松村圭一郎『うしろめたさの人類学』
~ミシマ社、2017年~
著者の松村先生は岡山大学大学院社会文化科学研究科准教授で、文化人類学を専門としていらっしゃいます。
本書は、先生のフィールドワークであるエチオピアの事例を参考にしながら、日本、ひいては社会・世界と個人のつながりのあり方を考察するという、たいへん興味深い試みとなっています。
本書の構成は次のとおりです。
―――
はじめに
第一章 経済―「商品」と「贈り物」を分けるもの
第二章 感情―「なに/だれ」が感じさせているのか?
第三章 関係―「社会」をつくりだす
「社会」と「世界」をつなぐもの
第四章 国家―国境で囲まれた場所と「わたし」の身体
第五章 市場―自由と独占のはざまで
第六章 援助―奇妙な贈与とそのねじれ
終章 公平―すでに手にしているものを道具にして
おわりに 「はみだし」の力
―――
「はじめに」では、構築人類学の考え方が紹介されます。世の中、なんだか窮屈だ。どこかおかしい。しかしそういった世の中はそのように「構築」されている、だから「再構築」することもできるのではないか。そこから生まれる希望が、「構築人類学」の鍵だというのですね。
第一章から第三章は、「わたし」と社会の関係を描きます。
第一章は、チョコレートを例に、店で買うときとバレンタインデーに贈り物をするときの違いから、「商品」と「贈与」の違いを指摘します。このふたつのやりとりの最大の違いは、「商品」には「思い」が差し引かれていて、「贈り物」には「思い」が込められている、というのですね。そして「商品」は等価なものとの「交換」です。日本人には交換のモードがしみついている。ですから、たとえば物乞いに対して何も渡さないとき、「自分は何もこの人から得られない」と自分を正当化する。一方、エチオピアでは、物乞いに批判的な言葉も言いながらも、乞われたら何かを渡すという光景がよく見られるそうです。ここに、著者は「交換」ではない「共感」を見ます。
第二章では、「感情は、「こころ」にあるのではなく、モノのやりとりとのパターンの中に「表示」される」という興味深い指摘がなされます。赤ちゃんをあやすのにふくれっ面をする親に、「何を怒っているの!」と指摘する人は基本的にはいません。つまり、ふくれっ面=怒りと固定されているわけではなく、いろんな文脈によるわけですね。「職場の同僚なら、個別に支払をするほうがいい。でも、恋人同士であれば、割り勘にすると、愛情がないと疑われてしまう。」交換の関係は、さばさばして気が楽ですが、どこかそっけない感じがします。一方、贈与の関係はいろいろと厄介です(何を贈ったら喜んでもらえるだろう…)。だからこそ、そこで生じる感情や共感は強いものとなります。
第三章では、「Aさんとはこういう関係だからこうする」というように、相手との「関係」が先にあるのではなく、ふたりのあいだの「行為」が手掛かりになって、やっとその「状態」が理解できるようになる、という、これも一般的な感覚と逆の興味深い指摘がなされます。「Aさんは同僚だからプライベートな話をしない」だけでは進みませんが、Aさんとプライベートな話をすれば、「距離が近くなった」と感じるはずです。エチオピアでは、近所の人と一緒にコーヒーを飲む時間を大切にするそうですが、たとえばお隣さんとケンカしてしまうと、しばらくは呼ばなかったり…。このように、人々の行為が、「関係」のあり方を示している、というのですね。そしてだからこそ、「関係」は自分たちで変えていくことができるのです。
このような、「経済」「感情」「関係」から、「わたし」たちは社会を作っている。前半で、このことを確認し、第四章以降は「社会」と「世界」のつながりを論じます。
後半からは、第四章の国家についてのみメモしておきます。日本では、国家はその揺るぎなさを信頼されていて、国家なしの生活は想像できないと思います。首相がかわっても、基本的に日々の生活は安定して続いていきます。しかしエチオピアでは、首相がかわると、暴動が起こるなど、日々の生活への影響もあります。
また、エチオピアは独裁政権で、政権への批判的な言動をすると捕まったりします。一方、戸籍制度は日本とは違い、一人が複数の名前を持ち、パスポートに記載する名前も自分で決められるとのこと。しかし日本では、政権への批判もできますし、独裁国家でもありませんが、氏名住所などは全て役所に届け出て、管理されています。
エチオピアの方が良いとか、日本の方が良いとかいうのではありませんが、日本人の方が、国家の存在を前提として生きている、ということが見えてきます。
第五章、第六章のメモは省略しますが、本書から(エチオピアとの比較から)見えてくるのは、わたしたちが「当たり前」と思っていることは、決して普遍的なことではない、ということ。そして「わたし」たち一人一人が社会を構築しているのだから、社会は変えていける、という希望です。
こんな「社会」だから仕方がない、ではなくて。
いきなり、自分一人で社会を変えることは難しいですが、少しずつ良くしていくことはできるのではないか。少なくとも、そう気づける、貴重な読書体験でした。
・その他教養一覧へ