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「好き」ということばの反意語は「嫌い」というのが一般的常識だが、実は「無関心」と答えるのが正解ではないかと思う。
「ねえ、同じクラスの安倍晋三くん(本名綿谷ノボル)、サトミのこと好きだってよ」という問いかけに対してはいくつかの返答が考えられる。 A 「…………。」(無言) B 「ほんと!私も実は好きだったんだ」 C 「えー、あんなやつ、だいっきらい」 D 「え、安倍って誰だっけ」 この二人の関係が今後いっそう進歩発展する可能性の高い順番に並べると、この順になるだろう。 もっとも可能性が高いのはAである。好悪の感情が深くなると、しばしば言語化することが困難になる。ただし、この無言という言語表現はきわめて多義的であるので、「絶句」「唖然」「笑止」「黙殺」などのニュアンスが言語外情報として明らかに読みとれる場合にはその限りではない。それらを排除すれば、このケースは7~8割以上の確率でことが順調に運ぶのではないかと推察される。(数値はいずれも経験的推測値。客観的データにもとづくものではない) もちろんBも悪くはない。進展の可能性は5割から6割程度であろうか。しかし、なぜAをとらず、Bをとったか。この点に関しては慎重な検討を要する。「極端に他者迎合的な体質である」「基本的に否定辞を口にする決断力がない」「とりあえずしもべとなるべき男性の必要性を感じている」「人間の多様な会話パターンをインプットされた精巧なロボットである」などの可能性を考慮する必要がある。 C。ここからが問題であるが、通常考えられるほどこの返答は絶望的なものではない。おそらくは1割強から2割程度の成功確率は存在するものと思われる。ただし、九州地方、より正確にいえば博多地区においては、このケースの成功確率はゼロであるので、地域性を考慮する慎重さはもちたいところだ。 D。これはほとんどゼロに近い。要するにまるで関心がなく固体識別すらできないということである。同じクラスにいるという前提に立てば、関係進展の可能性は無に等しいと申し上げても過言ではない。なおCで触れた特定地域では、Dは「おとといきやがれ」という慣用句の同義表現と解釈されるので、ゼロ以下、すなわちマイナス的価値を示す表現と考えてよい。 話がやや脇道にそれかけたが、要するに「好き」という感情の対極に位置するのは「嫌い」ではなく、「無関心」であるというのが、私の言いたかったことである。「嫌い」はある日反転して「好き」に変わる可能性をもつが、「無関心」が「好き」に変わることはほとんど考えられない。もちろん「無関心」というのは純粋に対象を知らない、認識していないということではなく、対象をそれと認識した上で「そんなもんにはなんの関心も興味もないのよ、あたいは」という心的状態を意味すると定義した上での話である。 好悪の感情を示すメーターがあったとすると、「好き」はプラス方向への針の振れ、「嫌い」はマイナス方向への針の振れ、「無関心」はメーターそのものの停止状態を意味すると考えられる。振り子の原理により、プラスに大きく触れた針がその反動で大きくマイナスに傾くケース(このケースはあまりにも頻繁に観察されるので具体的事例を挙げるまでもない)は考えられるし、その逆も頻度はやや少ないものの想像することは可能だ。あまりにもあるものを「きらいだ、きらいだ」と思いつづけていると、そこに感情のエネルギーを注ぎすぎて、ある瞬間にすっと方向が転じて「すき」になるということが人間のこころの状態としては往々にしてありうるわけである。この点に関する認識をおろそかにしていると思わぬ事態を招く危険性がある。 将来の進路を考える時にもこの省察は重要だ。かのフロイト先生の所説であったか、「人は子供の頃、絶対になりたくないと思っていた職業にしばしばついてしまうものである」という考えを何かで読んだことがあるが、これは人間心理の深い洞察にもとづく卓見であるといわねばならない。 私がこどもの頃もっとも嫌悪し、忌避すべきであると考えた職業は教師であった。母親は小学校の教師だった。しかし、私を出産するために教師はすでにやめており、こどもの目から見ても彼女はきわめて高い人間性とわけへだてのないこどもへの愛情にあふれた人格の持ち主であり、私の教師への嫌悪感にはいささかも関与していない。 問題は現実に自分が教わった教師、および親戚(父親の縁戚は父とその弟を除いてはほぼ全員教師であった。)の教師である。一言でいうと「根拠のない自信に満ちあふれた存在」「他人の迷惑に対する感受性が低く、自分の迷惑に対する感受性がきわめて高い人々」「自分の欠点を長所と錯覚し、他人の長所を欠点と錯覚する人々」といえようか。(だんだん一言では収まらなくなってきたな。いかん、いかん。冷静に、冷静に。) まあ、しかし、人間社会にとって教師という職業が一定の意義と必要性を認められるべき存在であることくらいは私にもわかる。ただし学校を卒業したら、とりあえずこの職業の人間とは極力接触しないように心がけよう。自分がその職業に就くなどということは想像することすらできない。私は学生時代そう思いつづけてきた。 「教師にならない」などということは別にむずかしいことではない。まずは大学で教職課程をとらなければいいのだ。これは簡単。しかも教職に必要な授業というのは通常の授業が終わった遅い時間帯に始まることが多く、必修科目すらさぼりがちであった私が取ろうにも取ることのできない種類のものだった。これで不幸は避けられた。私はそう思った。 大学3年生になって親の金銭的援助を断り、自活しようとした。なかなか殊勝なこころがけである。アルバイトで食費と家賃と学費をまかなおう。幸い大学は国立だし、当時は学費もかなり安かった(一年間で14万くらいだったかな)ので、ある程度バイトで稼げば自立は可能だ。住居は6畳一間のトイレなし日当たりなしで、家賃は1万五千円だ。しかし、アルバイトといっても何の経験も技術もない。やれそうなものを探すと結局、家庭教師か塾の教師ということになる。私は大家さんの息子を教えて家賃を免除され、当日の夕食も提供してもらうことになり、残りは日本のチベットといわれた足立区の町塾で教え、生活の糧を得ることにした。 たしかにかすかに嫌な予感はしたのだが、まあ、これはあくまでもバイトであり、片手間であり、一時的なものだ。そんなに気にするほどのことではない。そう思った。 大学を卒業し、怪しげな教育系出版社に就職。職種は営業である。ここでもできるだけ教師的なるものを避けるためあえて編集は避けた。営業の対象も学校ではなく、一般家庭である。まずはこれで安心だろう。まちがっても教師にはなりようのないルートに自分は入ったと思った。 しかし、あまりにも過酷な営業業務のため、一年あまりでそこを退職。同期入社はすでに一人もおらず、私が最後だった。2、3ヶ月ぶらぶらしたが、やがて金が底をつき、仕事を見つける必要に迫られた。求人欄を見ると、その頃は受験産業がピークを迎えようとする時期で、塾や予備校の求人が多い。やむなくそのひとつを選ぶ。今度は編集だが、生徒に教えるセクションではない。慎重に、慎重に。私は地味なデスクワークを選択した。 面接で「教える仕事をする気持ちはありますか」と聞かれた。きっぱり「いいえ」と答えた。その手にはのらない。私は編集部の部屋につれていかれ、与えられたデスクに座り、校正や編集の基本業務の研修を受けることになった。 2,3日すると突然上司に呼ばれた。先生が一人急遽やめることになった。突然のことなので代わりがみつからない。明日が一学期最後の授業なんだけど、悪いけど代わりをやってもらえないだろうか。いや、なに、高校1年生レベルの現代文だから、何もむずかしいことはない。頼むよ。 入社して一週間も経っていない社員がこの申し出を断ることができるだろうか。わたしは「いいすよ。一回だけなら」といって翌日の授業をこなした。終わって講師室に帰ってくると、なぜか偉い人間が授業モニターの前に座っていて「いや~、新人とは思えないベテランのような落ち着きぶりだな」といわれた。少し嫌な気がしたが、ほめられて悪い気のする人間はいない。「学生時代アルバイトでやってましたから」と答えて職場に戻った。 しばらくすると、二学期の時間割が配られ、そこには断りもなく私の名前が載っていた。既に決定事項だった。 昨日のことのような気がするが、それは1985年の7月の出来事である。もう21年前になるのか。あっという間である。そして、明日の10時頃になると、質問の予約をしていた生徒が私のところへ来るはずである。「せんせ~、小論文書いたんだけど、見てくれますか~」といって。「だから、おれのこと先生っていうなっていってるだろ」「でも、先生っていわなかったらなんていったらいいんですか~。いきなり苗字とか名前とかいったらかえってへんにおもわれますよ~」。たしかにそれはそうだ。 先生がきらいだ、きらいだとあれほどおもいつづけていたのに、ふと気づくと「せんせー」と呼ばれるようになってしまった。こんなことならフロイト先生の本をもっとしっかり読んでおくべきだった。と思っても今となっては後の祭りだ。 漁師の家に生まれ、こんなに厳しく、つらく、過酷な仕事なんか誰がやるかー、ふざけるなーといって家を飛び出して単身上京したケンジくんも、ふと気づくと北氷洋のイカ釣り漁船の上で仁王立ちになって北風に吹かれていたりするのだ。「時間が不規則で、ハードワークで、待遇も悪くて」とつぶやきつづける暗い母親の顔を見て育ち、絶対看護婦だけはいやだーと思っていたハナちゃんが、ふと気づくと注射器を手に持って患者の腕をアルコールを含んだ綿で消毒していたりするのだ。 それが人生である。 前途有為な若者がもしこのブログを読んでいたら、衷心よりご忠告を申し上げたい。 「好き」の反意語は「嫌い」ではなく、「無関心」であると。「嫌い」というのは対象にこころが動かされている状態であり、とくにそれが「だいっきらい」というレベルに達するとそこにはかなり強いエネルギーが働いている。そのエネルギーがもつ吸引力をけっしてあなどってはいけないと。 ま、じつをいうと、あんまり後悔もしてないんだけどね、ほんとは。先生をあまりに嫌うあまり、「嫌いな教師」の具体的なサンプル見本が頭の中にずらっと出来上がってしまい、「こうなるのだけはよそう」と思って日頃から心がけているうちにけっこう評判のいい(「あくまで生徒に」ということだが)「せんせー」になっちゃったし。 でも、ある物事をあまりにも嫌っていると、しまいにはおもわず好きになってしまうというのは、おそるべきことであると同時に、人間心理の複雑微妙な一面を物語っているのではないかとも思うのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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