2008/07/06(日)01:26
嫌いな言葉
久しぶりのブログです。
今週、高校時代からの友人と一緒に食事をした。
そこでの会話、一番、他人から言われたくない言葉
そして言いたくない言葉は「頑張れ」
こんな安易な精神論しか唱えられないヤツは必要ないと
私も同じ
友人は国立の医学部を卒業し、現在、開業医の院長
おそらく、まわりから「よく頑張ったね」と常に言われたであろう。
私も実はまわりからはよく言われた
友人も同じ、頑張ったという気はしない
受験勉強も自分のペースで好きでやっただけであった。
目標は掲げていたが、目標を克服する気もさらさらない
自分の出来る範囲を重視した。
ただ、勉強する時間等は世間から見て、ひどく多かったかも
知れないが精神的な負担はそんなにない。
ここで、とても勘違いされていることがある。
ある能力がある人が組織、団体の中にいるとすると
その人の行動が模範にするように言われることがある。
「○○君」毎日○○時間勉強している。
「○○さん」毎日、遅くまで残業しているとか
ここで大きな間違えを起こしている。
○○君、○○さんはそこに費やす時間は苦痛でも何でもないのである。
しかし、他人にはそれは非常に苦痛であり、ストレスになる。
人はひとり一人違う。
特に仕事については「頑張れ」という言葉は禁物であると思う。
というには私は頑張ったり、努力したりして身につけなければ
ならないなら、これだけ進歩が速い時代にはついていけない気がする。
まず、努力等をする暇はないと思う。
プロとして仕事をしているならば、常にアウトプットと
発見の繰り返しであると思う。
本は読むこと、インターネットを見ることは情報収集をするために
必要であるが、詰め込む必要はまったくない。見て応用すればいいと思う。
応用、理解ができなければ、できる分野を探せばいいと思う。
苦労しないでできることは必ず、あると思う。
誰でも何でもできる人はいないし、何にもできない人もいない。
苦労しても取得できないものもあれば、苦労しないで取得できるものもある。
苦労しないできることを仕事にできればいいと思うが
それもなかなか難しいこともよくわかる。
今の世の中、仕事、業務が細分化されすぎて、そこに人を配置する形に
なっているために苦しむ人が多いのもよくわかる。
「頑張れ」といわれる人もつらいが、「頑張れ」しか言えない人も
これまたつらい立場におかれているのであろう。
会社、学校等社会で「頑張れ」という言葉を使わなくても
円滑に運営できるようになったとき、世の中は不健康な状態から
脱却できるのかも知れない。