後藤里菜『〈叫び〉の中世―キリスト教世界における救い・罪・霊性―』
~名古屋大学出版会、2021年~
著者の後藤先生は立教大学などで非常勤講師をつとめていらっしゃいます。
2012年開催の西洋中世学会でのポスターセッションで後藤先生のご発表を拝聴する機会があったのですが、敬虔な生活を送る女性たちと〈叫び〉の関係を論じるという興味深いテーマで、印象に残っていました。その後も、『思想』1111号(2016年)所収の「中世キリスト教世界の〈叫び〉―都市に生きる女性宗教家を中心に―」(42-64頁)という論考を興味深く読んでいました。
本書は、そんな後藤先生の博士論文をもとに、いくつかの書下ろしも含めて加筆修正がなされた一冊です。
本書の構成は次のとおりです。
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はじめに
第1章 救いの叫び、罪の叫び
A 日常的信心業、聖なる世界との繋がりにおける〈叫び〉
B 悪魔と罪人の〈叫び〉
結び
補論1 中世の音楽と〈叫び〉
第2章 「敬虔な女性たち」の叫び―新たな聖なる〈叫び〉」の展開
A 盛期中世以降の〈霊性〉の展開と「敬虔な女性たち」の台頭
B 新たな〈霊性〉と「聖なる〈叫び〉」の変容
結び
補論2 感情の〈叫び〉を追って
第3章 集団的宗教運動と〈叫び〉
A 十字軍運動の中の一般信徒―神の〈叫び〉、神への〈叫び〉
B アレルヤ運動、鞭打ち苦行運動―〈身体〉の宗教運動と〈叫び〉のゆくえ:13世紀から14世紀
C ジェズアーティ会の運動とビアンキ運動―〈救い〉への「過程」となる〈叫び〉の展開:14世紀後半
結び
補論3 絵画から見る世俗の〈叫び〉
おわりに
あとがき
註
参考文献
索引
―――
第1章が一般的な人々の叫び、第2章が敬虔な女性たちの叫び、第3章が集団的宗教運動の中での叫びを扱い、それぞれの中にも様々な種類があることや、そして社会の中で叫びが持つ意味を明らかにする、非常に興味深い1冊です。
第1章では、修道士の心の中での祈りも「叫び」と称されたが、修道士が実際に大きな声で叫ぶことは否定的にみられていた一方、俗人は救いを求めて実際に大きな声で叫ぶことも許容されたという対比が説得的に示されたり、エクセンプラ(例話集)、異界探訪譚などの史料から地獄での叫びや聖人への叫びなどを抽出しその意味が論じられたりと、興味深く読みました。
第2章は、私も関心を持っているジャック・ド・ヴィトリ(本書ではヴィトリーのヤコブスと表記。1160頃~1240年)が著した『ワニ―の聖マリ伝』などの聖女伝を主な史料として、敬虔な女性たちの叫びを分析します。ここでは、マルガレータ・エーブナーという人物に見られるように、聖性の欠如や過多に反応して日常的に泣き叫ぶことが、最終的な天国の喜びに満たされた沈黙に至るまでの「過程」として描かれているという指摘が興味深かったです。その他、神を求めての叫び、自分の罪を悔いての叫び、神から与えられた叫びなど、様々な種類の叫びについて論じられます。
第3章は、十字軍運動などの宗教運動の中に見られる叫びを扱います。ここでは、いくつかの文献で目にしていた「アレルヤ運動」についての概観が得られたのが嬉しかったです。邦語ではほとんど紹介がないのでは、と思われます(少なくとも該当部分の註に邦語文献は挙げられていません)。1233年、ベネデットという俗人の呼びかけで展開した平和運動で、集団での行列とそれを受け(あるいは利用して)展開された巡歴説教師による平和運動をあわせて、こう呼ばれるとのこと。また、池上俊一『ヨーロッパ中世の宗教運動』でも詳細に論じられている少年十字軍や鞭打ち苦行運動について、「叫び」の観点から論じられているのも興味深いです。
また、書籍化にあたり書き下ろされたという補論も面白いです。特に補論3では、以前から気になっていた泣き女について、(私が読んできた中では)やや詳しい説明がなされていて、今後の勉強の手掛かりになります。ありがたいです。補論2では、近年紹介が進んでいる感情史と本研究の連結もなされていて、こちらも勉強になります。
以上、自身の関心に引き寄せた簡単な紹介となってしまいましたが、たいへん興味深く読みました。
(2021.10.12読了)
(2022.12.17一部修正)
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