オブリガード!
’85の年末から’86の年始の旅の思い出 ブラジル・サンパウロ編’85年秋 ブラジルの叔父さん(父の弟)は 何十年ぶりの同窓会出席のために 何十年ぶりに日本へやってきた叔父さんは 我が父のまじめ、誠実、堅いタイプとは違い 明るく、饒舌、エネルギッシュであった なんせ話が止まらないのである娘がいかに美人か ブラジル女性のトップレス姿の話から ブラジル移民当時の明るい苦労話? いかに楽しい家庭、そして人生を謳歌しているかまで 延々と続いたで 素直で純粋な?オレは 直球ど真ん中に話を受け止めて その2ヵ月後 その年の年末 仕事納めの翌日の夜 ブラジルへ旅立ったのであります成田発 ロス経由 リオ経由 24時間後に ようやく到着したブラジル到着時刻は 日本を旅立った日の午前中でありましたいわゆる 日付変更線に逆行して きのうに向かったのですねなぜか 得した気持ちになったものですそれにしても 24時間飛行というものを体験した気持ちというのは「寝ても覚めても いつまで経っても 着かない~~」って感じ「もしかして 着かないのかも知れない?」とも思ったものですそのうち 時間の感覚が分からなくなってきましたほとんどカーテンが閉まってるし 本も映画も見飽きたし 時計を見ても日本時間なので分からないし 機内の時計は パリ、ロンドン、リオ、ニューヨークとかありますが いま、どこか、分からない~~ 笑でも とにかく なんとか サンパウロに着いた 確かに着いたでも そしたら 今度は 検問に引っかかった なんでやねん?言葉が ポルトガル語で わからん 何を聞いているのか?何が悪いのか? ぜんぜん わからんそのうち バッグの中身を調べだした 強引に なんで?そしたら 日本からの土産である 味噌、しょうゆ、馬刺し、梅干を差して なんじゃ これは?と聞いている ようだ「サイトシィーンじゃー!」「あっ!違った」「ミソスープじゃ!」通じない ぜんぜん 「?????」って顔をしているなんで ジャパニーズイングリッシュが通じんのやー!ここは ポルトギッシュかい?そうかい?どうしよう?????1時間後 ようやく 開放された いやいや ブラジルって奴は・・・・地球の裏側やね やっぱね出口を出たら 叔父さん達が心配そうに待っていた ほっブラジルの予備知識は リオのカーニバル、サッカー、超ビキニ、トップレスのお姉ちゃ~~ん のみサンパウロの街は 大都会だった 高層ビルもたくさんあった街も 意外とキレイだった 車は汚かった、凹んでいた、新車は走っていなかったでも それが普通らしい 日本が特殊 らしい ようだ現地は真夏 叔母さんは 暑い暑いを 連呼していたが日差しは強いが 湿気もなく 日陰は心地いい 夜は毛布1枚で熟睡できる快適さ であった叔父さん宅は 高層マンションだった駐車場は地下にある 入り口には守衛がいるその下は トレーニングジムもある目の前には 大きなプール 小さなプールがある部屋は4LDKだったと思う トイレ、バスも2つある 超広~い一段楽して 叔父さんとテニスに行ってきた帰ってきて 酒を飲み始めた ブラジルの強い酒(名前は忘れた)確か度数は70度? 忘れたがロシアのウォッカのようなもの心地いい気分になった頃 その息子が 友達の家でパーティーがあるので行こう!って誘われて 行ったが すぐに酔いが廻って バタンキュー 目が覚めたら 翌日の朝だったまー 24時間飛行後の過密スケジュールを考えれば 正常かな?ということに しておこうっと。。 つづく P.S. 続編は いつなるかは 未定です (笑)