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できるところから一つずつ

第三章 桜桃 (連作)

第三章  桜桃 (連作) 

      

  真珠湾 


戦争は止むにやまれずせしと言ふパールハーバーも広島もまた


ホノルルの街に溢れゐし日本人アリゾナ記念館には一人も見掛けず


掲げられし写真の南雲中将は顔一杯にマジック塗らる


海軍の映画は死者の名を映す卑怯な奇襲を忘れてならじと


セピア色の画面一杯映りをりそのかみの我が父の如き兵


次々と爆発起こす軍艦の実写に館内どよめき止まず


飛行機の爆音が館内充たしをりパールハーバー奇襲の実写


真珠湾に日本が始めし戦ひを終らせてやつたとガイドは言ひ切る


アリゾナの記念碑に行く船の上我の隣は空席のまま


死者の名を書き連ねたる慰霊碑に向ひつつ立ち只黙すのみ


真珠湾の翠の水に黝々と軍艦の沈める影が揺らげる


今もなほ湾に沈める軍艦の黝き影渡り細き魚泳ぐ    


軍艦の煙突といふ円筒の錆びたるままに海面に出づ  

    


  「さくらんぼ」 


うとうとと眠りては覚め起きて食べまた眠るうち日本に着きぬ 


大都市の活気が窓より押し寄する大通り沿ひの母のアパート


「一パック五千円」とふさくらんぼ普通に朱く普通に丸し


紫陽花の季節に逝きし父と姉それぞれの忌日を母がまも遵り来


共に住まむ母を伴ひ降り立ちぬ夫と子の待つ朝の空港


私の齡をやたらに言はないで」八十歳の母の厳命


「広いわねえ」ドライヴするたび母の言ふそれでもカナダの道も渋滞


英会話習ひたしとふ母のため子の恋人が先生となる


「練習よ」と近所の店に一人行き母がミルクを買ひて戻りぬ


安いやすいとカナダの物価を言ふ母に我が年収は知らせずにおく


庭の木のさくらんばうを籠に採り「千円分」ほどデザートに出す  


   


  
  「行つてしまへ」  


入籍を今日するといふ娘の電話八千キロの彼方より来る


「おめでたう」努めて明るく言ふ我に訳の分からぬ泪湧き来る


涙声悟らせぬやう早々に娘よりの電話切りてしまひぬ


突然に目に浮かび来ぬ自転車の補助輪とりし時の娘のかほ表情


自転車に初めて乗れしアッコの目我が怯む程真剣なりき


十七歳(じふなな)の娘を一人発たせたり若かりしかな夫も私も


毎週のやうに吾娘より届きゐしイラスト入りの東京便り


会ふ度にどんどん痩せて行きし娘よあの頃恋してゐたのだらうか


父母に言はないことの増えてきて敦子がだんだん輝きて来ぬ


この人と結婚したいと娘の逢はすはにか含羞みがちな日本青年


むつつりと照れくささうに挨拶し夫はむすめ娘の恋人を見る


本人が好きなら良しと夫は言ふ当然なれど少し見直す


二人して仲良く住むのはやさしいと恋する敦子に屈託はなし


行きたくば行つてしまへと呟きぬ みんなさうして来たのだものね


我らより古風な敦子の入籍は平成八年八月八日            


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