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カテゴリ:村上春樹
フィッツジェラルド「カットグラスの鉢」。
この作品を読んでいる最中に、ねじまき鳥第3部を読み始めたので、途中で中断して読み終わるまで2週間ほどかかってしまった。しかし、これはため息ので るような作品である。なによりも絢爛豪華な筆の冴えがすばらしい。「不躾なくらいに気前よく才能をまき散らす」と春樹氏は述べているが、まさにその通 り。前半部で妻と男性が密会中に主人が突然帰宅し、台所に潜んでいるその男性を主人が見つけるところなどは、見事な緊迫感である。伏線の張りかたも不自 然さを感じさせない。下手をすると作為が鼻についてしまうおそれのある題材であるが、文章が上質、上品で気品をたたえているので、微塵もいやな感じが残 らない。文章のディーセンシーが作品全体を上質の布で覆っている感がある。これが24歳の作者の作品であるとはどうしても思えない。 作品の内容は中間小説的といってもいいようなエンターテインメントであり、ストーリーは暗いのだが、作者の人間への洞察力が随所で青く光る刃のように登 場人物や情景を立体的に彫琢している。見事な文章の冴えである。 村上春樹「ねじまき鳥クロニクル第3部」読了。 質量ともに読む者を圧倒する作品である。作品の細部については折に触れて、書きながら考えていくとして、とりあえずは読み終わった直後の印象を少し書い てみる。 こういうことを言っている人が世の中にいるのかどうかわからないが、最後の結末のところ、本当をいうとあまりうまくいっていないのではないか。壁を抜 け、ホテルの208号室でナイフをもった人物と闇の中で対決するシーンの描写、これは文句なくすばらしい。そして、井戸の底から水が湧き出し、徐々に水 位が上がってきて、ついに「僕」が死を決意するシーン。ここも渾身の力のこもった描写である。ここまで読んで「さて、はたしてこれをどう着地させるのだ ろう」という気がしてならなかった。 続いて笠原メイの手紙。これもエピローグとしては効果的である。ただ、ここまでで十分だという気がする。もちろんこの段階ではさまざまな謎が手つかずの 状態で残ってしまっている。それはわかる。ただ、これ以降の展開(シナモンが僕を井戸から助け出し、ナツメグがそれを介抱しながら、綿谷ノボルの消息を 伝え、ついに妻のヒロコから綿谷ノボル殺害の意図が示される)は、あきらかにそれ以前の描写に比べると、気が抜けてしまっている。村上春樹特有のラスト の高揚感がこの部分ではあまり感じられない。ヒロコの手紙も謎解きとしては中途半端であり、そもそもどうしても謎が残るのならば、それは謎のままに置い ておいたほうがまだしもだったのではないかという印象が残る。こちらの世界とあちらの世界の奇妙な符合とずれーーそのずれはずれのまま、最後まで持続さ せて終わるべきだったのではないか。最後の部分では作品全体を現実世界に着地させようとするあまり、肝心の二つの世界のパラレルな関係が損なわれてし まっているという気がする。綿谷ノボルがはたして死んだのか、生きているのか、彼が姉や妹に何をしたのか、ということはかならずしも明らかにする必要は ないだろう。彼にシンボライズされた「邪悪な魂」は通時的、共時的に存在しつづける。それが死に絶えることはないし、ある意味ではそのような魂は歴史を ダイナミックに駆動させる原動力でもありうる。そういう印象を余韻として残しつつ、作品を終えるべきではなかったろうか。 おそらくは作者自身の予想をも超えた作品世界の広がりが終息をむずかしくしたということもあるだろう。どうにも終わりきれないという予感のようなもの は、読み進んでいく過程で感じとることができた。ただ第2部のラスト、区民プールに浮かんで、謎の女が実は自分の妻だったと悟るシーン、あれに匹敵する か、あるいは凌駕する結末を望むのは、この書き手に対してはけっして過大な期待とはいえないだろう。 しかし、そのような瑕疵を超えて、この作品はすばらしい。おそらく第3部では作者もかなり苦しんだのではないかと思われる。少し構成に工夫を凝らしすぎ たことが、ラストのむずかしさに結びついているといえるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.03.20 10:32:53
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