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できるところから一つずつ

楷書の樹海(2011)

O先生賞応募作品

楷書の樹海


楷書の樹海

「この辺で楷書を練習しますか」と「九成宮」の手本が届く

ゆるぎなくすつきりとした手本なり かういふ文字が書けるだらうか

事務的な文書は機械任せなる私(わたし)にはもう楷書が遠い

ワープロの教科書体の基といふ「九成宮」の二千の文字は

書きたるは欧陽洵と学びしが碑文に彫りし石工を知らず

碑の面もその字もすでに崩れたり千四百年を経たる名書は

美しき形にすくと立ちあがり拓本の字は今も息づく

それぞれの字の周りにはそれぞれに相応ふ空間文字を支へて

「慎重にされど颯爽とそびえたつ姿に書け」と指導書にあり

臨書する字のイメージを育てつつ硯の陸に砥石をかける

撫でるやうに労はるやうに研ぎこまれ硯に石の素肌が戻る

さて紙は、筆は、と思ひ巡らせり切れ味のよき文字を書くべし

無意識の引き延ばし策かもしれぬなり臨書の前に準備多きは

研ぎたての硯の面の手ごたへを味はひて磨る奈良油煙墨 

磨るほどに墨の香りの漂ひてわが身のめぐりしつとり和む

夏の夜の明りを集め艶々と墨色深し硯の海に

「落ち着いて筆に任せて書けばよい きつと書ける」と自分を諭す

楷書的パーソナリティー無き我を変へるチャンスの臨書体験

ひと月に十八文字のペースとし臨書二千字九年計画

「九成宮醴泉銘」の〈九(きう)〉を書き我の九年がここに始まる

きつちりと角を押さへて書く楷書一画分に三拍を取る

勢ひを筆にあずけてすいと引け〈年〉〈筆〉〈千〉の中心線は 

縦線の終り近くに臆病なかげの兆して筆が躓く

もつともつと無心に書けたものだつた 同じ下手でも子供の頃は

ともすれば行書の線が顔を出す我が書き進む楷書の文字に

「楷書には渇筆などは似合はない」息絶えだえの文字が不満気

〈之(これ)〉の字の最後の磔がどつてりと腰を下ろして力尽きたり

伸びやかに書かむとすれば鋭さが損なはれたり穂先流れて

横線の終筆やつと収めたり 出来はともあれ今日は筆置く 

九年後をあてに出来ない齢にして迷ひ込みたる楷書の樹海


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