2011/02/04(金)18:15
旧西国街道探索4 の巻
「JR長岡京駅」まで来ました。
「長岡天神」の道標に従ってそちらに行き適当に巡りましたが、あまり興味を引くものはありませんでした。
駐車場が有料で路上駐車するのもはばかる感じだったから、探索はなしです。
2時になってお腹は減るし、帰路へのタイムリミットになったし。
ここは、奈良時代桓武天皇が遷都したところです。
奈良盆地は水利が悪く、西方から来る物資は難波の津で陸に上がり人力で、多くの人口を養う水も不足し、度々疫病が流行する都市でした。
もっと水利の良いところとここに遷都しました。
木津川・瀬田川・桂川が交わり、大坂へも淀川の大河川でつながってるので、西方の物資が直接山崎の地に荷揚げできます。
でも西山からの勾配がきつすぎた丘陵だったからか、洪水に悩まされ、わずか10年で平安京に再び遷都されてしまいました。
それらにつながる遺跡や寺社が山ほどありそうなのですが、タイムリミットになってしまいました。
僕の探索には毎度のことですが、道中寄り道が多すぎました。
桓武天皇は僕の歴史年表のランドマークです。
奈良京から、長岡京・平安京と2度も遷都し、第50代天皇というのも覚え易いです。
第・・代天皇と言う表記があると、桓武天皇の前後を考え、おおよその年代を特定します。
また、清和天皇と共に、武家につながる天皇でもあります。
清和天皇から、武家源氏・清和源氏、河内源氏・源頼朝・・足利尊氏・・・とつながり、桓武天皇からは、武士の本場関東に根を張った武家平氏、5世に関八州を平らげ新皇になった平将門とそれを破った平貞盛が、そして貞盛流れの清盛へと続きます。
好きなので、いくらでも続くけどやめとこう。
長岡天神前の土産物屋街ででも腹に入れる算段だったのですが、どうもそれらしいところがありません。こんなに有名なのに・・・。
r110に面する「天下一品」に入ろうと思ったら、駐車場がないぞ・・・断念。
長岡天神前のr110を南下し始めました。
「丹波街道」となっています。北上するとR9山陰道に至るようです。
r62に合流し、往路パスしたJR島本駅横の「史跡・桜井駅跡」に寄りました。
横のコンビニでパンを2個購入。
史跡内ベンチに座って食べます。
父子像がありました。
それを見たとき、「ああここか」と分かりました。
生涯親天皇方だった楠木正成・正行親子が、東上してきた足利尊氏軍と最後の決戦に臨む時、幼い正行と最後の別れをしたところです。
正行を本拠地河内に帰し、湊川の戦いで敗れ自死します。
正行も正成亡き後南朝方に与し、北朝側を何度も打ち負かし、時には京都を室町幕府北朝方から奪い返しますが、最後は討ち果たされます。
為政者の都合で、反逆者から天皇中心治世で国を治めようとした明治新政府により大功績者に180度変わった親子です。
歴史ってほんとに面白い。
そして歴史の人物像は、後の為政者によっていくらでも変わる典型です。
もう3時を回りました。
ここからできるだけ旧街道r62をなぞりながら地元を目指します。
高槻からR171に乗り、一気に自宅に戻りました。
面白いバイク旅になりました。