甚野尚志『隠喩のなかの中世―西洋中世における政治表徴の研究―』
~弘文堂、1992年~
甚野尚志先生は早稲田大学文学学術院・文学部教授で、西洋中世史がご専門です。
本ブログでは、以下の編著を紹介したことがあります。
・甚野尚志/堀越宏一編『中世ヨーロッパを生きる』東京大学出版会、2004年
・甚野尚志/踊共二(編)『キリスト教から読み解くヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2025年
・堀越宏一/甚野尚志編『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』ミネルヴァ書房、2013年
本書は、甚野先生最初の単著で、表題のとおり、「中世ヨーロッパの社会論の中核をなす隠喩による社会の理解について見て」いくことで、「中世ヨーロッパの人々がみずから考え、感じていた自身の社会のイメージを、より正確に再現する」(21頁)ことを目的とします。
本書の構成は次のとおりです。
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序章 中世ヨーロッパの社会像
第1章 蜜蜂と人間の社会
第2章 建造物としてのキリスト教社会
第3章 人体としての国家
第4章 チェス盤上の諸身分
終章 コスモスの崩壊
あとがき
図版出典一覧
注
索引
―――
序章は、中世ヨーロッパの社会像―主に身分観―を表現する様々な隠喩を紹介し、本論各章の導入となっています。
第1章は、人間の社会を蜜蜂の社会になぞらえる隠喩について論じます。人間社会の正当化・意味付けを行う様々な史料を読み解きながら王蜂の存在による王制を正当化や、分業による義務の遂行など、具体的な意味付けの諸相を見ていきます。興味深かった点を2点メモ。ひとつは、メロヴィング朝キルデリック1世の墓から見つかった蜜蜂と思われていた副葬品の昆虫の模型が、セミだと明らかにされており、これは中国にあった副葬品として蝉を墓の中に入れる慣習が伝わったものだろうと推定されているという指摘。もうひとつは、ドミニコ会士トマ・ド・カンタンプレによる『蜜蜂の普遍的善』について詳細な紹介がなされていることです。後者は私が関心を寄せる「例話」exemplum研究でしばしば取り上げられており、あらためて勉強になります。
第2章は、建築物による社会の隠喩について論じます。教会のあり方、国家のあり方が、教会堂や館などになぞらえられます。支柱の重要性、建物だけでなく船―さらに具体的にはノアの箱舟―による隠喩など、興味深い事例が多いです。ここでは、神学者ホノリウス・アウグストドゥネンシスによる、教会が説教者を示すとの考え(79-80頁)や、ベーダによる、館の4つの支柱が4つの人間の身分(祈る者、戦う者、商人、働く者)に対応するとの議論(92-93頁)など、自身の関心に照らして重要な指摘があり、勉強になりました。
第3章は、国家を人体になぞらえる隠喩について論じます。たとえば、ソールズベリのジョンは、魂=聖職者、頭=君主、武装した手=戦士、足=農民と手工業者などのように、人体の部分と社会の身分を結びつけ、それぞれの意義を述べていますが、ほかの著作家による議論も含めて、その対応関係を表にして整理してあるので、たいへん理解しやすいです。ここで特に印象的だったのは、キケロによる愚痴のことばです。「もし一つ一つの四肢が、自分だけが健康であろうとして、隣の四肢の活力を自身に奪うとすれば、体全体は弱り死んでしまうだろう。そのように、我々の一人一人の者が、他人の利益を我が物にし、それぞれがみずからの権利によって得たものを略奪するとすれば、人間の社会や共同体は必ず崩壊する」(125-126頁)。2000年以上も前の言葉が、こんにちにも(特に昨今はより鮮明に)通用していると感じます。
チェスによる人間社会の隠喩について論じた第4章は、最も興味深く読みました。とりわけ、ドミニコ会士チェソーレのヤコブスによる『人間の習俗と高貴な人々の職務、またはチェスの遊びについて』という史料は、著者によれば「さまざまな身分の者に向けた説教範例集」(202頁)とのことで、私自身の勉強のテーマに直結する非常に興味深い史料です。この史料について、後世への影響も含めて詳細に論じられており、勉強になりました。
終章は、以上のような隠喩による社会の理解は、中世的な世界が崩壊した後は、「主として詩や社会風刺のなかでの寓意的表現として、作家や詩人の想像力のなかにのみ見いだされるものとなった」(244頁)と総括し、隠喩による社会の理解が中世に特徴的だったということを強調します。
こんなにも自身の勉強につながるテーマと知らず、読むのが遅くなったのが悔やまれますが、大変勉強になる1冊でした。
なお本書は『中世ヨーロッパの社会観』講談社学術文庫、2007年として改訂版が刊行されています(私は未見)。いろんな事情があるのでしょうが、タイトルは原著の『隠喩のなかの中世』がずっと素敵だと思っています。
(2026.04.03読了)
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