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できるところから一つずつ

第一章 飛行機雲


第一章  飛行機雲 (カナダにて) 






   カナダの桜  


逆光に薄きグレーの花びらをはつか震はせ桜咲き満つ


一陣の風吹き過ぎて目の前の舗道捲きゆく桜のはなびら


枝を切り花器に挿す間もほろほろと床に零るる桜はなびら
                 

昨夜(よべ)ひと夜桜の下に停めおきし車の屋根に花びらあまた


ゆつたりと川の面を漂へり夜目に白々と桜はなびら  
  




    わが内の日本人


玻璃窓に映れる我は不機嫌に口を歪めて己を見返す


英語もて物思ふ時我が思考常より少し前に向かへり


日本へ旅立つ我に夫は言ふ畳に寝転び蝉聞いて来よと


「私は日本人でありたい」と吾娘は日本の大学志望す


一つづつナフタリン抱かせてしまひをり色の褪せ来し雛人形を


帰省せる娘の同性の目がありて今日着る服を決めかねてをり   


餡を練る、鮪を捌く、歌を詠む、カナダに来てから学びたること


わが内の日本人が異国にてラストエンペラー「最後の皇帝」見るをためらふ
 


                                 
        
    
   オーロラ               
       
〔年に数回、バンクーバーでオーロラが見えることがある。〕

      
北斗星丸く残して天空を青白緑のオーロラが埋む


天頂に懸かるオーロラやや薄れ北に新たな翠の光幕
 

 


    ワープロ                     
〔一九八七年、ワープロの使用を始める。最初に入手したものは、液晶画面に一行しか表示されず、漢字も第一水準しか使用できないものであったが、それでも、画期的だった。〕


抹消の打鍵に応へ記憶消すワープロの機能時に羨しむ


ワープロが印刷作業にかかる時空の真青に晴れゐしに気付く
 




    水芭蕉       


辛き過去持つ国なるに明るしとメキシコ市より友は書き来ぬ

「歯は人に生えてゐるのを忘れるな」歯科医は助手を窘めて言ふ


音高くパトカーが走り抜けし後街は一瞬空白となる


せせらぎが岩を洗ひて行く辺り水芭蕉の花ひそと群れ咲く


一斉に広場に降り来し百合鴎それぞれの向きに歩きはじめぬ 
  



     麒麟  
〔動物園にて〕      


長き舌を畳みこむがに納め終へ麒麟はおもむろに口を閉ぢたり

目を伏せて見物人を見下ろしぬ長きまつげの麒麟の夫婦
 



   空に輪を描く                


太き枝幹より出でる分かれ目に鷹はしつかり巣を構へたり


己が巣の在る樹の真上鷹が二羽大きく輪を描きゆつたりと飛ぶ


過ぎ行きし嵐のあとの水溜り覗き込むがに赤とんぼ飛ぶ


葦の間を泳ぎ抜けたる雁の群れ羽音高く飛び立ちて行く


飛び立ちしばかりの雁がたちまちに鉤をなしゆく声交はしつつ


約束の決まりゐしごと鉤形のそれぞれの位置雁は占めゆく


鉤形に連なり遅れし雁を待ち群れは大きく空に輪を描く
 





   北極圏  
〔ノースウエスト準州にて〕


此処は地の果てには非ずスタートの地点と言へり極地の人は


吐く息の即座に凍り結晶になる音のする零下五十度


瞬きが出来ぬと言ひて訝しむ少女の睫毛白く凍てつく


オーロラの前兆なるか仄白く夜の空を刷く光一条


天空に大きく揺るるオーロラの白と翠に紅も混じり来


目に見えぬ波に流され靡くごとオーロラは大きく空をよぎ過れり
 



   「親父」   


テーブルに置かれし夫の眼鏡越し新聞の文字モワッと歪む


風邪をひき熱を出したる夫は欲る「おふくろんちの井戸の冷や水」


「バカ」といふ一語に愛も軽蔑も笑ひも込めて君は言ひ分く


娘に宛てる手紙の結び太き字に「親父」と署名し夫はペン置く


いつしかに娘と我の会話より外れて夫は黙しがちなり
 



  
   異次元世界   
  

免許証忘れしことに気のつきて制限速度を頑固に守る

十センチ我の目よりも位置高き子の目に映る異次元世界


アイスティーたつぷり入れて出されたるグラスが露をよ招びて曇りぬ


「コラソン」と心を呼ばふスペイン語熱き憶ひを語るにふさ相応ふ


鋭角の薄き翼の戦闘機紙飛行機の如く旋回


たどたどと入力さるる情報をただ黙々と待つコンピュータ


いくへにも花びら重ねぽつたりと牡丹がわづか傾きて咲く


夜更けて船の往き来の絶えしよりブラックホールのやうな湖


あさかげ朝光に染みて翔びゐし百合鴎貝掘る人の傍に降り立つ
 



     ひらがな     


「かあさま」と娘よりの手紙の書き出しはふつくらとして丸き平仮名


鰻屋ののぼりの「う」の字長く伸びはためけば鰻の泳ぐがごとし


ひらがなの「ね」の字のやうに背を丸め狸が二匹鼻を寄せ合ふ
 

腰下ろしふつと溜息つくやうな平仮名の「ふ」のやはらかな線


優しくて線しなやかで単純な「り」の字のやうな女でゐたい
 




     競走馬
   

競走馬一団となり走り過ぐ轟く如き地響きたてて


五、六頭かたまりとなる競走馬大スピードの平行移動


四本の脚が皆浮く瞬間の重き馬体はしなやかなばね


走り終へ鞍外されし馬の背にほわりと白く湯気立ちのぼる


我が手より角砂糖二つ舐めとれり馬のざらざらと荒く温き舌  
 




     騙されておく
     


夫の言ふ嘘をそのまま受け入れて今日のところは騙されておく


若き日の夫の表情そのままに息子がじつと思ひに沈む


君の目に反射させつつ判断す我に解らぬわれの実体


五十分の一秒の倖焼き付けて写真の我がいつまでも笑む


牧師の目確と見返し花嫁はYESと誓ふ挑むごとくに


結婚は互ひの我慢とスピーチし夫はちらと我の目を見る


手の力そのまま伝へ濃く薄く2Bの鉛筆線を描きゆく


マニキュアの乾く間の二分間爪を眺めて心を解く


まだ冷ゆる夕闇に浮き並び咲く灯火の如きらつぱ水仙
 




     二十代



「母はバカ」を大前提に話しをり二十代なる子ら三人は

母われに命令調にものを言ふ二十代なる子ら三人は


我が生みし我より大きな男達のそりと転がりテレビ見てをり
 




     波 
 
〔ハワイにて〕


海水が紺から翠に変はる箇所一際高く白波の立つ

波の音耳に優しと夫は言ひ窓開けたまま眠りにつきぬ


クレッシェンド、フォルテ、フォルティッシモ、スフォルツァンド波は
繰り返す数億年を


来る波は一つづつ皆異なると海辺に育ちし友が主張す


大き波白く砕くる高みよりサーファーは今宙に浮きたり


一年に数日微かに見ゆるとふみなみじふじ南十字星を岬にて待つ


波白く騒立つ海を渡り来て貿易風が椰子の葉を打つ


鳥の声止みて静まる一瞬を待ちゐしごとく驟雨走り来
 




   夫の誕生日 


日本より戻りたる日の夫と我真夜を目覚めてラーメン啜る


本気とも戯れともなく夫の言ふ「死に際までも煙草を吸ふぞ」


悩みごと七つ八つは人並みと少し酔ひたる夫が笑へり


誰かさんと携帯電話に話す君我が前にゐて我とは居らず


五月五日五十五歳の誕生日夫は仕事の旅先にあり
 




   母のまじなひ


枝を張りあまた並べる林檎の樹同じ高さに花咲き盛る


甘き菓子食めば心が和むとふ独り暮らしの母のまじなひ


週一度手紙を呉れと言ふ母に我が家のニュースは種切れとなる


早期発見早期治療は辞退すと母は勝手に退院を決む          

母と我N極同士か近付けば良く似る気質がふいと反発       

年々に知人の増ゆるあの世とふを覗きてみたしと母は言ひます
 




   ため息



白鳥の番(つがひ)が砂地を行きし後やや内股の足跡並ぶ


結論の出ない会議をするごとく烏が未明を鳴きたててをり


あなたとの間にガラスのある如く言ひても言ひても心届かぬ


カプチーノの熱きを啜り思はずもひと口ごとにため息をつく


眠さうに語尾を流して応答す国際電話の向かうの吾娘が


後輩の結婚式のスピーチを頼まれて吾娘は少し不機嫌
 


     

   燕飛び交ふ



無限大∞の記号を宙に描きつつ晴れたる午後を燕飛び交ふ


宿雨霽れ雫滴る花群れを低く掠めて燕飛び交ふ
 




  野分
 


野分すと夫に言はれて共に聴く白樺の葉を吹き抜くる風


見下ろせる谷の底ひに潜みをり樹々に隠るるやうな涌き水


存分に煙をたてて焼き上ぐるまだ目の澄みて身のしまる鯖


焼き上がり焦げ目つきたる鯖の上に落ちて醤油がじゆつと音立つ


発ち遅れ軒にまだ住む子燕を巣に閉ぢ込めて秋の雨降る
 


   
  
 
  


どの人も同じ笑顔を前に向けエアロビクスのクラスに並


松葉杖頼りに歩む青年を追ひ抜きそびれ後に従きゆく


選挙権持たざる我の身のめぐり仲間外れの投票日過ぐ


「自らが自分の嘘を信じ込む」政治家になる必須条件


缶詰のキャットフードに育ちたる猫のラッキー魚を嫌ふ


わが膝に蹲りたる黒猫の我よりややに高き体温
 



   コバルトの水


〔ウイスラーへの小旅行。 ウイスラーはバンクーバー北約百キロほどの山のリゾートである。〕


退社後を待ち合はせたる夫の見す職業用の建前の顔


「落石に注意せよ」とふ標識の下を過ぎ来てややに汗ばむ


霜の置く朝の牧場に放たれて影絵のごとく馬が佇む


山腹の繁みが揺るる一箇所を熊の潜むと友が指さす


日に一度山と町とを結ぶ汽車煙吐きつつゆつくりと行く


或るは立ち或るは座りて悠々と赤牛の群れあまり動かず


ながきながき眠りを覚まし流れだす氷河の底のコバルトの水


碧き水湛へて深き湖に太古の氷河の記憶が潜む
       

     

   After Haiku に Seven Seven



I know Tankaにつこり笑ひアンが言ふAfter HaikuにSeven Sevenね


発音の易しく用途も多き故便利な「どうも」をアンに教へる


また一つ我を老いしむる誕生日肩までの髪耳ちかく切る


鵜呑みにて文語の讃美歌唄ひゐき姉が八歳私は五歳


「壮大にあがいてきつと切り抜ける」友が不況を嘆かずに言ふ


ドン・キホーテの心意気だと友は言ふ不況の中のオイル会社に


その日着る服のイラスト描き添へて旅のプランを吾娘が知らせ来
 



   三十年目の結婚写真


親族の半ばがあの世に逝きてをり三十年目の結婚写真


雨霽れて仄かに甘き土の香が寒さ和らぐ闇を満たせり


三年の論議の末に高校が産制器具の自販機を置く


ほんわりと煙草の煙に乗りて去れわけの分からぬ今日の憂鬱
 





   笑ひあふ  



日本人が後から後から入り来る落語家達の海外公演


肩ゆすり身を折り曲げて笑ひあふ初めて生の落語聞きたり


噺聞き会場一杯の爆笑をリードするのは概ね男声


落語聞きさざ波のごとく拡がれる笑ひに女の声が目立てる


一席を語り終へたる噺家がさつと自分の素顔に戻る      


絶対に老後は日本に住むと決む落語を聞きて帰る道にて
 
        


  
   カナディアン・ロッキー  


    (1)冬


馬は馬羊は羊の群にゐて雪より覗く冬草を食む    

枝の先細かに別かるるもみぢの樹レースの如き樹氷を纏ふ


凍てつきて音を断ちたるボー・リバー道路のごとく広く平らか

岩の上に立ちて視線を遊ばせる眠りそびれし冬の黒熊


硬き雪スキーのエッジに削りつつ選手は鋭くカーヴ切りたり


ジャンプ台すつと離れて宙を飛ぶウルトラマンの如き選手ら
 

    
    (2)春


機関車の鳴らす汽笛を遠く聞く十八輛目の寝台車にて


日本への飛行時間の倍かけて鈍行列車がロッキーに着く


午前四時真夜と違はぬ闇の中夜明けを覚る鳥の啼きだす


さざ波を透す光のよろけ縞浅き湖底にゆらゆら動く


母鴨の泳ぎて残す扇形の内に庇はれ雛ら従きゆく


水を切り泳ぎ着きたるビーバーが岸辺の草をせかせかと噛む


ゴルファーがエルクに襲はれ怪我せしと風のごとくに噂届き来

コヨーテを全速力に追ひかけて子育ての鹿道を横切る


子育てのエルクも熊もコヨーテも皆気の立ちて春は爛漫


波音の記憶を杳く持つ山かロッキーは貝の化石をいだ抱く


「山ひとつ丸ごと輸入してみたい」ロッキーを見て商社員言ふ
 




   青葉が騒ぐ  


「今までで一番ビールの旨い夏」酷暑の日本を友が書き来ぬ

今のかほ表情ふと知りたくて鏡見る失策続きの夏の日盛り


「ごみの日」の街に出て来る狸たち追へばとぼけた視線を返す


枝先にしがみつきつつ身を揺らす栗鼠もろともに青葉が騒ぐ


樫の樹の枝に隠るる巣に潜みおもちやのやうな仔栗鼠が二匹


蕗の葉の繁る蔭より顏を出す目のまんまるな栗鼠の親子が


輝きて動き鋭き蛇の子が草の根を縫ひすいと消えたり


父親の五十回忌に帰国する勝子は今年四十九歳


戦勝を想ひて父がつけし名の「勝子」を形見に友は生き来ぬ


寝そびれて夜空に繊き月を見る北緯五十度の熱帯夜なり
 





   故障の船   


エンジンの止りて船は揺れを増し水平線が窓を上下す


船室の窓枠よぎ過る水平線高さも角度も変へつつ揺らぐ


漂流のクルーズ船に寄りて来し漁船の男が何かを叫ぶ


大きさを恥ぢ入る如くおづおづと故障の船が曵かれて進む
 




   「ヘンシーン!」  


カナダでは花を持てない朝顔か蔓伸びやまず秋に入りゆく


「今わたし残業成金なのよ」とふ吾娘の電話の眠さうな声



ダンスなど出来ない筈のわが裡をサルサのリズム揺さぶりてゆく


「ヘンシーン!」の間は絶対攻めて来ぬ怪獣たちのいくさの仁義


リストラの最中も企業を襲ひ来る業績不振といふ怪獣は


何度でも全く同じに演奏すロビーの隅の自動ピアノが


アンケートの「その他」の項にまるを付け定義できない思ひを託す

 
八年に十万四千キロ走りわが日本車は依然快調


手の動きはつきり見せる黒無地の服に着替へて手話を教はる
 


  
   たんぽぽ  


評価額昨年の二倍に上がりたるわが家に昨年と同じたんぽぽ

舗石の隙間に確と生ひ立ちてたんぽぽの花晴れ晴れと咲く


地に着くと見えてそのままふんはりとたんぽぽのわた絮低く舞ひをり

風に乗りふんはりふはりと飛びてゆく着地しさうに見えゐし綿毛


根を深く張りて元気に葉を増やすわた絮を飛ばしたあとのたんぽぽ
 

   

   昼の半月  


流木に乗りて漂ふ鴎達ときに頭を水にくぐらす

薄暗き照明のもとびつしりと地下駐車場に車がならぶ


倒産の公告を今日は翻訳す奉仕となるかもしれぬ二頁


ハスキーな低き声して物憂げにボサノバうたふブラジルの歌手


旋回し降り始めたる飛行機の窓に大きく海が傾く


透き通るごとく仄かに浮かびをり晴れたる空の昼の半月


花びらの先を僅かに綻ばせ露に湿れり今朝の白薔薇
 




   素顔  


大陸の五月を走り子の遭へるテキサスの雹・コロラドの雪


帰省せし息子の作るスパゲッティ夫も私もおかはりをする


夜半の雨屋根打つ音の優しくてゆつたりとした眠りを誘ふ


幾重にも緑濃き葉を繁らせて夏の浜木綿力漲る


郵便受け・ファックス・留守電つぎつぎにチェックしながら素顔に戻る

日本人は毎日「すし」を食むものと決めつけてをり「知日家」のトム


コンピュータずらりと並ぶオフィスにコーヒーの香のかすか漂ふ


時差、暑さ、殺風景に苦しむとリヤドに行きたる友のファックス
 



   秋空  


新築のビルのガラスに映りをり碧き秋空白き浮き雲


日本より訪ね来し友つくづくと「カナダの空はでつかい」と言ふ      

コンピュータ使はず資料を整理する歯科医の事務がむしろ速やか


十歳も我より若き上司なり時に私に敬語を使ふ


消息の久しく絶えゐし友を待つ長距離バスの終着駅に


いそがしいふりして朝の街を行くヒールの音を響かせながら


広辞苑第一版には載りてゐず「介護」はややに若き言葉か


水中を魚雷のやうに進み来ているかがひよいと頭を見せる


白き線宙に曳きつつ荒々と落ち来る雨が甲板を打つ


うれしけどややに複雑あちこちで私に頂く「痩せる石鹸」


遠巻きに二羽の喧嘩を見守りて鴉の群れがしきりと騒ぐ
 



   ドルフィンキック   

〔バンクーバー水族館にて〕


尻尾より生まれ始めて鯨の子おのづからなるドルフィンキック


母鯨ぐつと尾鰭を煽らせて大きく泳ぎ出産を終ふ


南極を見たことのなきペンギンら身を寄せ合ひて水の辺に立つ





   流氷    


いづこより来しトラックか屋根の上にどかりと厚き凍み雪をの載す

輝きて流氷が河を下りくる時にぶつかり時に押し合ひ


雪の夜をジョギングすると出でゆけり普段は散歩もしない息子が


何本も太き氷柱の下がりゐて鍾乳洞の如きわが家
 




   吹雪  


一旦は地に落ちし雪の舞ひあがり降り来る雪と共に渦なす


落ちかけて捲き返しては宙に舞ひ線を描きて雪はしまけり


風にのり激しく舞ひて降る雪が窓に吹き付けたちまち凍る
 




   寒緩む  


寒緩み屋根の凍み雪融け始む日がな雫の音を立てつつ


寒緩み滴したたる軒下にホームレス独りハモニカを吹く
 




   息深く  


オカリナの単音のみのAマイナーたゆたひながら風に乗りゆく

森の木に吸ひ込まれ行く錯覚にオカリナの音消えてゆきたり


CDのジャケットを今日は翻訳すジャズにふさ相応はしき言葉欲りつつ

息深く吸ひ込みていざ奏でだす聴かせどころのトランペッター

高らかに「水上の音楽」奏し終へトランペッター深く息つく
 


  
  素焼きのジョッキ  


砂糖類断ちてひと月人参も玉葱もキャベツも甘き味する

なみなみと素焼きのジョッキに注がれて麦酒の泡の白くなめらか


離れ住む子の誕生日に乾杯す生みたるはわが一大事なり


山に積む雪を主なる水源に二百万人夏越えむとす


銅相場動かすほどの操作力巨大企業のいちにん一人が持つ


掛け布団増やしたりまた減らしたり不順な夏の夜々を遣りゆく


インディアンが「天使の泪」と呼ぶといふ山懐の小さき湖


いつまでも手の揃はないトランプの如く過ぎ来ぬ吾の日常


「気のままに寝たり食べたり走つたり」羨しきことをロバ選手言ふ


赤黒く地球の影を受け止めて月がみるみる欠けて行きたり


右下に土星を連れて中秋の満月前夜の皆既月食
 




   缶詰工場  


昼顔が絡みて垣根に白く咲く閉鎖決まれる缶詰工場


閉鎖され博物館になりてよりミイラのやうな缶詰工場


天井になぜか鱗のこびりつく閉鎖後久しき鮭缶工場
 



   カーキ色  


免許証書換への列に並びをりカナダで貰ふ五枚目となる

クラウンのおもちやを炬燵の上に置き父が教へし車庫入れのこつ

腕力も走力も弱き女こそ車を習へと父は諭しき


バンクーバーの日系書店に見付けたり亡き父の著の『会社経営』


亡き父の著になる本を立ち読みす書きゐし頃の姿浮かべて


カーキ色を父様色と呼びたりき兵の子なりし幼き我は
 




   薔薇の花束  


彗星の滲むがごとき耀きを久々に会ふ夫と見守る


紅淡く林檎の花の綻びぬ母が逝きても子らが去りても


誕生日の夫に贈りぬ紅薄く恥づかしさうな薔薇の花束


不満げに「また二人か」と夫が言ひ子らの揃はぬ食卓につく


一日分明日の我より若きわれ干した蒲団をパンパン叩く


風が昼寝をしてゐるやうな夏の午後紋白蝶がひらりと舞ひこむ

雲三つ刺繍されたるパジャマ着て眠るをさなに雲の夢来よ


吹き抜くる突風のごと去りゆきぬはるばると来し友人一家


初恋の人が離婚をせしといふ風の便りが海を渡り来
 





   妻となりし娘  


諦めをつける思ひに夫と見る娘の花嫁姿のビデオ


新しき姓に電話に応へくる娘の声に瞬時ひる怯みぬ


もう子らの揃はぬ朝の食卓に夫と私の和食が並ぶ


昼寝よりやをら目覚めし夕風がポプラの梢を揺らしはじめぬ
 






   子の妻  


子の決めしその妻に会ふ明日までにニコニコ顔を作りておかう


子の妻が来てゐる間は「Oh, thank you」夫と私も英語を話す


その妻と並べば不思議わが子にも世帯主とふ貫録のあり


愛を言ひ料理を褒めて新婚の息子が「カナダの夫」を演ず
 






   飛行機雲  


頭より徐々に画面に現れぬ電子メールの友の写真が


戦争の無きがに見えし五十年に外交・経済・貿易摩擦


冷戦には日本が勝つたと友が言ふ平和と見えし日々の裏側


大病をせし君なれど元気なり持薬も時に飲み忘れして


葉の陰の薄暗がりに低く咲く冴えざえ白き茗荷の花が


徐々徐々に緩びて淡き帯となり飛行機雲が空に融けゆく
 
  


  
   女の論理  


大きめにメロンを切りて皿に盛る誰も気付かぬ我が誕生日

ボンネットにばらばら落ちて弾みたり師走半ばの気まぐれ霰


高層のビルの谷間の教会に中世の空気ひんやり籠る


女には女の論理 飛躍など気づかぬふりで長く電話す


ざあざあと受話器を伝ひ聞こえくる子の住む町に驟雨降る音


白き肌春陽に曝し着替へをり段ボールに住む若き女性が
 


 


   帰雁  


四分休符空にぱらぱら撒きしごと北へ北へと雁の戻り来

一群のすぐ後にまた別の群スノーギースがひたすらに飛ぶ


南より戻る途中のスノーギース飛沫のごとく波を掠むる
 



   還暦の夫  


若き日に夫の彫りくれし夫婦雛細き目をして今年も並ぶ

六十個ゴルフのボールを贈られて還暦の夫遊びせむとや


朝五時半サッカー実況見る夫の「行け!」や「ようし!」に今日が始まる


キーパーがボールをしつかり止める時テレビの前には夫の喚声

勝者より敗者が元気に退場すアルゼンチンと日本の試合


「幸せな一生だつた」と夫が言ふまだ先がある身なのにあなた


色めきてあなたが反対論を言ふ むきになるのは昔からよね
 




   イギリスへ  


イギリスへの飛行機の中早速にトメートTOMATOがトマトTOMATOに早変りする

SO(ソウ)をSO(サウ)、OPEN(オープン)をOPEN(アウペン)と発音し旧仮名遣ひのやうなイギリス


小さめの青き林檎を齧りつつ暮れはじめたるロンドンを行く


デボン紀の岩山黒く翳らせて広きムーアに淡き黄昏


花季に未だ間のある茶緑のヒースが低くムーアを覆ふ


あるは佇ちあるは歩みて野生馬が長きたてがみ風になびかす
 



   蕎麦殻枕  


心また背伸びしてをり底厚き靴ぽこぽこと歩むアンナは

日本の参院選が気になりてインターネットをたびたび覗く


ジーパンと黄色いシャツのペアルック新婚旅行に発ちて行きたり


子ら巣立ち夫には多忙な仕事ありわたくし一人の日々が始る


阿佐谷の七夕祭りを見て来しと子の新妻が声を弾ます


妻を得て優しくなりし長の子がふと立ち寄りて芝を刈りゆく


俳句「HAIKU」とふ商標名に売られをり日本渡来の蕎麦殻枕


両膝に頭を寄せて孤独なり画面に黝く映る胎児は


青空がもつと明るく見えるやう息吹きかけてガラスを磨く   


街の灯を濡るる路面に映しつつ二倍明るし雨の降る夜は
 



   KIMONO  


共通の話題探しにやや疲れ二世代夫婦ふつと沈黙

だんだんと杓子の手応へ重くなり鍋のきんとん仕上がり間近


「一度でも日本のkimonoを着てみたい」碧き眼の嫁おづおづと言ふ


「大丈夫?苦しくない?」と訊きながら子の妻アンに和服を着せる


初めての和服を着たる子の妻に内股歩きのこつを伝授す
 


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