カテゴリ:西洋史関連(日本語書籍)
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』 ~PHP新書、2004年~ 東北大学大学院経済学研究科教授でいらっしゃる小田中先生による、平易な言葉で描かれた歴史学方法論についての一冊です。 本書の構成は次のとおりです。 ーーー 序章 悩める歴史学 第1章 史実を明らかにできるか I 歴史書と歴史小説 II 「大きな物語」は消滅したか III 「正しい」認識は可能なのか 第2章 歴史学は社会の役に立つか I 従軍慰安婦論争と歴史学 II 歴史学の社会的な有用性 第3章 歴史家は何をしているか I 高校世界史の教科書を読みなおす II 日本の歴史学の戦後史 III 歴史家の営み 終章 歴史学の枠組みを考える あとがき 引用文献リスト ーーー 数年ぶりに再読しました。 いくつか、印象に残った点を中心にメモをしておきます。 まず、第1章で語られる、歴史小説と歴史書の違いについて。 たとえば、史料や先行研究を丹念に読んで書かれた歴史小説があれば、その作品と歴史書の違いはどこにあるのでしょうか?本書での小田中先生の答えは、歴史書は常に根拠を問い続けている、ということです。ある事実を提示するにも、必ずそれはどの史料に基づくのか、どの先行研究に指摘があるのかを明示しなければなりません。そして、自分の判断を述べるときも、根拠が十分でなければ、その旨を示す必要があります。しかし、歴史小説には、そうした必要がない、というのですね。 なお、通読したものの記事は書けていない、遅塚忠躬先生の『史学概論』によれば、もう一点、歴史小説は「真実」を描くが、歴史書には「真実」は描けない、という点も挙げることができるでしょう。 非常にセンシティヴでナイーヴな問題を孕むテーマを扱っていますが、第2章を特に興味深く読みました。 本書で扱う問題のほか、近年とくに近隣諸国との領土問題が注目されています。こうした問題に、歴史学は役に立つのか。 小田中先生は、役に立つといいます。なぜか。 上でもふれたように、歴史学は常に根拠を示さなければなりません。近年の領土問題などのようにいろんな歴史像が提示される場合、それらの歴史像のなかでどの像に正当性が認められるか、それを判断するためには、根拠の提示・解釈の方法を見ていかなければなりません。そうした方法の蓄積があるのは、歴史学です。したがって、歴史学は社会の役に立つ、というのですね。 特に重要な部分を引用しておきます。 「歴史像の正当性を計る際に使える基準といったら、そこで提示される解釈や認識の正しさをおいてほかにありません。そして、歴史にかかわる解釈や認識の正しさについての知識を提供できる学問領域といったら、歴史学をおいてほかにありません。歴史学が提供する基準が絶対的に正しいという保証はありませんが、でも、基準自体をよりよいものにしてゆくことはできるはずです」(104頁) 上であげたような問題を論じるにあたって、根拠のない主義主張は話にならないということを、ある種の論者には分かってもらいたいものです。 第3章のIは、歴史教科書にも、近年の歴史学の議論が反映されていることを示しますが、とはいえ教科書は面白くありません。異常に覚えるべき事項がつめこまれているのももちろん、歴史の流れを断定的に記さざるをえないという教科書の性格にも、面白くない要因があると小田中先生は指摘します。教科書では、たとえある事実について歴史学の議論ではいろんな解釈が提示されているとしても、それらをいちいち紹介することができないのですね。 と、各章ごとに興味深かった点を中心にメモすることになりました。 なお、本書は、いろいろ興味深い啓蒙書を紹介しています。紹介された啓蒙書については、巻末にそのリストも掲載されていて、便利です。 ところで、歴史学を勉強していると、本書のように、「歴史学とは何か」「歴史学は役に立つのか」「歴史学に真実は分かるのか」といった、歴史学の方法論や存在意義について考えさせられることがしばしばです(史学概論の領域ですね)。 こうした、自分が営んでいる学問領域の意義について(特に「役に立つのか?」というような問題など)、他の学問、たとえば日本文学や英文学などや人類学などでも、考察する部門(歴史学にとっての史学概論のような)はあるのでしょうか。 大学という場を離れて何年にもなり、こういう問題で話をできる場がないのが時に残念な日々です(仕事もプライベートも充実しているので、幸せなのですけれど…)。 とまれ。 本書は、「です・ます体」の、とても読みやすい文体で記されているので、割と早く読了でき、内容もとても面白い一冊です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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