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M17星雲の光と影

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2006.08.19
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カテゴリ:その他
小泉首相の任期があとわずかとなった。後世の人間がこの首相の評価を行う時、まず首をひねるのは「こんなに業績が低いのに、なぜこれほど支持率が高いのだろう」ということだろう。

この政権の特徴を一言でいえば、「始動はあったが、収穫がない」ということになる。その始動のいくつかは今後災厄となって国民にふりかかるおそれがある。にもかかわらず、政権末期に至るまで彼の支持率は下がらない。これはなぜだろうか。

この支持率の高さは彼の政策の妥当性や政治観にもとづくものとは思えない。政治家としての彼の資質によるものでもないだろう。

彼がいかなる政治目標をもっているのか、私にはよくわからない。世上いわれるように彼が市場万能主義者であるかどうか、それすら疑問だし、どうもそうではないようにも思える。そもそも彼は自由主義者なのかどうか、民主主義を信奉しているのかどうか。それすらよくわからない。既成の政官のしがらみに対する破壊衝動のようなものは感じられるのだが、その後にどういうビジョンをもっているのかはよくわからない。そういう印象である。

第一に彼は人の話を聞かない。記者会見でしばしば見られたことだが、彼は質問とはまるで関係ないことを延々と話しつづける。「おい、おい、それって質問とはぜんぜん関係ないぜ」といえばよさそうなものだが、日本の新聞記者は誰もそういわない。海外のジャーナリストは、その発言の背後に何か日本的な含意があるのではないかと推測しているうちに会見は終わってしまう。

人の話を聞かない人間に論理的な思考ができるはずがない。論理的思考とは他者を想定して、自らの見解をその他者に向かって整合的に組み立てる作業だからだ。そのような能力が彼にあるとはとても思えない。

彼はいったい何者なのか。私は彼は「博徒」だと思う。「侠客」といってもいいかもしれない。彼の行動パターンはこういうことばでしか説明がつかない。彼の政権の支持率が高いのは、極論すれば「日本人がやくざが好きだから」ということになるのではないだろうか。

彼は情を重んじる。時に弱い者、虐げられてきた者への同情を隠さない。そこにあまり計算は感じられない。

彼は形を重視し、視覚を好む。Xジャパン、プレスリー、オペラ。彼が引かれるのはその音楽性ではなく、それらの視覚的要素である。彼は観劇を好み、劇場を好む。おそらくリスニングルームの音響装置は貧弱なのではないだろうか。彼は耳ではなく、目の人なのだ。

彼は儀式を好む。旧来の儀式の継承を好む。礼拝、参拝、祝賀、式典。儀礼のなかで居住まいを正すことを好む。

彼は時に大声を出し、身振りを交えて、人目を引く。しばしば感動し、感極まって涙を流し、声を震わせる。

彼は喧嘩を好む。出入りを好む。政争、抗争が始まると生気を取り戻し、輝きを増す。

情を重視し、形を重んじ、視覚を好み、儀式を好み、感情をあらわにし、出入りを好む。そして、いざというときには体を張って勝負に出る。

彼はどうみても博徒であり、侠客であるとしか私には思えない。そして、日本人はやはり何といってもそういう人種が好きなのである。私はそう思う。

当然、私も日本人のひとりである。博徒や侠客に対する親しみを私もまた共有する。といっても私は彼の政策の支持者ではない。とくに内政面はひどいと思う。外交はよくいわれるほどにはひどくはない。北朝鮮と友好条約を結ぼうとしたトリッキーな動きはなかなか面白かったと思うし(成功はしなかったが、その意図まで否定するのはどうかと思う)、中国、韓国に一貫して強気に出た戦術ははたして失敗だったかどうかはわからない。(それ以前の両国との関係が良好だったとはとても思えないし、彼の戦術のせいで、中韓はむしろ今後、日本に対して譲歩の姿勢を見せる可能性が高いと私は見ている)

しかし彼の政治的手法、政策の問題点を口をきわめて批判しても、彼に対する支持率は落ちない。これはやはり博徒、侠客としての彼の「人柄」に対する共感がその数字を支えているとしか思えない。

おそらく彼は「善意」の人なのだと思う。政敵が窮地に追いこまれた時に多くの政治家が顔に浮かべる「ほくそ笑み」のようなものを彼の表情からうかがうことはできない。そういう時、彼は心底、敵の窮状を心配しているように見える。そして、実際そうなのだと思う。

しかし、「善意の人間」は基本的に政治家として失格である。政治家に必要なのは、なによりも頭の中の天秤ばかりに状況を載せ、即座に合理的計算を行い、それにしたがってすみやかに行動にうつす的確さと迅速さである。善意はその妨げになることはあっても、判断の速さや合理性を保証することはできない。

基本的に政治家に必要なのは「悪」であり、その「悪」をコントロールする力なのだと思う。そこには冷厳な理性と知性が必要になる。自らの中にある悪を冷静に客観的にみつめる合理的精神がなければ政治は行えない。そういう合理的計算にもとづかず、情や正義感や善意で行われる政治がどういう悲劇を引き起こすかをわれわれは過去の歴史から十分学んでいるはずである。

政権担当者はなんといっても強大な国家権力を掌握しており、その遂行者なのだ。その権力の行使に対する慎重さは、自らに対する懐疑の精神からしか生まれない。そして、その行使を監視する国民の側にも、為政者の政策や行動の是非を客観的に評価する上で懐疑の精神が欠かせない。

しかし、善意に対するなし崩しの信頼はしばしば懐疑の精神を麻痺させてしまう。

彼が政権をとってから政治家が自らの失言で辞職したり、更迭されることが極端に減ったように思う。政治の側も国民の側もずいぶん監視の目が甘くなっているようだ。そこには本来あるべき緊張感が欠けている。

「いい人だから」「悪意はないから」という情緒的な気分の蔓延が、この国の政治に対する監視装置を徐々に腐食させつつあるように私には思える。

任侠に対する嗜好は映画の中にとどめておいたほうがいい。一直線に突き進む澄んだ目をした政治家など私は信用しないし、危険きわまりない存在であると思う。

政敵の失点ににやりとほくそ笑み、身内にも気を許さず、合理的なことばと鋭敏な観察眼で集団を統率し、あくまでも客観的な結果で支持を獲得していく。老練で老獪、皮肉屋で哲学者、未来への明確なビジョンをもつ戦略家。

そういうリーダーがどこかにいないだろうか。オシム?うーん、これだけ貿易の自由化が進んでいる世の中にあって、政治家だけはいまだに輸入禁制品の最たるものである。

食糧の自給率とともに、いやそれよりも先に、有能なリーダーの国内自給率を高めていかなければこの国に未来はないのではないか。

私はそう思うのである。







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Last updated  2006.08.19 12:24:43
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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