人生の岐路にたったとき
わたしが就職するとき民間企業にするか、学生時代の貴重な時間を費やして受験勉強してやっと受かった国家公務員にするか迷いに迷いました。で結局 未知数のチャンスがあるかも!と思えた民間企業に就職を決めるのですが、その決めたトキの気持ちとしては「人間、いつ死ぬかわからない、ならばチャンスをいかさなくては!」と思ったきっかけがあったからなのです。そのきっかけとは・・・・就職内定をもらっていよいよ最終決めなくてはならない時期に、両親が実父の実家に帰るので一緒に長野にいかないかと誘われたのです。飼い犬だったシェトランド犬を連れての車でのドライブ旅行でした。就職してからは忙しくてなかなかいけないかも、くらいの軽い気持ちで行くことに。長野に入ると父が若い頃、ハイキングしたという戸隠山をとおりかかってなつかしかったのか父が「ハイキングしてみたい」と言い出したんですこちらのサイトの感じです戸隠連邦入り口がこんな感じだったので軽い気持ちで入っていきました。靴も普通でしたし、荷物も持たずに入ってしまったんです行きかう人々は皆登山スタイル。ハイキングじゃないやんか~今思い返しても、登山家の人たちからすればこんな無謀なことはやってはいけないことと思います。「蟻の戸渡り」とか「剣の刃渡り」とか靴もすべるし「落ちる~!死ぬ~!」と途中引き返したくてしょうがなかった。だんだん日も暮れて、なんと帰る道がわからなくなってしまったんです。そう遭難してしまったのです。道らしい道もなく生い茂る草の中を両親と私とで分け入りました途中には「○○さん安らかに・・・」と慰霊碑に何度かめぐり合い、自分の命の危険を感じ始めました。ともかくもうすぐ出口のはずだから、と突き進みました。(これすら無謀・・・)明かりひとつない、とはこの状態で、隣にいる両親の顔すら見えないのです。タバコを吸う父が唯一持っていたライターで衣類の一部を木の棒に巻きつけ、燃やしながら進みました。一方駐車場にぽつんと一台取り残されていた車に犬がワンワンをほえているのを見た地域の消防団の方がまだ山に取り残されているのでは?と捜索してくださったそうです。車のナンバープレートから分かった(すごいですね)親族に捜索隊を出しますが200万円ほどかかりますがいいですか?と許諾の連絡が入っていたそうです。この前後の記憶は、恐怖心からか曖昧なのですが無謀とチャレンジの紙一重の出来事でした。無事生還した今となっては、人生のチャレンジ精神について教えてくれた父に感謝?です