早朝バイク・るり渓2 の巻
広い道に出ました。R372?と思い、右折しましたが、何か雰囲気が違います。やがてR372との交差点に出ました。地図を持ってきてないので、どこかわかりません。5時半を回ったので「八木」を諦め、帰路に着くことにしました。信号を待ちながら、周囲の山を見渡し、多分右だなと見当をつけ、右折してR372に乗りました。少々走ったところで、また旧道の誘惑に負け、斜め左に入ってみました。「おっ、何か立ってた」と、停車。「埴生城」の謂れが立っていました。「本梅探友会」さんが、今年立てたものでした。この小川沿いの道を上がれば、「埴生城址」があるのだろうか?戦後のボリューム世代が、仕事を引退し、自転車ブーム・おじさんバイクブーム・ハイキングブームを作り出し、歴史ウォークに派生しているように思います。その1世代下の僕は、それに乗っかってる感じです。自治体が、史跡や山道に道標を立て、このような地元の歴史保存会が立ててくれています。この城の城主だった野々口氏は、光秀の丹波平定に味方し、篠山の一大勢力を誇った波多野氏と光秀との橋渡しをしたそうです。さらに西に進み、平行に走るR372に合流。少し行くと、左るり渓r54の表示。ここを左に曲がります。また好きな山道です。るり渓の渓谷沿いを上り、温泉とかがあるところの横を通り、「土ヶ畑」の方に行く交差点に出ました。バイクを停め、少し迷って右折。R173で一気に南下することにしました。7時に帰れるから、庭仕事の時間が取れます。「深山」への登山道分岐を過ぎ、R173に乗り南下。「はらがたわ峠」からの旧道への誘惑にも屈せず、R173を下ります。でもこの道、トラックが多いです。しかも速い。70km/hオーバーな高速乗用車には、左ウインカーで抜いてもらいながら、楽しくないので、「森上」で右折r602に乗る。すぐに左折して、r603で南下することにしました。右奥遠くに、「長谷」の棚田。長谷川のところに立ってる「謂れ」が目に入り休憩。両方共、清和源氏の多田流れだったと思うが、ここの能勢氏と知明湖山下の塩川氏の抗争で、攻めて来た塩川氏に能勢氏が大勝したそうな。塩川氏の太郎を討ち取ったそうで、勝敗は時の運と、能勢氏が塩川氏の兵をこの塚に埋めたとのこと。以降、「多田塚」と呼ぶ。となっていました。r603は、ほとんど北向きばかりで使っていたので、南向きは新鮮です。「紫合」まで下り、r12旧道で猪名川沿いを走り、多田まで下りてきて、r325で長尾山トンネルの定番コースに入り、帰宅しました。7時には遅れたけど、7時半に帰宅できたので、30分だけ庭仕事をしました。引っこ抜いた木の幹の方は、電動枝切りで短く切ってゴミに出しましたが、根っこが重すぎるので、ホースをストレート水流にして、スコップも使って泥を落としました。でもまだ重いので、後日持ち越しになりました。車載ムービー るり渓3