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2007.02.21
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Michel Pastoureau, "L'Etat et son image emblematique"
dans Michel Pastoureau, Figures et Couleurs : Etude sur la symbolique et la sensibilite medievales, Paris, 1986, pp. 61-69.

 いままでに何度か紹介している、ミシェル・パストゥローの論文集『図柄と色彩』より、今回は「国家とその紋章のイメージ」という論文を紹介します。論文といって、注もありませんし、その研究領域の基本的な事実の確認と問題提起を主にした小論といったところでしょうか。本論は、史料として印象、紋章、旗の三つが強調し、それらをメインに論を展開します。以下、小見出しに沿って簡単に紹介を。

[序]

 「紋章のない国はない」という一文からはじめる序の部分では、主に問題提起がなされます。様々な紋章の起源と理由、紋章がもつメッセージ、象徴体系、いかに紋章が実際に利用されたか、などなど…。今後の研究を促す部分ですね。

印章sceauの問題

 紋章にかかわるモノの中で、印章は最も法的な価値をもつといいます。13世紀以降、(ヨーロッパには)印章のない国家(Etat)はない、といいます。これを、印章は、国家(少なくとも、国家の法的持続性)であり、あるいはそれを構成すると言い換えています。
 以下、国家を、(a)王国と(b)都市共和国に分けて論が展開されます。 (a)について面白かったのは、王国というのは、王の印章の終わりにして、王国の印象のはじまりなのか、という問題です。ここでは、明確な答えは提示されていませんが、問題を知ることで、見方が広がったように思いました。他方、(b)について、「都市の」印章の起源は、同職組合、あるいは都市住民などの印章だということです。ここでも、「都市共和国の印章sigillum rei publice」の概念notionが、いかに概念化se conceptualiseされたか、という問題提起がなされます。たとえば、もともとは同職組合の印章だったものが、いかに都市共和国の印章として認識されるようになったか、ということでしょう。

国家の紋章Heraldeique de l'Etat

 紋章は12世紀末から急増し、13世紀には、全てが「紋章化heraldise」されたといいます。ところが、国家の紋章となると、問題が複雑だといいます。たとえば、極端にいえば、フランスでは第一帝政まで国家としての紋章をもたなかったといえるとか。先に、王の印象と王国の印象の区別が出ましたが、紋章でも同じことがいえます。パストゥローは、15世紀半ばあるいは16世紀初頭頃から、王あるいは君主の紋章が国家(Etat)の紋章にもなったと述べています。

色彩と旗(国旗)の出現

 この節は、国家の色はあったのか、という問題提起をした上で展開されます。ここでは、特にアングロ・ブリテンの事例が紹介されます。
 12世紀初頭より、プランタジネット朝(1154-1185)の色は赤でした(フランス・カペー朝は青、ドイツ・スタウフェン朝は緑だったとか)。 12世紀末には、赤と黄色がプランタジネット王家の紋章の中で重要な位置を占めるようになります。王の役人の衣服にも、同じ色が部分的に取り入れられます。ところが、14世紀半ばから採用されるようになった「制服」には、紋章と異なる色が用いられたそうです。後には、また、政府(役人)の色と国家の色が同じ色になったとか(このあたり、思わぬ読み間違いをしているかもしれません…)。
 さて、後には黄色と白が同じ役割と果たすようになるため、チューダー朝(1485-1603, エリザベス1世まで)期には、赤と白が英国の紋章の色となります。これはまた、イングランドの守護聖人聖ジョージの色でもあります。
 ところで、1603年にスコットランド王ジェームズ6世がイングランド王も兼位(イングランド王としては、ジェームズ1世)し、ここにステュアート朝がはじまります。スコットランド、そしてスコットランドの守護聖人聖アンドリューの色は、白と青でした。ここに、イングランドの赤と白、スコットランドの青と白を合同して、赤・青・白のユニオンジャックの原型が成立します。後に、1801年、アイルランドの守護聖人聖パトリックを象徴する赤十字が追加され、今日のユニオンジャックの形になります。ユニオンジャックは、まずは(海軍の)船の旗に用いられていましたが、後に地上でも用いられるようになります。こうして、これは18世紀に、「国旗」となるのです。
 なお、パストゥローは、このユニオンジャックが赤・青・白の三色でなければ、アメリカ国旗もフランス国旗の色も違っていただろうという仮説を、『青の歴史』(紹介・感想はこちら)の中で述べています。

受けられた紋章L'Embleme subi:フランスの雄鶏の事例

 この節は面白かったです。国家の紋章が、自国で生み出す(選ぶ)ものばかりではなく、他国から科される場合もあるということで、フランスを象徴する雄鶏の事例が紹介されます。
 フランスでは、雄鶏coqは、いつも悪く受け取られていました。馬鹿だという理由ですね。ところが、外国は、フランスの象徴として雄鶏を科してきます。中世によく認められる言葉遊びで、フランス(ガリア、Gallia)と、雄鶏(ラテン語でgallus)が似ているからです。というんで、15世紀以来、雄鶏はフランスの紋章となります。もともとは外国から課され、さらに非公式の紋章でしたが、今日では、フランスの紋章(の一つ)として公認されているというんですね。
 訳し分けるのが難しかったのですが、このように、国nationの紋章の場合は、最初は拒んでいた紋章が科されうるといいます。ところが、国家Etatの場合は、そうはいかないということです。

[結び]

 訳しにくいところがありましたが、これからはこんな研究をする必要がある、と説いています。序論と重なる部分もありますが、その他の例としては、紋章の記号学的分析、しばしば用いられる図像や色彩の統計などの調査の必要性ですね。さらに、歴史学と人類学の接近の必要性も説いています。その問題関心は、近々入手する予定のパストゥローの著書『色彩・図像・象徴―歴史人類学的研究』の副題にも示されていますね。
 結論部分で興味深かった一節を引用して、(そうとうはしょった)この紹介を終わりましょう。
「統治することgouverner、それは第一に、いくつかの記章signesを扱うことである」(p. 69.)

*sceauを、「印象」と書いていましたが、「印章」の間違いでした。しばらく気付かずにいました…。お詫びして訂正いたします。記事の方は、目につくところはなおしました(2007年10月17日)





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Last updated  2008.07.12 19:05:45
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