M17星雲の光と影

2007/09/16(日)09:47

「内部」を作る

池田清彦「新しい生物学の教科書」(新潮文庫)を読んでいる。 受験勉強は何の役に立つか。正解はもちろん「ほとんど役に立たない」だろうが、私の場合、例外的に役に立ったと思うのは、生物学の本と歴史書を読んでいる時である。 高校時代、生物の勉強をしている時は楽しかった。ちょうど従来の「博物学」的な内容から、分子生物学的記述へと教育課程が大きく変わる時期だったこともあり、遺伝子や発生、突然変異などの分野が大きく取りあげられていた。アデニン・グアニン・シトシン・チミンとか、オパーリン・原始スープとか、ド・フリース・ショウジョウバエ・遺伝子地図などということばが出てくるたびに胸をときめかせたものである(かなり変わっている)。 これらの知識だけは今でも本を読むときにずいぶんと役立っている。 この本は、現行の高等学校の生物学教科書を複数読み比べながら、池田先生が「これ一冊を読めば現代生物学の諸領域がほぼわかる、ことを目的に」書かれたものである。 しかし、凡百の教科書的記述とは異なり、池田先生の筆は随所で問題の本質を鮮やかにえぐりだす。とくに「これは私見だが」の後に続く先生の仮説がやたらと刺激的で面白い。 先生は構造主義生物学の立場からこの本を書かれているわけだが、そのご自分の立脚点について、次のように書かれている。 「生物は境界によって内部(自己)と外部を区別する必要があり、この区別を可能にするのは内部にだけ通用するルールである。このルールは外部のルールである物理化学法則とは矛盾しないが、そこから必然的に導くことのできない恣意的なものである。いわば何らかの偶然によってできたルールである。  このルールはさまざまな高分子間の記号論的な関係性であり、構造主義生物学では、このようなルールを有している空間を基底の(外部)空間と区別して限定空間と呼ぶ。生物の成長とは限定空間が増大することであり、繁殖とはこれが分離独立することであり、死とは限定空間内のルールが消滅し、基底の空間に戻ることであり、遺伝とはこのルールが、分離独立した限定空間に伝わることであり、そして最も重大な進化的出来事は、このルールが変更されることである。」 ある恣意的なルールが支配する内部をもつこと、それが生命体の定義である。 刺激的な説明だが、私の感覚にはとてもしっくりくる。 しかも、この定義はホモ・サピエンスという種が個体レベルを超えて形成する家族や親族、共同体や国家にまで敷衍可能な内容を含んでいる。構造主義生物学って面白そうだなあ、というのが私の率直な感想だ。 現代はDNA全盛の時代である。生物はDNAの乗り物に過ぎないとか、DNAこそ生命現象の本質だといわれることが多いが、私はそういう言い方には少なからぬ違和感を感じていた。 だって、DNAこそ生命現象の本質というのなら、DNAを入れた試験管は生命体になってしまうではないか。 親から子への遺伝現象を担うのは、DNAという化学物質ではなく、「細胞」という一定のルールに支配された生命システムである。 体細胞の染色体数を半分にして減数分裂を行い、生殖細胞が作られる。その生殖細胞の雌雄が合体して一個の受精卵が形成される。その受精卵が細胞分裂を繰り返し、数限りない分化を行って、ひとつの生命体が作られる。 この一連の生殖、発生、成長の過程で基本的な単位となっているのはあくまでも「細胞」だ。その細胞の核の中にDNAが存在している。生命体はDNAの乗り物であるという言い方は可能だが、DNAはこの乗り物に乗らない限り、一人歩きはできないのである。親から子へDNAを手渡しするだけでは遺伝現象は起こらない。それは細胞という生命現象を可能にするシステムの内部に組み込まれてはじめて可能になるのである。だからこの細胞という乗り物は生命現象において決定的に重要な基礎的単位なのである。 「髪は女の命」だからといって、夜ごと女性の髪だけと添い寝する男性はいない。 だから、現象を可能にする物質的基礎よりも、それを可能にするシステムを重視しようとする考え方は私にはとても自然なものに思える。 細胞の中ではさまざまな高分子が独自のルールに従って代謝を行い、一つのシステムを形成している。そのシステムを決定しているのは「構造」である。 おそらく構造主義生物学とはそのような考え方を指すのだろうと思う。(自信はないが) 先に引用した生命体の定義のなかで、生命現象の本質が「内部を作る」ことにあるというところは示唆的である。 生命現象は外部から物質を取り入れて「同化」を行い、その物質を「異化」してエネルギーをとりだす。この現象に不可欠なもの、それは「外部」である。その外部を作るために不可欠なもの、それは「内部」である。外を作り出すためには内を作る必要がある。その間に境界線を作れば、両者の間で物質の循環が可能になる。だから、すべての始まりは「内部を作る」ことにあるのだ。 生命はそのような原理にしたがって生まれてきた。そして、進化の過程で次々と複雑な内部を獲得し、その一つの枝の先にホモ・サピエンスという種が生じた。その種の内部では大脳が巨大化することによって、「意識」が生じた。意識は精神を作り、その精神は「自己意識」と「外界」という形で、さらに「内」と「外」を作る。 いまや彼らの社会では、膨れ上がった「内部」がほとんど自己陥没をおこそうとしているように見える。内部の爆発的な膨脹が、実は外部の喪失につながることを、彼らの巨大な大脳は予測できなかったのだろうか。 生命は「内部」を作る。 シンプル、かつ刺激的な定義は、人の考えを想像以上に遠くまで連れていく。この定義はその好例であるように思う。

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