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M17星雲の光と影

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2006.09.28
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カテゴリ:その他
書店で講談社のPR誌「本」10月号を手にとる。お目当ては福岡伸一「生物と無生物の間」という連載である。福岡さんは青山学院大学教授。専攻は分子生物学。一連の狂牛病騒動の時にはコメンテーターとしてテレビ、ラジオに出演されていた(らしい)。狂牛病関連の新書も二冊ほど出されていたはずである。それらは未読だが、この連載を読むだけでも実にすばらしい文章の書き手だということがわかる。

私は理系、自然科学系の名文家の文章を好む。もともと父親は100%理系人間であり、今でも国語の先生よりも数学や理科の先生のほうが話が合う。なによりも自分にとってまったくの未知の世界を生き生きとした明快な筆致で描き出した文章に出会うと、頭のなかのよどんだ澱がさっぱりと洗い流されたような爽快感を感じる。柳澤桂子さんなどの文章を読んでもそうである。ただ残念ながら、そういう書き手の数はけっして多くはない。

10月号は「原子が秩序を生み出すとき」というタイトルだった。その中で福岡さんは物理学者シュレーディンガーの「生命とは何か」(岩波新書)に言及している。

この本はDNAの二重螺旋構造を解明してノーベル賞を受賞したワトソンとクリックにインスピレーションを与えた書物としてつとに名高い。その中にこういう一節がある。

「原子はなぜそんなに小さいのか」

原子は元素の性質を失わないで到達可能な最小の粒子であり、その大きさは1億分の1センチメートル。1メートルの百億分の1を1オングストロームと呼ぶから、それに従えば、原子はおよそ1~2オングストロームということになる。

これに対して生命体の最小単位である細胞はおよそ30万~40万オングストローム。3~40万個の原子が集まってはじめて一個の細胞ができるわけである。なぜこんなに原子は小さいのか。そう述べた後で、シュレーディンガーは「これは確かに一寸ずるい問いです」とつけ加える。

この問いがなぜ「一寸ずるい」か、おわかりだろうか。たしかに考えてみると、この問いの立て方はおかしい。生命体が誕生するはるか以前から物質は存在し、原子は存在していたはずである。だとすると、原子が小さいのではなく、むしろその原子の大きさ(小ささ)に比して「なぜこれほど生命体は大きいのか」という問いを立てるべきなのである。

こういうダイナミックな発想がすらりと出て来るところにすぐれた自然科学者の文章の妙味がある。読んでいると、思わず自分が巨人になったような気がしてくる。たしかに原子の大きさに合わせてもっと小さな生命体が生まれてもまったく不思議ではないし、むしろそのほうが自然な気もする。にもかかわらず、生物はなぜこれほどでかくなってしまったのか。

今回の文章はこの謎を解き明かす形で展開されてゆく。その謎を解く語りのよどみのなさ、すっきりと明快な味わいはぜひ原文にあたってたしかめていただきたい。残念ながら、私のよどみ、ひねくれた文章では福岡さんのなめらかな語り口をうまく再現することはできない。

しかし、その中でもとくに印象に残ったのはブラウン運動の話である。牛乳や水面に浮かぶ微粒子を顕微鏡で見ると、粒子があちこちに非常に不規則な運動をしているのがわかる。これをブラウン運動という。この現象は微粒子が、周囲にある目にはみえない原子(あるいは分子)にあちこちこずきまわされて細かく揺らいでいることから起きる。

あるいは「拡散」という現象もある。ある物体を水溶液の中に入れる。その物体が水溶性だと徐々に水中に溶けだし、濃度の高い方から低い方へと次第に粒子が移動していき、最終的には水中に一様に拡散していく。

ブラウン運動における霧の粒子の運動も、あちこちでたらめに運動しているように見えて、結局は粒子全体の動きは「平均して」重力の方向へ収斂していき、徐々に地表へと落下していくことになる。

こういう微粒子の運動する様を観察すると、すべての粒子が同じ方向へ動いているわけではないことがわかる。中には重力に逆らって上に向かって動いたり、多数派とは逆の方向に、すなわち濃度の低い方から高い方へと移動している粒子も観察される。しかし、統計学的に処理すると、そのような「はぐれもの」粒子の頻度は「平方根の法則(ルートnの法則)」に従うそうである。たとえば100個の粒子が運動するとき、10個程度の粒子は平均的な動きから外れたふるまいをする。これは統計学から純粋に抽出される法則だそうだ。

これはなんとなくわれわれの生活実感にも即している。100人いると、9割の多数派と1割の少数派に分かれる。マジョリティとマイノリティの比率としては実感に対応した数字といえる。しかし、この法則のミソは「平方根」というところにある。

ああ、100人に10人が少数派なら、10人だったら1人が少数派か。そう思われる方があるかもしれないが、それはちがう。10の平方根は3.16……。すなわち母数が10人ならば、少数派は3人以上なのである。不思議なことにこれもなんとなく実感としてわかる。10人いたら7人の多数派と3人の少数派。しかも自分は確実に3人の中に入っている。そういう気がする。100人中10人でも私が少数派に属する確率はかなり高い。しかし肝心なのは私のマイノリティ気質の確認ではない。

平方根の法則によると、10人なら3人が少数派、100人なら10人が少数派、1000人なら31人が少数派、一万人ならば100人が少数派、十万人ならば316人が少数派ということになる。要するに少数派の占有率を比較すると、10人=30%、100人=10%、1000人=3.1%、一万人=1%、十万人=0.316%ということになる。粒子の数が多くなればなるほど、急速に少数派の占有率が下がっていくのがわかる。母数を1億人とすると、少数派は1万人。つまり9999万人の多数派と1万人の少数派に分かれるわけである。少数派率、なんと0.01%。

実はこれが「なぜ生物はかくも巨大なのか」という謎の解答なのである。つまり生命現象は動的な秩序を形成し、それにしたがって物質が一方向に移動することによって営まれている。肝臓で分解された物質が逆流して消化管に戻ってしまっては困る。動脈と静脈の血流の逆流も困る。せっかく尿にとりだした毒素が血液に戻ってしまっては尿毒症になってしまう。逆流の割合が1割もあっては生命体はとても生きてはいけない。

だから一定の秩序、流れに即して物質の移動を行い、生命の秩序を保つためには、大きな母数が必要となるのである。少数派の占有率を極力小さくし、生命活動を円滑に行うためには、生命体の中にある原子を増大させ、平方根の法則にしたがって少数派の影響をゼロに近づけるしかない。

こうして生命体は原子に比べてとほうもないほどの大きさとなり、その生命体の一員のわれわれからみると原子はとほうもなく小さく見えるようになったというわけである。

平方根という数の不思議さ。人間を粒子に見立てた時の少数派の割合。それが母数の大きさに伴って影響力を減じるということ。10人に3人、100人に10人、1000人に31人という少数派の比率。

さまざまなことが頭の中に思い浮かぶ。そして、物質の粒子の運動は効率だけを目指すのではなく、その中には常に母数の平方根の数だけの「ひねくれもの」「はぐれもの」が内包されているということ。また、そのことの意味。

生命体と原子のスケールの違いからさまざまなことが連想されてくる。

意志をもった人間を単なる粒子の運動に喩えることの乱暴さを承知の上でいえば、人間もまた巨大な母数を目指して日々活動しながら、ある一つの方向を目指して運動をつづけているのかもしれない。

そして、その方向性に異を唱える少数派は日一日とその影響力を減衰されながらも、なお少数派であることをやめない。

その少数派にもし存在意義があるとすれば、それは小さく切り分けた集団の中でこそ確かめることが可能となる。

少数派であることの恍惚と不安と二つわれにあり。

そういうことになるのだろうか。





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Last updated  2006.09.28 22:08:43
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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