第9回 大倉山ドキュメンタリー映画祭「オオカミの護符」
大倉山記念館で開催される映画祭にて、「オオカミの護符」が上映されることを前日に知り、近所ということもあって、急遽出かけてきました。オオカミの護符 posted by (C)内田ユライ以前に同名の本を読んだことがあり、映像でないとわかりづらい場面もあって、見てみたいなぁと思っていた作品です。わずか50年ほどの間に、世の中はとにかく大きく変わった、というのが印象的でした。半世紀前は今は都会といわれる場所も、森と田畑にぽつぽつと集落があっただけなんだよなぁと思い馳せました。思い返せば、私の場合だと小学校は2年生くらいまで木造校舎でした。板の間から外が見えて、すきま風が入ってきたのを今でも記憶に残っています。机や椅子もスチール製ではなくて、全木製。(笑)授業中のイタズラで穴掘られてて板面ガタガタで、下敷きがないとプリントに文字が書きにくかったんですよね。田んぼに農薬や化学肥料が使われる前はホタルが飛んでいたし(飛び回る光景は記憶にはないが、幼虫を潰した視覚は残っている)、わらぶき屋根の家も残っていたし、実父と小川でデカいフナを網ですくったりしたことを思い出します。田んぼの畦にでっかいウシガエルが重なって、ボーボー鳴いていたし、立方体のコンクリ塀で囲われた調水槽?(普段はほとんど水が無く、土が溜まっているのが見える)にドブネズミがはまってピョンピョン跳ねているのを通学路から見下ろして面白がったりもしました。僅か数年の間に肥だめが無くなったあたりから、農薬や化学洗剤で川が泡だって、あっという間にホタルもフナもいなくなりましたね…。田んぼを歩いていて、肥だめにハマった子供もけっこういた。(笑)ニオイが取れなくて大変らしいです。聞いた話だけど。世の中には戦争体験をした年長者が働いている世代でもあり、まだ戦後の雰囲気が教育や残ってました。(給食を残すとエラく怒られたし、食べるまで帰らせてもらえなかったり、殴られた子供も普通にいた)近所にはバラックもあったし、くみ取り式の便所から水洗に切り替わる時期で、まだまだ街中を普通にバキュームカーが走り回ってたしね。うむ、懐かしいのは確かですね。あの時代に戻りたいかどうかは、まったくの別物ですけど。2学年下の旦那に訊いたら、田んぼで遊んだり川遊びをやったりしたことはないそうです。私の実父は農家(山口県の出身なので、幼少時、原爆の爆風を体験したのを覚えているそうです)で、しかも大きな川で釣りをして夕飯にすることも多かったので、そういう遊びはよく体験させてもらったというのもある気がします。世の中の激しい移り変わりのさなかで、住んでいる近所の風景が本当にめまぐるしく変わっていったことを今になって思い返します。世の移り変わりのなかで、いまだに残る「お犬様」のお札。農業と深くつながりがあり、暮らしの苦しい時に生活を守ってくれる「オオカミの護符」の意味は、人との繋がりも希薄となり、今となってはもうわずかに残るもの、という印象を受けます。昔は山が人を養う数には限りがあって、よりよく、その集落をまとめるための教えでもあったようです。失われていく記憶を語り継ぐ、という意味では非常に貴重な資料映像と感じました。オオカミの護符 [ 小倉美惠子 ]価格:1,620円(税込、送料込)書籍は書店にも出回っているようですので、ご興味があればお読みになってみてくださいね。(*´∀`*)人気ブログランキングへ↑参考になりましたら、ぜひ1クリック&タップのご協力を!↑