的」な要素が強い気がしますが、いずれにしても、想像上の存在という意味では6ですかね。ところで、2の「学校の教師」というのも少し引っかかったのですが、夏目漱石の『坊っちゃん』などは、それを示す好例といえるでしょう。よそものである「おれ」は、生徒たちからからかわれるのです。 それはともあれ。1~6の全てが、ある共同体にある既存の秩序を破壊するおそれがあります。たとえば、村長の独裁制が敷かれていたある村のある男の家に、村の有力者たちが話し合いをして物事を決めていく村出身の女性が嫁に来たとします(実際には、そんな村長にとっては危険な女性を招き入れるとは考えにくい気もしますが)。もしこの女性が、話し合いの長所を説き、他の村人たちが村長の独裁制に反対をはじめたらどうでしょうか。それまでの村のありかたが崩壊していくでしょう。若干例がずれる気もしますが、ここで言いたかったことの本質的な部分をちょっと本書から引用します「いわば、無定形の混沌によって秩序が侵されるとき、そこに穢れは発生する。わたしたちは穢れを忌避するが、それは、既存の分類体系を混乱させたり、矛盾をきたせたりする観念群に対する拒否反応といってよい」(87頁)のです。 では、疲れてきたので、最後の話題としましょう。いつものような目次紹介は、最後におくとしますね。 22頁の指摘。(社会集団の構成員は)「みずからの内集団への帰属を確認するために、社会的アイデンティティをいっそう強固なものとするために、秩序の周縁部に、否定的アイデンティティを体現する他者を必要とする」。要するに、いじめや差別はなくならない、ということです。いじめや差別といっても、そのよしあしについての判断は、こういう議論の中ではしないほうがいいでしょう。「いじめはよくない」「差別はいけません」と言っている方々の中で、まったく差別的な感情を抱かない方がどれだけいるでしょうか。それは理想論であり、そうあるべきでしょうが、少なくとも自分たちの共同体を確認するための差異化の意識はなくならないでしょう。車椅子の方を見れば、(価値判断はどうあれ)「あ、車椅子だ」と思ってしまうでしょう。外国人を見れば、(価値判断はどうあれ)「あ、外国人だ」と思ってしまうのです。 こうした<差異>がなければ、どうなるでしょうか。いまの例でいえば、車椅子の方も外国人もいない、<均一な>集団がある場合です。ここは、269頁の指摘についてゼミで話す中で議論になったのですが、やはり<差異化>は生まれます。ちょうど妖怪などの話をしていたところなので、その例をあげますが、ある集団の中に、マクラガエシが出るのではないか、という話があがるとします(誰かの枕がひっくり返されたのですね)。しかし、科学的にマクラガエシという妖怪は100%いないと証明されてしまった。そうすると、その集団の構成員の中に、「こいつがマクラガエシの正体ではないか」という探りあいが起こる、という具合です。少なくとも、「枕がひっくり返される」という現象がある以上、犯人探しをするという流れですね。 本書の構成は以下のとおりです。 序章 <異人>-漂泊と定住のはざまに 第一章 <異人>の考古学 1.境界・無縁・コムニタス 2.市・交通・異界 3.ほかいびと・まれびと・やまびと 4.聖痕・不具・逸脱 第二章 <異人>の系譜学 1.王権・供犠・刑罰 2.天皇・賤民・職人 3.亡命・遊行・芸能 第三章 <異人>の現象学 1.われら・かれら・バルバロス 2.周縁人・境界人・通過儀礼 3.内なる他者・無意識・狂気 終章 さらに、物語のかなたへ 興味深い事例は多々紹介されていますが、今回は思ったことをつらつらと書くかたちにしました。後日、あらためて本書について書くかもしれません。少なくとも、今後の私には、本書の知見がある程度残るでしょう。 本書でなにが残念って、文章が気取りすぎていて、読みにくいところが多々あるのです。繰り返しますが、事例は面白かったです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.05.09 23:31:42
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