006633 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【お気に入りブログ登録】 【ログイン】

わたしのブログ

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >

2018年01月06日
XML
カテゴリ:クラシック音楽
中年アマチュアのピアノ演奏 (2)

作曲:ベートーヴェン
曲目:ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 Op.27-2 「月光」 第1楽章
場所:ローズ文化ホール
楽器:Stainway & Suns
機材:忘れました...

小学校卒業以来ほとんど弾いていなかったピアノですが、ごく身内の演奏会に半強制的に駆り出されることがたまにありました。ほとんどがひどい演奏でしたが、この時だけはピアノがスタインウェイだったこともあり、ピアニストになった気分で夢見心地で頑張って弾けました。今はこの時より指が硬くなっていて、こんなふうにはとても弾けません。地道に練習中です。







最終更新日  2018年01月06日 10時10分05秒
コメント(0) | コメントを書く

カテゴリ:クラシック音楽
中年アマチュアのピアノ演奏 (1)

作曲:ベートーヴェン
曲目:ピアノソナタ 第8番 ハ短調 Op.13「悲愴」第1楽章
速さ:四分音符=約100 (かなり遅め)
楽器:YAMAHA Clavinova CLP-133
機材:SONY HandyCam HDR-CX670

私は小学6年間ピアノのお稽古をしましたが、反抗期が災いして卒業と同時にやめてしまいました。ソナチネアルバムからソナタアルバムに入る頃で今から思えば本当にもったいないことでした。やめた後も遊び程度には触っていましたが、社会人になってすっかりご無沙汰してしまい、気がつけば40年が経ちました。

最近Facebookで知り合ったお友達の活躍にかなり刺激を受け、一念発起してピアノの練習を本格的に再開しました。普通のサラリーマンで時間が十分に取れるわけではありませんが、半年間の地道な基礎練を経てようやくこうした形まで復活させることができ、私と同じように長くブランクが空いた人もその気になれば十分ここまで弾けるようになるんだという想いを伝えたくて公開します。

月1回レッスンを受けていますが、ピアノの先生ではなく、ごく普通のアマチュア(40代の女性)に教えて頂いています。この先生は、プロのピアニストに個人レッスンを受けた経験をお持ちで、専門的な知識やスキルはありませんが、ピアノの弾き方や音楽を演奏する心得などを熟知され、基礎的なテクニックもしっかりしているので、毎回のレッスンがとても楽しいです。

アラフィ、フォ世代は子供の頃にピアノブームでしたので同じような方が多いと思います。ぜひ頑張って再開されてみてはいかがでしょうか。子供の時とは違って演奏する楽しみが本当に深まりますから。







最終更新日  2018年01月06日 10時00分18秒
コメント(0) | コメントを書く
2017年11月01日
カテゴリ:クラシック音楽
★出典はこちら★(SJISのためスマホでは文字化けします)

「第九」演奏の歴史
~日本編~

<ドイツ人捕虜らによる日本初演(1918年6月1日)>

1918年6月1日、徳島に収容されていたドイツ人捕虜たちが編成したオーケストラ、徳島オーケストラの第2回演奏会で、ベートーヴェンの「交響曲第九番」が演奏されました。この演奏こそが、本邦における「第九」の初演とされています。

本番に先立つ5月31日には、のちに大阪外語大の教授になったヘルマン・ボーデル水兵が「ベートーヴェンの第九交響曲に添えて」と題する講演を行っています。そして、5月31日が公開ゲネプロ(ゲネラル・プローベ=総練習)、6月1日が本番、ということです。

指揮は沿岸砲兵隊軍楽隊長ハンセンで、80人編成の強力な合唱団の友好賛助出演を得ての演奏でした。
この演奏会のことは長い間忘れられていたのですが、豊橋技術科学大学の富田弘教授と徳島県立徳島中央高等学校の林啓介教諭の20年がかりの調査により明らかになりました。

初めての「第九」演奏はかなりの好評を博したらしく、8月には再演されています。その様子を音楽愛好家の徳川頼貞侯爵(1892-1954:紀伊徳川家 第16代当主)が著書「蒼亭楽話」の中に記しています。もっとも、この再演で演奏されたのはハイドンの「驚愕交響曲」の1、2楽章とベートーヴェンの「第九交響曲」の1楽章だけでした。

徳島オーケストラの資料の大部分と、指揮者ハンセンとオーケストラの写真は、鳴門市のドイツ館に保管されているそうです。大鳴門橋からすぐの所ですので、四国以外の方も、四国へ渡られた際には是非お立ち寄り下さい。
(筆者は前を素通りしただけで、まだ入ったことがないのですが。)

<日本人による初演(1925年11月29日)>

日本人による「第九」の初演は、1925年11月29日と30日の両日に行われました。東京音楽学校(後の東京芸術大学)第48回演奏会でのことです。演奏をしたのは、講師生徒あわせて200余名。指揮をしたのはドイツ人のグスターフ・クローン。もともとヴァイオリニストで、ニキシュやリヒャルト・シュトラウスの指揮するベルリン・フィルと全世界を回った経歴の持ち主です。

演奏会は大盛会で、開演の数時間前には入場希望者の列が音楽学校の門を溢れ、となりの美術学校の前まで続いていたといいますし、奏楽堂の中では、溢れた聴衆が両側の通路まで満たしていたといいます。好評につき、同年の12月6日には、早々と再演が行われています。

その次に「第九」が演奏されたのは、ベートーヴェンの没後100年にあたる、1927年のことでした。これがプロのオーケストラによる「第九」の本邦初演になります。オーケストラは、現在のNHK交響楽団の前身にあたる、新交響楽団。指揮はヨーゼフ・ケーニヒ、独唱者は松平里子、斎藤英子、木下保、内田栄一、合唱は日本音楽学校です。この演奏会は、4月28日から5月3日にかけて、4回行われました。

その後、日本における「第九」の演奏は、新交響楽団の独壇場となります。1928年から1935年までに、近衛秀麿の指揮で11回(1928年12月18日および19日に「第九」が演奏されています。12月における本邦初の「第九」の演奏であるとともに、日本人の指揮者による初めての「第九」です)、1936年には貴志康一の指揮で2回、1937年から1941年までにジョセフ・ローゼンストックの指揮で10回。1942年には日本交響楽団と改称した同オケを山田和男(後の山田一雄)が指揮して、12月26日と27日の両日に演奏会を開いています。

<関西初演(1936年11月17日)>

新響(N響)により、東京で第九が次々と演奏されている中、関西における「第九」の初演が行われました。1936年11月17日、京都宝塚劇場でのことです。指揮はエマヌエル・メッテル、オーケストラは京都帝国大学交響管弦楽団(現・京都大学音楽部交響楽団)、合唱は大阪音楽学校合唱団でした。

その後、同オケは「近衛(秀麿)版第九」も演奏していますが、残念なことに数年前の火災でこの楽譜は焼失しました。
(筆者は京大オケの出身で、先にも触れました、故・山田一雄先生にも振っていただいた経験があるのですが、関西シティフィルハーモニー交響楽団にも京大オケ出身者は何人も在籍しています。その中には、「近衛版第九」の経験者もいて、この火事のことは大いに悔しがっています。)

<第二次大戦後の演奏と”年末の第九”(1948年以後)>

新響(N響)以外のプロのオーケストラが「第九」を取り上げるようになるのは第二次大戦後のことでした。
1948年には近衛秀麿の指揮で東宝交響楽団(東京交響楽団の前身)が、また、朝比奈隆の指揮で関西交響楽団が「第九」を取り上げています。
(ついでながら宣伝いたしますに、朝比奈隆先生も京都大学音楽部交響楽団のご出身です。先に触れましたメッテル先生の薫陶を受け、一旦阪急電鉄に入社後、音楽の世界に戻ってきたという変わった経歴の持ち主です。)

12月に「第九」を演奏する、いわゆる”年末の第九”が恒例化したのは、1947年、レオニード・クロイツァー指揮の日本交響楽団が12月9日、10日、および13日に演奏して以来のことです。その後、日本交響楽団および後身のNHK交響楽団では毎年のように12月に「第九」を演奏しています。

この習慣が生まれた原因は、
「第九」をやるとお客さんが入る → 従って、おカネになる
ということのようです。

アマチュアの合唱団が「第九」を盛んに歌うようになってきたのは1960年代以降のことです。このころから日本のアマチュア合唱団の実力は「第九」という難曲を歌えるほどに向上してきたのです。合唱団の人たちも年に一度はこの難曲に挑戦してみたいと思うようになってきました。

そして、1983年の年末に、大阪に1万人以上の合唱による「第九」が出現しました。また、「すみだ第九を歌う会」は、1985年2月22日に、ハイデルベルク大学の創立600年記念祭に招かれ、ハイデルベルク交響楽団とドイツ・バッハ協会合唱団とともに、石丸寛の指揮で「第九」を演奏しています。

この時に参加したのは185名ですが、最高齢は85歳の男性で、さらに、芸者衆が3人混ざっていて、現地の人たちの関心を得たと言うことです。「歌う会」は、「Deine Zeuber binden wieder, was die Mode streng geteilt」のドイツ語発音を、「台寝 津会うベル ビン出ん微出る バス出 詣で 酒取れん 下駄いると」と日本語に音訳するようなこともやってのけています。(筆者としては、こちらの方が覚えにくいのですが。)

我が国で年末に「第九」を歌う人口は、20万人を越えると言います。これは世界でも異例のことで、外国の指揮者が来日して、この事実を知ると、必ず驚きます。わが関西シティフィルハーモニー交響楽団のマエストロ(第33回定期演奏会当時の常任指揮者)、ズラタン・スルジッチ氏も例外ではありません。

ヨーロッパでは「第九」は音楽祭の締めくくりなどで演奏されることが多いようです。また、ドイツの多くの都市で年末に締めくくりに「第九」を演奏する習慣はあるようですが、日本のように何度も演奏することはないようです。

(転載おわり)






最終更新日  2017年11月01日 11時10分50秒
コメント(0) | コメントを書く
2017年10月30日
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載9)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


Ⅶ.ポスト・カラヤンの時代~20世紀末の名指揮者達~

1989年にカラヤンという大スター指揮者が亡くなった頃、同世代であったベーム(1894~1981)、ムラヴィンスキー(1903~1988)、バーンスタイン(19
18~1990)という世界的指揮者が次々と無くなり、音楽評論家に言わせると、指揮者の「没個性化」の時代が始まりました。「3大巨匠のレコード」をひたすら聴いた世代の方々にとっては、何とも個性が無い指揮者ばかりになってしまいました。

これは指揮者に限ったことではありませんが、「3大巨匠」の頃に活躍した演奏家のレコードを聴けば、誰の演奏なのかが分かるほど、それぞれに個性がありました。

このサイトでは「無個性」「現代的なスタイル」と指揮者の演奏方法を表現していますが、20世紀末には、トスカニーニが提唱した「作曲者至上主義」が行き過ぎて、「楽譜通りに演奏出来ない指揮者はプロとしては失格」という教育や風潮の元に育った指揮者達が世界の主要ポストを任され始めたため、誰の演奏を聴いても同じように聴こえるようになってしまいました。コンクールの弊害とも言えましょうか。

どちらがいい、というのは、言えません。音楽は感受性の問題だからです。けれども、このサイトはあくまで「名曲の名盤」を中心に扱っているわけですが、この頃に活躍した少数の指揮者を除いては、地位や名声に比べて、「名盤」として紹介されているCDがごくわずかな指揮者達ばかりなのも事実です。「サラリーマン指揮者」と揶揄されることもあります。

そんな中でも、「20世紀最後のカリスマ指揮者」と呼ばれたカルロス・クライバーと、一気にクラシックの歴史上最高のブルックナー指揮者に上り詰めたヴァントと、Ⅴ-Aでご紹介したアバド、古楽器演奏でブレイクしたアーノンクール、管弦楽曲の名盤は数え切れないプレヴィンとデュトワの6人を、まずご紹介しましょう。

・ヴァント(1912~2002)ドイツ
何と80歳代まで陽の目を見ることが無く、ひたすらドイツにこもり、ドイツ音楽の研究に没頭した指揮者です。Ⅳでご紹介したヨッフムと同じタイプのドイツの指揮者ですが、クラシック音楽の指揮者の歴史上、類を見ないほどの、究極とも言える超晩成型の指揮者でした。90年代に、ベルリン・フィルと録音したブルックナーの演奏は、いずれも過去最高の評価を受けたのですが、10年もしないうちに亡くなってしまいました。クラシックの歴史上、最高のブルックナー指揮者です。

・アーノンクール(1929~2016)オーストリア
Ⅱでもご紹介しましたが、古楽器演奏と、現代楽器の演奏の二刀流の代表的な指揮者でした。現代楽器としてはウィーン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ヨーロッパ室内管弦楽団などと、古楽器演奏では「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」を率いて、膨大な録音と多くの名盤を残しました。

・プレヴィン(1929~)アメリカ
詳しくは「名指揮者列伝」の項で。世界で最も有名な指揮者の1人とされています。映画音楽を手がけたり、プロのジャズ・ピアニストであったりと多才で、演出性のある音楽を指揮させたら天下一品。数え切れないほどの名盤があります。現在はNHK交響楽団の終身名誉指揮者の1人ですが、高齢なため、来日の機会があるのかどうか…。

・カルロス・クライバー(1930~2004)オーストリア
Ⅱでご紹介したエーリヒ・クライバーの息子で、1970年代のデビュー録音では世界中を震撼させ、「天才」と称されました。その後も特定のポストに就くことはありませんでしたが、ウィーン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウや、世界の第1級のオペラ場での演奏で、発売されているほぼすべてのCDが、その作品のベストを争う名盤として語り継がれています。いつ指揮台に上がるか分からず、またスキャンダルやキャンセルも多く(来日公演もありました)、レパートリーはかなり少ないなど、神秘性に満ちていましたので、カリスマ視された指揮者でした。詳しくは「名指揮者列伝」の項で。21世紀になっても、一向に指揮台には立たず、どこにいるのかさえ分からなかったのですが、突然の訃報に世界中のファンは落胆しました。

・アバド(1933~2014)イタリア
カラヤンの後を受け、ベルリン・フィルの第5代目の常任指揮者というポストを手中にしました。マーラー以外は、特にこれといった名演を残せなかったと言われていますが、協奏曲も含めると、大変多くの名盤を残してくれました。歌心溢れるイタリア出身の指揮者であるアバドには、何でも求められる「サラリーマン指揮者」は性分に合わなかったのでしょうか。ガン克服後は、若手を中心とした自ら設立した楽団を指揮して活動していました。

・デュトワ(1936~)スイス
詳しくは「名指揮者列伝」の項で。現役最高のフランス音楽の指揮者として知られています。また、管弦楽曲においても相当数の名盤を残しています。ヨーロッパで大成功したわけではありませんが、無名に近かったカナダのモントリオ-ル交響楽団を鍛え上げ、一流のトップオーケストラにまで育てました。ピアニストのアルゲリッチ、ヴァイオリニストのチョン・キョンファの元夫でもあります。

その他にも、20世紀末から21世紀にかけて活躍した世界的指揮者たちをご紹介します。残念ながら、「名盤」として当サイトで推薦している演奏の少ない指揮者たちです。

・マゼール(1930~2014)フランス
音楽界で「天才」という表現はよく使われますが、マゼールこそは天才中の天才。なにせ8歳の時にニューヨーク・フィルを指揮してデビュー。11歳の時には、かのトスカニーニに認められてNBC交響楽団を指揮、10代の時にはほぼアメリカの一流オーケストラを指揮したというのですから、尋常ではありません。更に、晩年になっても、見開き2ページの楽譜ならば1分半で記憶できたといいます。ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就いたり、クリップス(訳注:ボスコフスキーの誤り)の後を受けて、今となっては最後の「ニューイヤー・コンサートの常任指揮者」(毎年指揮します)に就いたりと、経歴はまことに素晴らしいのですが、ほぼ当確だったベルリン・フィルの音楽監督の座をアバドに奪われた後は渡米し、ニューヨーク・フィルの音楽監督となりました。そして、2008年には、アメリカのオケとしては初めて、北朝鮮で演奏を行なったことは、歴史的快挙とされています。

・メータ(1936~)インド
アジア人として、最も成功した指揮者の1人です。自身はウィーンの音楽大学で学びましたが、23歳でウィーン・フィルを指揮したのは、当時、アジア出身の指揮者としては奇跡的なことでした。また、1990年にはアジア人としては初めて(小澤よりも10年早いです)、「ニューイヤー・コンサート」の指揮台に立ちました。合計4回もこの舞台に立ち、ウィーン・フィルとは非常に良好な関係にあります。それだけ、本場で高い評価を受けているという証でしょう。現在はイスラエル・フィルの音楽監督を務めています。芸風は、この世代には珍しくスケールの大きな巨匠風のスタイルですが、これという名盤はありません。なお、2011年3月には多くの外国人指揮者の公演がキャンセルされる中、NHK交響楽団を指揮し、震災直後の日本において、チャリティー公演を行いました。

・小澤征爾(1938~)日本(満洲)
詳しくは「名指揮者列伝」の項で。メータと共に、最も成功したアジア出身の指揮者の1人です。何せウィーン国立歌劇場という、世界最高のオペラ劇場の音楽監督のポストに就き、2002年に、メータよりは遅れながらも、アジア出身指揮者として「ニューイヤー・コンサート」の指揮台に立ちました。「出世」という意味では、アジア出身の指揮者で歴代最高の地位に
までのぼりつめました。

・ムーティ(1941~)イタリア
VーAでご紹介したイタリア人指揮者です。特にイタリア出身の作曲家のオペラでは、ほとんど無名の作曲家の作品まで録音している、貴重な指揮者です。ウィーン・フィルとかなり良好な関係を築いたほか、ミラノ・スカラ座管弦楽団を手中にするなど、超一流のオケに恵まれた指揮者です。現在はシカゴ交響楽団の音楽監督として活躍しています。

・レヴァイン(1943~)アメリカ
ウィーン・フィルの客演指揮者としても活躍し、録音がたくさん残っていますが、何といっても40年近く、ニューヨークにあるアメリカ随一の歌劇場であるメトロポリタン歌劇場の芸術監督を務めました。近年は、2011年だけでも3度手術を受けており、体調が心配されましたが、2013年以降は指揮活動を再開しています。


Ⅷ.21世紀の名指揮者達~

21世紀になって、まだ20年弱ですから、ここ10年間の活躍で、名盤を輩出している指揮者たちをご紹介します。できれば、新進気鋭、若く、今後の活躍が期待できる指揮者達もご紹介したいのですが、今後、どのような評価を受けるのかは正直分かりません。

すでに何枚かの名盤の録音がされていたり、世界の重要なポストに就いている指揮者たちをご紹介することに留めて、いずれここに追加していこうと思っています。

今後の活躍が期待されるヤンソンス(1943~)、シャイー(1953~)、ティレーマン(1959~)、ハーディング(1975~)、及びドゥダメル(1981~)らは、名盤の数が少ないためにここでは割愛しました。

21世紀になってからのクラシック音楽と、20世紀末との違いは、CDを購入する上では、バロック時代や古典派の時代の作品のCDを購入したい場合、古楽器演奏が名盤の主流をなしているという点がまず挙げられます。実は、管理人の私も古楽器に慣れるのにはかなり時間がかかったのですが、時代の流れでしょう。

また、ユニヴァーサル・ミュージックならばSHM-CD、SONYやRCAならば、Blu-specCDという高音質のCDでの鑑賞が当たり前になってきています。元々通常のCDが、高音質CDで発売されているからです。また、ワーナー・ミュージックはSACDの販売に力を入れていますので、SACDプレイヤーで鑑賞なさるのもお薦めです。

・ゲルギエフ(1953~)ロシア
名盤の数という点においては、既に「歴代の名指揮者」入りをしたといっても過言ではありません。ロシアものに限られますが、バレエを始めとして第一級の名盤が揃っています。現在、全盛期といっても良く、パワフルな指揮ぶり同様、世界で最も忙しい指揮者の1人のようです。ほぼ毎年来日します。

・ラトル(1955~)イギリス
ベルリン・フィルの芸術監督を務めています。前任者のアバドが不評だっただけにプレッシャーは大きいと思われますが、アバド同様、ややマーラーの録音に固執しているようです。まずまずの評価を得ているといったところでしょうか。

・パーヴォ・ヤルヴィ(1962~)エストニア
北欧の音楽を得意としたネーメ・ヤルヴィを父にもちます。ドイツ・カンマー管弦楽団の主席指揮者として、ベートーヴェンの全交響曲録音を行ない、21世紀の録音としては非常に高い評価を受けているといえます。また、父のように北欧の音楽も得意で、今後の活躍が最も期待されている指揮者の1人です。


(転載おわり)(転載1に戻る






最終更新日  2017年10月31日 12時50分47秒
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載8)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


Ⅵ.古楽器指揮者の台頭

カラヤンがまだ隆盛の1970年代、クラシックの演奏史において、最も大きな変革期といってもよい変化が起こりました。「古楽器演奏」の始まりです。

「古楽器演奏」とは何なのか、ご説明していきましょう。

バッハ、ヴィヴァルディ、ヘンデルなどが活躍したバロック時代や、モーツァルトやハイドンなどが活躍した古典派の時代では、今日一般の楽器店で売っている弦楽器や管楽器とは違う、「古楽器(こがっき、ピリオド楽器、オリジナル楽器)」と呼ばれる楽器で演奏されていました。それに対して、今日、楽器店で売られている楽器は「現代楽器」「モダン楽器」などと呼ばれています。

古楽器は、現代楽器と比べると、やや音が低く(周波数を低く設定してあります)、あまりヴィブラートがかかりませんから、演奏を耳にすれば、どちらの演奏かは判ります。

初心者の方には、やはり現代楽器での演奏がお薦めだと、管理者の私は思っています。「名曲案内」の各作品の紹介でも、そのように書いてあります。

学問的な意味で、当時の作品を演奏するには当時の楽器を使って、という「復古的演奏」という目的で、古楽器演奏を行なう指揮者たちが登場しました。1970年代のことです。

主にバロック時代の作品を演奏していたのですが、ベートーヴェンらのロマン派に比べると楽譜が簡単に書いてあり、かなり即興性が活かされているため、演奏者によっては、非常に斬新な、あるいは奇抜な演奏も可能となりました。そんなわけで、元々の「復古的演奏」という枠に縛られず、古楽器演奏の方が、現代楽器の演奏よりも、かえって自由奔放な演奏を行なうようになったのです。

そして、1980年代、90年代になると、自由奔放な演奏を行うのは当たり前。そして演奏する作品も、古典派はもちろん、何とベートーヴェンらのロマン派まで及ぶようになってきました。ベートーヴェンの時代には現代楽器が使われていましたから、「復古的演奏」という名目を通り越しているのですが、それだけ「古楽器演奏」が幅を利かせるようになり、また、名演も多く生まれることとなったわけです。

以上が「古楽器演奏のブーム」と呼ばれます。

21世紀の現在では、当時、古楽器演奏の先端をいっていた指揮者達も高齢になってしまい、1980年代、90年代に比べると、勢いはかなり衰えてしまいました。

けれども、バロック時代の作品では、名盤の上位がほとんど古楽器演奏ばかりで、新しい録音も古楽器演奏ばかりというのも珍しくなくなりましたし、古典派の時代の作品の名盤、それがたとえモーツァルトの交響曲でさえも、古楽器演奏のCDがベスト盤争いの常連という時代となっているのは事実です。それが「時代の流れ」ということでしょう。

また、現代楽器による演奏の代表格であるアバドやアーノンクールなどの演奏が、あまりヴィブラートをかけず、やや早めのテンポで演奏する、いわゆる「ピリオド・アプローチ」となっているのは、「古楽器演奏」の影響を受けていることの証拠でもあります。今後はピリオド・アプローチによる演奏が更に増えていくかもしれません。

なお、古楽器演奏をする指揮者は決まっています。例えば、小澤やバレンボイムなどは古楽器演奏はしません。アーノンク-ルは、楽団によって、古楽器演奏をするか、しないかに分かれます。ですので、CDを購入なさる場合は、指揮者よりも楽団に充分ご注意下さい。

ここでは、古楽器演奏専門ではない指揮者も含め、楽団とともにご紹介していきます。

・レオンハルト(1928~2012)オランダ
ここに挙げた古楽器指揮者の中では第1人者的存在です。元々はチェンバロ奏者で、特にバッハの演奏においてはかなり高い評価を受けています。「弾き振り」のスタイルで、特定の楽団の指揮者というわけではありませんでした。

・アーノンクール(1929~2016)オーストリア
現代楽器の指揮者としても、ウィーン・フィルとの共演などが多く、21世紀まで活躍した指揮者の中で長老的存在でした。「ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス」という楽団を率いたときは古楽器演奏をしました。とりわけ、同楽団との77年録音のヴィヴァルディの「四季」では斬新、というよりも、むしろ奇抜な表現を試み、古楽器演奏の自由奔放さとは何かを初めに世間に知らしめました。現代楽器での演奏でも「ピリオド・アプローチ」を行う傾向にありました。古楽器演奏と、現代楽器の演奏の二刀流の代表的な指揮者でした。

・ブリュッヘン(1934~2014)オランダ
元々は演奏者ですが、「18世紀オーケストラ」という古楽器集団を率いて演奏旅行をし、レコーディングをしました。バロック音楽は対象とせず、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの交響曲を中心に演奏しましたが、いずれも同曲ベスト1級の評価を得ているあたり、古楽器演奏最高の成功者の1人です。日本では、古楽器ではないオーケストラとの公演もありました。

・ノリントン(1934~)イギリス
「ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ」を率いて、ベートーヴェンなどの古楽器演奏に取り組んだ時は脚光を浴びましたが、現在は、ガーディナーやジンマンらと同様に、現代楽器のオーケストラ専門の指揮者になりました。

・ジンマン(1936~)アメリカ
「チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団」との古楽器演奏によるベートーヴェンの交響曲全集が高評価されましたが、それに続きませんでした。その後は現代楽器のオケを指揮するようになりました。

・ホグウッド(1941~2014)イギリス
「エンシェント室内管弦楽団」を率いて、バロック時代はもちろん、幅広いレパートリーで古楽器演奏を行なってきました。

・ガーディナー(1943~)イギリス
古楽器演奏を代表する1人です。「イギリス・バロック・ソロイスツ(イギリスバロック管弦楽団)」では主にバロック音楽を、「オルケストル・レヴォルショネール・エ・ロマンティーク」ではバロック音楽以外を演奏、録音していまして、名盤を数多く輩出しています。現代楽器のオケも指揮する二刀流です。演奏スタイルは決して奇をてらったところはありません。

・コープマン(1944~)オランダ
「アムステルダム・バロック管弦楽団」を率いてひたすらバロック時代やモーツァルトの演奏、録音に専念し、名盤も輩出しています。演奏は管弦楽曲で、作曲家も限定していますが、その分良質な名盤を輩出しています。

・シギスヴァルト・クイケン(1944~)ベルギー
CDでは「S・クイケン」と表記されています。自身はバロック・ヴァイオリニストで、バロック・チェロ奏者である、兄のヴィーラント・クイケン、リコーダー奏者である、弟のバルトルト・クイケンと共に、「クイケン三兄弟」として知られています。「ラ・プティットバンド」や「クイケン弦楽四重奏団」を結成し、レオンハルトと親交があったことも知られています。かつてはバロック時代、古典派中心でしたが、ロマン派や印象派までレパートリーを広げ、現在も活躍中です。

・インマゼール(1945~)ベルギー
「アニマ・エテルナ」とのシューベルトの交響曲演奏は高い評価を得ています。ブリュッヘン同様、交響曲でも力強い演奏をするのに成功した古楽器演奏の指揮者として、両者ともに「古楽器演奏の成功者」と呼ばれています。

・ピノック(1946~)イギリス
「イングリッシュ・コンサート」という古楽器演奏の楽団を率いて、バロック時代や古典派の演奏を行ないました。2003年に引退し、現在は一線を退いています。



(転載8)(転載9






最終更新日  2017年10月30日 16時11分56秒
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載7)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


V-E.ロシア・スラヴ系指揮者達

ロシアは、ヨーロッパの中で革命が起きたのが最も遅く、1917年にロシア革命が起こりました。その後建国されたソビエト連邦は1991年まで続きます。そして第一級のピアニスト、弦楽器奏者達を数多く生み出しました。

第二次大戦から冷戦時代には、クラシックの演奏家達は、他国に流出するか、母国に留まるかの選択を強いられました。当然、母国に留まっていては、活動範囲が制限されます。

よって多くの演奏家は母国を離れたのですが、「鉄のカーテン」と呼ばれる向こう側、つまりソビエト内に留まり、他国には、「カーテンの向こうに、一糸乱れぬ演奏をする凄い指揮者がいるらしい」という情報だけが飛び交い、神格化された指揮者がいました。

それがⅤでご紹介したムラヴィンスキーです。終生、レニングラード・フィルを手兵とし、他国のオケの音楽監督になることはありませんでした。

ロシア出身の指揮者は、Ⅷでゲルギエフをご紹介します。ピアニスト、弦楽器奏者はそれこそ第一級の世界的名手ばかりで、人材にはことかかないのですが、指揮者はさほどではないようです。(訳注:そうでもない気もしますが。)

また、ロシア(ソビエト)内で行なわれた録音は、ほとんどが国営のメロディアというレーベルなのですが、音質が悪いことで有名です。この点にはご注意下さい。

続いて、ロシアと同じスラヴ語を共有するスラヴ系諸国、特にチェコは、クーベリック、アンチェル、ノイマンといった才能溢れる指揮者を輩出しています。これらの指揮者達によるお国物のスメタナやドヴォルザークの、独特の民族色溢れる演奏は、他の追随を許さないものがあります。

チェコからはクーベリックとノイマンを、旧ユーゴからはマタチッチをご紹介しましょう。なお、チェコという国は、東西に大国があり、振り回され続けた感が拭えない国です。とりわけ、ナチスに支配された際は、多くのユダヤ系音楽家が犠牲となりました。

(1) クーベリック(1914~1996)チェコ
27歳という若さで、チェコ・フィルの首席指揮者に就任しました。クーデターのためにアメリカ、ヨーロッパを転々とした後に引退しますが、1990年、民主化を果たしたチェコに40年ぶりに帰国しました。「プラハの春」音楽祭でチェコ・フィルを振り、スメタナの「わが祖国」を演奏したことは、チェコの歴史的イベントとして、今も語り継がれています。

(2) ノイマン(1920~1995)チェコ
1968年、アンチェルの後任としてチェコ・フィルの首席指揮者に就任し、1990年まで同オケに全力を注ぎました。民族色溢れる演奏は、多くのファンの心を掴みました。

(3) マタチッチ(1899~1985)旧ユーゴスラビア
旧ユーゴ出身ということで差別を受けていたことと、親ナチスであったレッテルを終戦後も剥がされることがなかったため、特定のポストに落ち着くことはありませんでしたが、ドレスデン国立歌劇場、チェコ・フィルなどと親交が深い指揮者でした。また、NHK交響楽団の客演指揮者として9回来日しており、日本人には特に親しまれました。スター指揮者として脚光を浴びた存在ではありませんでしたし、録音の数も少ないのですが、N響と残した多くの名演は今でも語り草となっています。


V-F.日本人指揮者達

日本人指揮者の草分けと言えば、山田耕筰と近衛秀麿(このえひでまろ)の二人の名が挙がりますが、山田耕筰は、ご存知のように作曲の方が主業でしたので、専業指揮者としては、近衛秀麿が最初ということになります。近衛は1898年生まれですが、何とベルリン・フィルに度々客演し、その録音も残っています。

その後、朝比奈隆が中国へ客演指揮者として招かれ、演奏することはありましたが、本格的に日本人指揮者が海外を拠点に活動するようになったのは1960年代です。

まずは、やはり「世界のオザワ」小澤征爾がニューヨーク・フィルの副指揮者に就きました。同年、岩城宏之がチェコ・フィルを振りました。70年代には小林研一郎、若杉宏、80年代以降には広上淳一、大野和士、佐渡裕、大植英次らの海外での活躍がありましたが、何と言っても小澤征爾の出世ぶりにかなう指揮者はいませんでした。小澤は、詳しくはⅦでご紹介しますが、クラシック音楽が伝わってからまだ100年程度という我が国日本から、ウィーン・フィルの元旦の恒例行事、ニューイヤー・コンサートの指揮台に立ち、世界最高峰のオペラ場である、ウィーン国立歌劇場の芸術監督に就く人物が出たということ自体、奇蹟に近いものです(ウィーン・フィルハーモニーの団員は、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の団員の中から選抜されます)。

この小澤の偉業を再び成し遂げることができる、あるいは、ベルリン・フィルの音楽監督に就く日本人指揮者は、果たして21世紀中に現れるのでしょうか?
ここでは、小澤征爾を除き、3人の日本人指揮者をご紹介します。

(1) 朝比奈隆(1908~2001)
大阪フィルハーモニーの指揮者を50年以上務めました。ベルリン・フィル、シカゴ交響楽団などの第一級の海外オケの客演もありましたが、小澤とは違い、終生日本(関西)を拠点に活動し、晩年はチケットが即完売するほどの人気を誇りました。

(2) 小林研一郎(1940~)
チェコ・フィルの常任客演指揮者であり、ハンガリー、チェコ、オランダでは小澤に並ぶ知名度を誇っています。日本では「コバケン」の愛称で親しまれています。

(3) 佐渡裕(1961~)
フランスのオケと相性が良く、パリ管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立フィルと共演したフランス音楽には定評があります。ダイナミックな指揮ぶりも特徴です。



(転載7)(転載8






最終更新日  2017年10月30日 15時59分50秒
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載6)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


V-C.ハンガリー系指揮者達

戦後のアメリカは、ヨーロッパの大物演奏家の渡米により、2大レーベルでありましたコロムビアレコード(現ソニー・クラシカル)とRCAから次々と話題性のあるレコードがリリースされ、クラシック音楽の巨大なマーケットになっていきました。

ですが、如何せんクラシック音楽の歴史が浅いため、アメリカのオーケストラのレベルは本場ヨーロッパの有名なオケに比べると、数段低いものでした。

アメリカ生まれの大指揮者も、バーンスタイン(Vでご紹介)くらいでした。
そこで、カラヤンの時代にアメリカのオケを鍛え上げたのが、揃ってハンガリー系の指揮者達だったのです。

ハンガリーは、かつてはハプスブルク帝国として、世界に脅威を与えていた国でありますから、強気な国民性がありました。そのため、「オーケストラ・ビルダー」と称される、楽員に恐れられるほどの君主性を持ち、トレーナーとしての能力に秀でていて、オケの技術を徹底的に鍛え上げるタイプのハンガリー系指揮者達は、まさにアメリカのオケのレベルを上げるのにはピッタリだったのです。ここでは4人の指揮者をご紹介しますが、これによって、アメリカの有名オケもヨーロッパに並ぶ世界最高レベルの技術集団になったのです。

「指揮台の上の暴君」の系譜を作ってみますと、古くはマーラー、そして「4大巨匠」では、 トスカニーニ、メンゲルベルク、最後に、これからご紹介する4人の指揮者達が来ます。ただ、こういった「オーケストラ・ビルダー」タイプの指揮者は、20世紀末には時代遅れだったのでしょうか、君主性が強いとオケから追放されるようになってしまいました。

(1) ライナー(1888~1963)ハンガリー
典型的な「暴君」として恐れられていました。シンシナティ交響楽団では、厳しすぎて追放されましたが、シカゴ交響楽団を鍛え上げ、ヨーロッパでも「正確で柔軟性に富むオーケストラ」と呼ばれるまでに成長させました。

(2) セル(1897~1970)ハンガリー
クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を約25年務め、「セルの楽器」と呼ばれる鉄の軍団を作り上げました。楽員やプログラムの決定権まで、全権を掌握していました。

(3) オーマンディ(1899~1988)ハンガリー
フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を40年務めました。映画音楽なども演奏する同オケは「華麗なるフィラデルフィア・サウンド」と呼ばれ、アメリカのゴージャスな音楽の象徴ともなっています。アメリカで大成功を収めた指揮者です。

(4) ショルティ(1912~1997)ハンガリー
ライナーの後を受け、シカゴ交響楽団を更に鍛え上げ、世界最高レベルのアンサンブル集団へと成長させました。リハーサルの際に、「私は噛み付きはしないから、怖がらないで。音楽をやりたいだけなんだ。」と楽員に語ったというエピソードがあります。


V-D.イギリス人指揮者達

イギリスには、EMIやDECCAというメジャーレーベルがあるのですが、これといった有名なクラシック作曲家は、「威風堂々」のエルガーくらいです。また、指揮者もこれといった世界的指揮者には恵まれていませんでした。

ですが、2002年に、サイモン・ラトルが、前代のアバドの後を継ぎ、第6代目のベルリン・フィルの芸術監督に就任しました。ラトルはイギリス史上最高の指揮者になれるのでしょうか。

イギリスでは21世紀になった現在でも、依然社会的階級の名残がありまして、クラシック音楽は上層階級の人々が嗜むもの、という価値観が根付いています。よってクラシック指揮者のステータスは驚く程高く、「Sir(サー)」の称号を叙されることが多いのです。Sirとは、中世の騎士階級(ナイト)につけられた称号で、現在では名誉程度の意味しか持たないようですが、指揮者以外でこの称号を持つ人達には、サッカーのデビッド・ベッカム、俳優のショーン・コネリー、ロジャー・ムーア、ミュージシャンのポール・マッカートニー、エルトン・ジョンなど、錚々たる面々が並びます。

元々Sir=ナイトは男性に与えられる称号でしたので、女性は少ないようです。ラトルはこの称号を、ベルリン・フィルの芸術監督になるはるか前、30代の若さで授与されているのですが、これはバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任し、同オケを世界水準に引き上げた功績に対してのものです。

さて、話はそれましたが、イギリス生まれの有名な指揮者には、ビーチャム、ストコフスキー、ボールト、バルビローリ、マリナー、デイヴィス、ノリントン、ガーディナー、ピノック、そしてラトルが挙げられます。これらの指揮者の中で、「Sir」の称号を得ていないのは、ストコフスキーとピノックだけです。

ここでは、3人の指揮者をご紹介します。ガーディナーはⅥで、ラトルはⅧでご紹介します。

(1) ストコフスキー(1882~1977)イギリス
V-Cでご紹介したオーマンディの前に、フィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者を務めました。とにかく、聴衆(観衆)が喜ぶようにするにはどうしたらよいのかをひたすら探求し続け、クラシックの演奏にも視覚効果などを導入し、エンターテイメント性を盛り込んだ、個性的な指揮者でした。もちろんアメリカでは大成功を収めました。

(2) バルビローリ(1899~1970)イギリス
渡米し、ニューヨーク・フィルの首席指揮者を務めるも、前任者トスカニーニが偉大すぎて成功はしませんでした。帰国後、ハレ管弦楽団の首席指揮者を務め、手塩にかけて同オケの再建に尽力しました。シベリウスに名演が多い指揮者です。

(3) マリナー(1924~)イギリス
フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団のヴァイオリン奏者であったマリナーは、1959年にアカデミー室内管弦楽団(アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ)を結成し、自身は指揮者となりました。同楽団は、世界でも有数の「管弦楽団」です。地味ながら、着実な演奏ぶりが特徴で、名演も多く残しています。




(転載6)(転載7






最終更新日  2017年10月30日 15時46分00秒
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載5)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


V-A.イタリア人指揮者達

クラシック音楽の源流はオペラと教会(ローマ・カトリック)音楽ですから、イタリアはまさにクラシック音楽の中心国の1つです。

作曲家では、バロック時代初期の最大の作曲家であったモンテヴェルディ、「四季」で有名なバロック時代の大作曲家ヴィヴァルディ、同じくバロック時代の作曲家アルビノ-ニ(アダージョで有名)らを始め、オペラの大作曲家であったロッシーニ、ヴェルディ(今でも国民的英雄とされています)、プッチーニの3人を輩出し、指揮者ではトスカニーニ、オペラ専門の指揮者であったセラフィン、カラヤンの後にベルリン・フィルの芸術監督となったアバドを輩出するなど、ドイツ、オーストリアに次ぐクラシック大国と言えます。

ここでは、セラフィン、ジュリーニ、アバド、ムーティ、シャイーの5人の指揮者をご紹介します。戦後に活躍したイタリア人指揮者達には、運もよく、活躍が約束されるようなレールが用意されていました。世界最高水準のオーケストラ、巨大なマーケットをもつレコードレーベル、クラシック音楽の「聴衆」などです。もう、大戦の傷跡や(ご存知のように、イタリアもムッソリーニの元でファシズム体勢をしいていた戦犯国です)人種差別を気にすることもなく、思いのままに音楽活動ができ、レコードは売れ、有名オペラハウスの音楽監督に就くと大金と権力を手中にできたという恵まれた世代でした。

「イタリア音楽」の一番の特徴と言えば、カンタービレ、つまり「歌心」です。オペラだけでなく、オーケストラの演奏にも「歌」がありました。世界でも有数の弦楽合奏団であるイ・ムジチ合奏団はイタリアの楽団ですが、イ・ムジチの演奏にも「歌」があります。イ・ムジチによるヴィヴァルディの「四季」が日本で大ヒットしたのもこの頃です。

(1) セラフィン(1878~1968)
イタリアには、オペラしか演奏しない指揮者が多数おり、セラフィンはその歴代最高の指揮者です。ミラノ・スカラ座と、「イタリアの香り」が漂う、独特の上品で美しい響きを聴かせました。名盤も多く残しています。

(2) ジュリーニ(1914~2005)
ジュリーニは、一流のオケの監督というポストを望まず、また金や権力に執着することもありませんでした。晩年は、客演指揮者としてウィーン・フィルなどと共演しました。

(3) アバド(1933~2014)
アバドは、カラヤンが持っていた、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルの常任指揮者というポストをそのまま継承しましたが、運悪く、カラヤンやバーンスタインというスターの死によって、レコード(CD)の売り上げは下落の一途を辿る時代になってしまいました。晩年は、自ら設立した楽団を指揮していました。

(4) ムーティ(1941~)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ミラノ・スカラ座の音楽監督を歴任し、かつウィーン・フィルの客演指揮者も務めており、名器に恵まれた指揮者です。今後もまだまだ活躍が期待されます。得意なジャンルはオペラです。

(5) シャイー(1953~)
35歳の若さで、世界最高レベルを誇るロイヤル・コンセルトヘボウの首席指揮者を務めました。現在は、今でこそ知名度はないものの、ドイツ最古の名門である、ライプツィヒ州立歌劇場の音楽監督を務めており、大いに活躍が期待されます。


V-B.フランス・ベルギー系指揮者達

フランス音楽、例えばドビュッシー、ラヴェルなどは、ドイツ・オーストリア系の音楽とはまた違って、独特の色彩感があるとされています。小澤征爾の言葉に、「アンサンブルが悪いとか、音程が合っていないというようなことを忘れさせ、オーケストラから出てくる音の輝かしさ、あるいは色彩感に、僕はまず魅了されてしまう」というものがあります。フランス音楽と同様、フランスのオーケストラにも独特の響きがあるようです。

フランスの世界的なオーケストラといいますと、まずは、パリ音楽院管弦楽団を母体として設立されたパリ管弦楽団が挙げられます。フランス生まれの指揮者達は、お家芸とでもいいましょうか、「フランスの音色」を引き出す術に長けています。いえ、それはフランス生まれの指揮者にしかできない、と言えば極論でしょうが、フランス生まれの演奏家達は、みな、上品で、洒脱で、「エスプリ」と称される、フランス的な精神、知性を表現するようなスタイルをどこかに持っています。

なお、現在、フランス音楽の第一人者と言いますと、NHK交響楽団との共演でも有名で、親日家のシャルル・デュトワ(Ⅶでご紹介)です。ここでは、デュトワを除いた、フランス・ベルギー系の指揮者を4人ご紹介します。

(1) モントゥー(1875~1964)フランス
詳しくは「名指揮者列伝」にて。19世紀生まれの巨匠指揮者の1人です。フランスで大きなポストに就くことはありませんでしたが、ボストン交響楽団、サンフランシスコ交響楽団など、アメリカで素晴らしいフランス音楽を聴かせた大指揮者です。

(2) ミュンシュ(1891~1968)フランス
パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を経て、パリ管弦楽団の初代音楽監督に就きました。何と言っても、ブラームスの交響曲第1番とベルリオーズの幻想交響曲は、永遠の名盤として語り継がれています。ラヴェルも得意としました。

(3) クリュイタンス(1905~1967)ベルギー
ミュンシュの後継としてパリ管弦楽団の音楽監督を務めました。ラヴェル、フォーレ、ビゼーというフランスの作曲家の超名盤がズラリ揃っている、超スペシャリストです。

(4) マルティノン(1910~1976)フランス
フランス国立放送管弦楽団の首席指揮者を務めました。1953年の来日公演でNHK交響楽団を振った際、「N響からフランスの音が出た」と、大きな話題になりました。




(転載5)(転載6






最終更新日  2017年10月30日 15時35分14秒
コメント(0) | コメントを書く
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載4)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


Ⅴ.ステレオ録音隆盛~カラヤンの時代

アメリカでスター演奏家が人気を得て、クラシック音楽が普及していた頃、「3大巨匠」のうちヨーロッパに残っていたのは、ベルリン・フィルの第3代目の常任指揮者を務めていたフルトヴェングラーだけでした。ヨーロッパのEMI、グラモフォン、DECCAといった大きなレーベルは、こぞって次のスター演奏家を求めていました。

そこで、EMIが目をつけたのが、当時はまだ無名に近かった、カラヤンでした。カラヤンは、指揮姿が流麗でかっこいいこと、容姿もかっこいいこと、オーケストラから、「美しい音」を出すことに秀でていた指揮者でしたから、EMIのディレクターはカラヤンをスターとして売り出すために、仕事場を求めていた腕利きの楽員達を集め、フィルハーモニア管弦楽団を結成し、ひたすら録音をさせました。

かくして、無名であったながらも、カラヤンのレコードは世界中で売れ始め、一気にスターに登りつめることとなり、EMIの戦略は大成功となりました。

「3大巨匠」は次々と亡くなり、カラヤンはフルトヴェングラーの後継としてベルリン・フィルの第4代目の終身指揮者となっただけでなく、ベームを追い出してウィーン国立歌劇場を手に入れ、ミラノ・スカラ座、パリ管弦楽団などを次々と手中に収め、ザルツブルク音楽祭、バイロイト音楽祭にも登場するなど、文字通り「帝王」として君臨し、ヨーロッパのクラシック音楽界はカラヤンを中心に動き出すこととなったのです。

ここで、カラヤンについて改めてご紹介しましょう。演奏スタイルや名盤などは「名指揮者列伝」(訳注:別途体裁を整備)をご覧下さい。

カラヤンは1908年オーストリアのザルツブルク生まれで、48歳の時にベルリン・フィルの終身指揮者に就任しました。「名指揮者列伝」でも触れていますが、残した録音はおびただしい数にのぼり、しかもバロック時代を除けば、オペラも含め、有名どころの作曲家はほぼすべてと言ってもいい程のレパートリーを誇り、録音を残しました。

言うまでもなく、クラシックの指揮者史上ダントツで最も有名な指揮者でして、クラシックに興味がない方でもその名は知っているくらいです。また、EMIの後にドイツのグラモフォンと契約してからは、それこそ「カラヤン&ベルリン・フィル」あるいは「カラヤン&ウィーン・フィル」というブランドは最高の価値を持ち、膨大なレコードを世界中に普及させました。

もちろん、西洋から遠く離れた日本にクラシック音楽を普及させたことも含め、今日、クラシック音楽が普及しているのはカラヤンの功績に他ならないといっても全く過言ではありません。膨大なレコードを出し、マーケットのシェアの大部分を占めることによって、クラシックに馴染みのない方や、初心者の方には、クラシック=カラヤン、クラシックを聴くのならばカラヤンのレコード、という価値感を持たせた訳です。マーケット戦略の勝利です。

カラヤンが秀でていた面は、カリスマ性やかっこよさ、という面もそうですが、どうすればクラシック初心者の方や入門者の方に「うける録音」を作ればいいのかを熟知していた面でしょう。カラヤンの音楽は豪華絢爛にして、耳に心地よいものです。「オケから美しい音色を引き出す」手腕に関しては、おそらく指揮者史上最高レベルにあります。そして、クラシック音楽がなるべく退屈でないように、心地よいものであるように、とっつきやすいものであるように、難しい解釈を必要としないようにと、垣根を低くするように努めました。つまり、サウンドとしてのクラシック音楽を追求したのです。それによって、今までクラシックに興味がなかった人達にもクラシックを普及させた功績は計り知れないものがありますが、逆に、芸術作品としてのクラシック音楽の価値を低落させることにもなってしまったのです。

同時に、単なる指揮者ではなく、芸術家としての一面も決して失わないようにもしました。レコードのジャケットなどでは、自分が納得した写真しか使用させなかったり、現在ではDVDで観られるコンサートの映像も、オーケストラには演奏しているふりだけをさせ、実際にはCDを流しているだけ、であったり、人気のあるスター指揮者には決してベルリン・フィルの指揮台に立たせない(チェリビダッケ、バーンスタイン、カルロス・クライバーら)などの策略家でもありました。

これらの、クラシック音楽の価値を低落させたことや、策略家であった面が、現在でも批判の的となってしまっています。興味のある方は、カラヤンについての書籍をお読みになってはいかがでしょうか。

では引き続き、カラヤンとほぼ同世代の世界的指揮者3人をご紹介しましょう。

(1) ベーム(1894~1981)オーストリア
ウィーン・フィルやベルリン・フィルと多くの名盤を残した、20世紀を代表する指揮者です。カラヤンのブームにのってレコードも売れ、日本でも人気がありました。スター性に欠けていたため、カラヤンとはつかず、離れずの関係でありました。

(2) ムラヴィンスキー(1903~1988)ロシア
ロシアに生まれ、当時のレニングラード・フィルの首席指揮者を50年間務めました。冷戦の時代、社会主義体制の旧ソビエトの演奏家は、指揮者に限らず、母国に残るか、他国に亡命するかの選択を強いられました。ロシアに留まり、ヨーロッパのオケを振ることを望まなかったため、カラヤンにとっては敵でもなかったのでしょうか。

(3) バーンスタイン(1918~1990)アメリカ
ユダヤ系アメリカ人で、20世紀を代表する世界的指揮者です。活躍の時期はまさにカラヤンと同じでした。母国のニューヨーク・フィルの音楽監督を経てヨーロッパに渡り、ウィーン・フィルなどと共演しました。1度だけベルリン・フィルの指揮台に立ちましたが、バーンスタインのスター性を知っていたカラヤンは、二度と指揮台に立たせませんでした。

カラヤン、ベーム、バーンスタインの主な所属レーベルは、現在世界一のシェアを誇る、ドイツのグラモフォンでした。グラモフォンはこの時期、カラヤンを中心に磐石の礎を築いたと言うこともできるでしょう。



(転載4)(転載5






最終更新日  2017年10月30日 15時16分04秒
コメント(0) | コメントを書く
2017年10月29日
カテゴリ:クラシック音楽
指揮者の歴史(転載3)
出典)http://nyatora.web.fc2.com/conducter.html


Ⅲ.19世紀生まれの巨匠指揮者の時代

1925年の電気録音によるSPレコードの開発により、「演奏を録音する」ということが可能になりました。続いて、5分弱しか録音できなかったSPレコードに替わって、両面に43分録音できるというLPレコードが1947年に開発されました。LPレコードの登場は、交響曲ならば4楽章すべてを収録することを可能にさせたため人々と音楽との関わりが一変しました。

この恩恵を受けたのが、19世紀生まれの「4大巨匠」と呼ばれる、ドイツのブルーノ・ワルターとウィルヘルム・フルトヴェングラー、オランダのウィレム・メンゲルベルク、イタリアのアルトゥーロ・トスカニーニ達であり、ヨーロッパとアメリカにおいてクラシック音楽の普及に計り知れない功績を残しました。特に、メンゲルベルクを除く3人は「3大巨匠」とも呼ばれ、残された録音も多いため、21世紀になった今日でもなお、現役の指揮者達にも劣らないほどの人気を誇っています。演奏会の映像のDVD化が進んでいる今、3大巨匠のDVDはCDを凌ぐほどの人気があるようです。

20世紀で1940年代までといえば、ヨーロッパは大きな戦争の真っ只中でした。よって、4大巨匠の活躍した時代背景というものは、現在とは全く異なります。これからご紹介する多くの指揮者達にも関わってくることですが、ユダヤ系指揮者が迫害を受けたという点については、指揮者の歴史を語る上で絶対に欠かせない要素となります。この点は、ピアニストなどの楽器の演奏家においても同じです。政治とクラシック音楽は、実はきってもきれない関係にあります。

では、4大巨匠それぞれについて簡単にご紹介しましょう。詳しくは「名指揮者列伝」(訳注:別途体裁を整えます)のコーナーを参考になさって下さい。

(1) トスカニーニ(1867~1957)イタリア
イタリア生まれで1908年に渡米。晩年は自身のために結成されたNBC交響楽団の指揮者として、多くの録音を残しました。マーラー以後の指揮者史上最高クラスの暴君としても知られています。

(2) メンゲルベルク(1871~1951)オランダ
オランダに生まれ、現在のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(当時はアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)の指揮者を50年という長い間務め、同オケを徹底的に鍛え上げて、世界の第一級のオケにまで育て上げました。その君主ぶりはトスカニーニ以上とも言える程で、団員を震え上がらせていたそうです。

(3) ワルター(1876~1962)オーストリア
マーラーの弟子で、第二次大戦以前はウィーン・フィルとのコンビで大活躍しました。ここに挙げている4大巨匠の中で、最もナチスの迫害に遭ったのはワルターです。ユダヤ系であったワルターには当然ナチスの手が伸び、コンサート会場に爆弾が投げ込まれました。ナチスは暗殺を狙い、運よくその手を逃れたものの、ウィーンの財産は没収され、次女は殺害されました。悪夢のような迫害を受けたワルターは渡米し、既に引退していたワルターのためにコロンビア交響楽団が結成され、我々は現在でも、ステレオ録音の高音質によって、多くの名演を耳にすることが出来ます。

(4) フルトヴェングラー(1886~1954)ドイツ
ドイツ出身で、ベルリン・フィルの第3代目の常任指揮者を務めました。第二次大戦の時は、ベルリンに残りましたが、戦後になってナチスと協力したという疑惑が浮上し、2年間、演奏活動を停止せざるをえなくなってしまいました。指揮者としては君主性を前面に出すようなタイプではありませんでしたが、数々の名演から伺えるように、大変なカリスマ性を持った指揮者でした。

この4人の他にも、19世紀生まれの有名な指揮者といいますと、モントゥー、ストコフスキー、アンセルメ、セル、クナッパーツブッシュ、ベーム、バルビローリ、マタチッチ、クレンペラー、ライナー、ミュンシュらが挙げられます。これらの中で、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、アンセルメの3人は、次のⅣでご紹介します。


Ⅳ.戦後に活躍した指揮者達

終戦後、LPレコードの更なる普及や1950年代後半のステレオ録音の開発により、クラシック音楽を聴く環境が大きく変化しました。Ⅲでご紹介した「4大巨匠」でステレオ録音があるのはトスカニーニとワルターで、トスカニーニは亡くなる寸前のライヴ録音が何とか残されている程度ですから、恩恵を受けたのはほぼワルターのみというのが実状です。

ですが、ここでご紹介する5人の指揮者達は、大きくステレオ録音の恩恵を受けました。また、ジェット機の進歩やグローバル化により、指揮者や演奏家達も世界を股にかけて活躍する時代となりました。

クラシックのレコード会社も市場をより拡大していった時代でもあります。ワルター、セル、ホロヴィッツ(ピアニスト)といった、ユダヤ系で亡命した音楽家達を擁したアメリカのコロムビアレコード(現ソニー・クラシカル)や、トスカニーニ、ルービンシュタイン(ピアニスト)らを擁したRCAはスター音楽家を看板に、アメリカでクラシック音楽をどんどん普及させていきました。

本場のヨーロッパでも、イギリスのEMIやDECCA、ドイツのグラモフォン、オランダのPHILIPSなどがスター音楽家発掘に躍起になっていました。

では、5人の指揮者を簡単にご紹介しましょう。

(1) アンセルメ(1883~1969)スイス
スイス生まれで、スイスに亡命してきた多くの演奏家と親交をもてたことや、DECCAの優れた音質にも恵まれ、自ら立ち上げたスイス・ロマンド管弦楽団を手塩にかけて育てました。フランスやロシアの音楽や、バレエ音楽を得意としました。

(2) クレンペラー(1885~1973)ポーランド
マーラーの弟子でもあり、ドイツを中心に活躍した20世紀を代表する名指揮者です。フィルハーモニア管弦楽団を手に入れ、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団となってからも会長を務め、EMIの看板指揮者として、ステレオ録音の名盤を多く残しました。

(3) ナッパーツブッシュ(1888~1965)ドイツ
ほとんどドイツのオケの指揮者として活躍しましたが、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルの指揮台にも数多く立っています。ワーグナーとブルックナーを得意としました。多くはモノーラル録音ですが、ステレオ録音にも素晴らしい演奏があります。

(4) ヨッフム(1902~1987)ドイツ
ドイツのバイエルン放送交響楽団の設立に尽力して首席指揮者になり、アムステルダム・コンセルトヘボウの常任指揮者として活躍しましたが、ひたすら母国のドイツで研鑽を積みながらドイツ音楽を追究した、ヴァントと同じタイプの、純ドイツ指揮者です。

(5) チェリビダッケ(1912~1996)ルーマニア
ルーマニア生まれで、非常に個性の強い指揮者。詳しくは「名指揮者列伝」の方で。フルトヴェングラーが2年間演奏禁止になっていた際に、ベルリン・フィルの首席指揮者に就きましたが、第4代目の常任指揮者の座をカラヤンに奪われたのが人生の転機でした。その後はドイツでシュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者、ミュンヘン・フィルの音楽監督を務めましたが、スターとして脚光を浴びることはありませんでした。

(6) リヒター(1926~1981)ドイツ
リヒターは他の指揮者たちと比べて異色です。ひたすら現代楽器でバロック音楽の演奏に生涯を注ぎました。その分、バッハの管弦楽曲、声楽曲においては、他の追随を全く許さないほどの断然のスペシャリストです。



(転載3)(転載4






最終更新日  2017年10月30日 15時14分22秒
コメント(0) | コメントを書く

全17件 (17件中 1-10件目)

1 2 >


Copyright (c) 1997-2018 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.