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Sep 28, 2010
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中学から高校時代、とにかくクラシックが嫌いだった。でも、実際のところはクラシックそのものが嫌悪の対象なのではなく、自分がその時に置かれた聴いたり聴かされるたりした環境(状況)とそれを取り巻く人間が対象だったのだと思う。クラシックという音楽ジャンルが嫌いというのはあり得ない話なのだ。

私のクラシック嫌いの始まりは、まずは周囲でクラシックを聴いていた人の質が悪かった。これに尽きる。クラシックを愛聴するのはいいが、音楽ではない自分の知識やウンチクひけらかしで悦に入ったり、やたら気取りや高尚ぶる人が多かった、というのが第一の元凶(災難)となっている。簡単に言えば、自己顕示欲の強い格好つけな人なのだが…。もう一つの元凶は学校の音楽授業だ。当時の小中学校では基本的にクラシックを聴かせるのが音楽の中核だった。教師によってはそれ以外は音楽ではないような空気さえ漂わせるのがいた。「○○くん、たまには、ちゃんとした音楽も聴きましょうね」と言われてもこっちは納得がいかない。「何がちゃんとした音楽なのか、それをはっきり言ってくれよ」という割り切れない思いに駆られる。こうなると楽曲やジャンルじゃなくなり、私怨になる。音楽を聴いて私怨が湧き上がってくるなんて最悪だ。

そんなわけで、クラシック聴くと胡散臭い人々の顔や台詞が同時にしゃしゃり出てきて脳裏に諸々が蘇ってた。その当時はクラシックが自分の中に汚物のような人たちをもたらすトリガー(引き金)だったのだ。結局、クラシック=汚物な人々という式が成り立ってたんだろう。クラシックへのバイアスとも偏見ともいえるものがこうして形成された。本当は素晴らしい作品や感動を受けるものがたくさんあった筈だ。にも拘わらず、長い間自分の中ではタブーになっていた。何もかも他人のせいにしているが、実に損していたと思う。

本質がどんなに良くても自分の中で悪くなってしまうところが哀しい。それはもう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いに限りなく近い。変態に出会ったせいで嫌いなわけでもない本質を嫌悪してしまうという模様である。

ある音楽ジャンルを必要以上に嫌悪する場合、こうした心理や精神的なストレスを経験していることが多いのではないか。このクラシック現象とは別に私は高校時代ジャズがイマイチ好きになりきれなかった。それは、同級生にジャズファンがいてこいつが前述したインチキ臭さ満点野郎だったのだ。それとこの男にも「ジャズ以外は音楽じゃないね」みたいなどこかみみっちさが口の端々に現れていた。「あのスカシ野郎!」みたいな思いを抱いた時期があった。危うくジャズもトラウマ化するところと思いきや、クラシックほどのストレスやトラウマを憶えることはなかった。もうそういう年齢は過ぎていたのかもしれない。それどころか、その知ったかぶり同級生をおだてて次から次へとレコードを買わせ、それを最大限に利用させてもらった。むしろ私の方が悪だったかもしれない。

なんだか、心理分析みたいな内容になってしまったが、自分自身の音楽嫌悪傾向を振り返ってみると、音楽そのものよりもそれを取り巻く要素の方がはるかに大きかったりする。食わず嫌いというのは案外こういう関係ないものの刷り込みから起こるのかもしれない。以前のブログにも書いたが、最初に聴いたアルバムの中身が合わなかったとかでそのジャンルやバンドの全体をネガティブに見てしまう、というのもそれに類するだろう。案外些細で狭量な理由で嫌いになったり、悪印象を持ったりするものなんだな。その程度のことで影響を受けている、自分の性格やパーソナリティそのものもみみっちいんだな。こうやってくだらないことで本質を外し見誤ってしまう。

それにしても、一を聴いてあるジャンル全てを否定すること自体愚行だし無理のある話なのだ。そうした歪さを醸成してしまう自分自身の問題もある。また、こうした歪みを自分の中に形成するとこれを書いている本人(つまり私自身)も同じような愚行を犯したりする。他人に自分の音楽的な価値観などを知らず知らずのうちに刷り込もうとする胡散臭さを放散するようになる。ミイラ取りがミイラになる、みたいな構造になっていたりする。(嫌だ、嫌だ)でも、やっぱりその傾向はあるのだ。歪みは歪みを呼び、それを形成する。それよりも胡散臭い奴を目の前にしたら、「おまえの言うこと胡散臭いから嫌いだよ」とはっきり相手を否定した方が健全なのかもしれない。そうすれば少なくとも本質は歪まないのではないか。ストレスも少なくて済みそうだ。そうなると、やっぱりそれを面と向かって言う勇気が大事なんだな。

重ね重ねになるが、トラウマというか強い偏見のようなものは別の形で歪みとなって自分にキックバックされるケースは多い。そして、それによって形成された自分のこだわりがこんどは他人へ影響を与えようとする意識の温床にもなり得る。かつての被害者が加害者というのに似ている。なんとも皮肉だ。

こだわる内容にも依るが、自分のこだわりはそれはそれで構わないが、やはり他人へは気をつけたい、とこの頃よく思う。






Last updated  Sep 28, 2010 01:48:10 PM
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