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2007.10.11
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ジャン・ドリュモー(福田素子訳)『告白と許し―告解の困難、13-18世紀』
(Jean Delumeau, L'aveu et le pardon. Les difficultes de la confession XIIIe-XVIIIe siecle, Fayard, 1990)
~言叢社、2000年~

 著者ジャン・ドリュモーの著作は、何冊か邦訳が出版されています。本書の他に私が所有しているのは、『恐怖心の歴史』(永見文雄・西澤文昭訳)新評論、1997年と、『罪と恐れ―西欧における罪責意識の歴史 13世紀から18世紀』(佐野泰雄他訳)新評論、2004年の二冊です。
 ドリュモーは、社会経済史から出発したのですが、その後、本書や上に挙げた文献のタイトルからもうかがえる通り、いわゆる心性史の領域の研究を精力的に進めています。さらにいえば、本書は、『安心と加護』という著書(新評論より邦訳刊行予定ありだそうです)の続編ともいえる位置づけにあるのですが、己の罪を告白する際の羞恥心や罰への恐れ、聴罪司祭により与えられる赦免により得られる安心感といったことを考えたとき、「告白」をテーマとする本書は、恐れ、罪悪感、安心感という主題の合流点でもあります(本書序文参照)。

 本書の構成は以下の通りです。

ーーー
序文

第1章 義務的な一対一の告解の束縛
第2章 精神の産科学
第3章 心を鎮めるための告解
第4章 悔い改めの動機(55-61頁) 第5章 あなたは「不完全痛悔者」か「痛悔者」か?
第6章 不完全痛悔の困難な勝利
第7章 赦免の遅延
第8章 罪の誘因と罪への回帰
第9章 情状と贖罪
第10章 罪を重大化しないこと
第11章 蓋然説の前史
第12章 蓋然説の黄金時代
第13章 蓋然説に対する攻撃と厳格主義の高波
第14章 聖アルフォンソ・デ・リグオーリ:中庸と寛容
結び

<解説>告解とは何か(竹山博英)
あとがき(言叢社同人)
ーーー

 本書が主に扱う時代は、告解に関する史料が数多い古典主義時代[17-18世紀]が中心となります。

 まず、第1章から第3章までが、悔悛者に聴罪司祭がいかに向き合ったか、ということについて論じています。 1215年の第4回ラテラノ公会議で、年に一度の告解が義務づけられてから、告解は民衆にとっても聴罪司祭たちにとっても大きな関心事となります。ここでは、聴罪司祭は、信徒に対して「父」のようにあるべきだと教える史料があること、信徒が告解する際、「恥」が大きな障害となったこと、聴罪司祭は告解を聞いたら簡単に赦免を与えたこと、告解をためらう信徒に対して、優しく接するよう述べる史料についてなど、興味深い事例が紹介されます。

 第4章以降は、より神学的、というか、教義に関する聖職者たちの論争などがメインとなり、先にも書いたように、時代が私の関心のある時代より下っていることもあり、なかなかしんどかったです。それでも、史料がふんだんに引用され、具体的な例を挙げながら叙述されているので、楽しくもありました。

 第4章から第6章は、信徒が告解するにあたり、どれだけ悔い改めているのか、そのレベルに応じて聴罪司祭は信徒に対するふるまいを変えるべきなのかどうか、ということが論じられます。ここでのキーワードが、「痛悔」と「不完全痛悔」です。それぞれの概念も、時代、あるいは著作家によって異なり、信徒にいかに対応すべきかという考えも多様です。完全なる痛悔しかだめだという厳しい人もいれば、不完全痛悔でも、神への愛があればいいとか、二度と罪を犯さないように反省していればいいとか、優しい意見の人もいるわけですね。

 第7章から第8章では、聴罪司祭が信徒に与える赦免について論じられます。上の痛悔の話とも関わるのですが、反省が不十分だとか、告解が不十分だとか、とりあえず告解して赦免もらえたらいいや、という人々には、赦免を与えるべきではない、という厳しい意見も出てくるのですね。さらに、大罪に直接的につながっていくような「近い誘因」と、間接的につながっていく「遠い誘因」が区別され、信徒がどちらの誘因のために罪を犯したのかによって、赦免を与えるのかいなかの態度も多様になっていきます。

 第8章から第9章は、信徒の罪をいかに軽減できるかということに関する論争を扱っているといえるでしょう。「だれが? 何を? どこで? だれによって? 何度? なぜ? どのようにして? いつ?」これらの情状により、大罪が小罪とみなされることもあれば、小罪が大罪となることもあります。そんな中、厳格主義ではない、「弛緩説」の論者は、信徒の語る罪を大罪にするべきではないよ、というのですね。

 第11章から第13章は、章の標題にもある「蓋然説」がテーマとなるのですが、いまの私には難しかったです。なんとなく理解したのは、第6章で「不完全痛悔の困難な勝利」とあるように、不完全痛悔でもいいよという穏健な意見は、時代が下ると(17-18世紀)少数派になり、厳格派が多数派になるのですが、蓋然説(有名人が言っていることなら、他のことよりも蓋然的でなくても、それでいいよという寛容な立場)も、ほぼ同時期に攻撃にさらされるということです。

 第14章は、聖アルフォンソ・デ・リグオーリ(1696-1787)の考え方を具体的に見ていきます。彼自身は、厳格派の論者だったのですが、聴罪司祭としての実際の活動を通して、弛緩説に妥協することなく、悔悛者に安堵の念と心の平穏を与えようとつとめます。そのキーワードが、中庸と寛容なのですね。聖アルフォンソの次の言葉を引用しておきます。
「寛大さないし厳格さに与する人々は、私のことを厳しすぎる、あるいは寛大すぎると考えるにちがいない。厳しすぎるというのは、多くの重要な著作家たちに対して私が距離を置いたからであり、寛大すぎるというのは、私が自由に対して好意的な意見を認めたためである」(173-174頁)。
 その後は、具体的な問題に関する聖アルフォンソの考えが検討されていきます。

「結び」では、「告解は安心を与えたのか?」という最初の問いについて、明快な答えは出しがたい―答えは複数になってしまうといいます。ここでも、人々の態度の多様性が問題となります。自分がなんらかの大罪を犯したという意識をもち、赦免によって地獄行きの脅威から逃れられたと確信できた人々は、安心を得たであろう。他方、たとえば、慣例だから、あるいは復活祭の折に[告解しないからといって]非難のまなざしを受けたくないから告解してますよという人々は、さほど安心を得られなかっただろうといいます。なんというか、信じる者は救われるということでしょうか。
 ここでは、現代のある興味深い事例が紹介されています。ある青年が、結婚を承諾しなかった娘を殺します。ところが娘の両親は、裁判官とあっけにとられた傍聴人を前に、福音書を引用しつつ、わが子を殺した犯人を自分たちの養子とすると宣言したというのですね。他方、1989年、ある人物は自分の息子が拷問の末に殺されたという理由で、数百人のイスラム教徒を虐殺したといいます。
「一方に許しによる命の行いがあれば、他方には復讐のための狂気じみた殺人がある。われわれの個人的および集団的生活において、許し(忘却ではない)は天にかかる虹である。願わくは、この虹が今後も長いあいだ、この地球上に輝きつづけんことを!」(199頁)。この結びの言葉に、なんだか感銘を受けました。

 私自身は特定の宗教あるいは神を信じてはいないのですが、信仰のエネルギーというものにはものすごいものを感じます。宗教をめぐる紛争戦争しかり。上の例にあった、信仰による寛大な許ししかり。
 歴史学の話からはそれますが、主治医に何度も言われた言葉を思い出します。復讐は悲しみや苦しみしか生まないということ。許すという行為は、とてもエネルギーがいるということ。ひるがえって、自分が許されたときの安心感はとても大きいということを考えます。

 というんで、本書は内容は難しい部分もありましたが、興味深く読みました。
 ただ、序文で「(資料の)行間に、聴罪司祭の現実の行動と、告解を義務づけられていた普通の信徒の反応を見て取る」ことを本書の困難性と意義として掲げていますが、特に第4章以降の具体的な問題に関する聖職者たちの論争に入ってからは、「普通の信徒の現実」があまり見えてこないように思いました。

 邦訳版に付された「<解説>告解とは何か」も、告解の歴史の概観と、告解の具体的な手順を紹介してくれていて、便利でした。

*本書の最初の方では、聴罪司祭の「父」としての性格が強調されていて、そちらも興味深かったです。なお、ドリュモーには『父性の歴史・父親の歴史』という著書もあるようで、こちらも新評論から出版される予定だとか(「近刊」という言葉が信じられなくなっています)。






Last updated  2008.07.12 18:08:54
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