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存生記

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2004年04月17日
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岡谷公二、『アンリ・ルソー、楽園の謎』、中公文庫、1993年。

税関吏ルソーと呼ばれるが、税関吏という仕事は、思いのほか過酷なものだったようだ。二十四時間勤務して二十四時間休むという暮らしを何年も続けた。その後、河岸を巡回する警備員のような部署にまわされ、楽になったという。それでも冬は寒いし、楽な仕事ではない。サン=ルイ島の眺めを描いた作品などは、こうした職務体験から描かれた。22年も勤務してろくに出世もせず、冷遇された。退職してからは、絵を教える私塾を開き、個人出張もこなした。

詩人のアルフレッド・ジャリとルソーとの交遊。ジャリの肖像を描いているが、ジャリはそれをピストルの標的にしていたというから、気に入らなかったのかもしれない。ジャリが泊まるところもないほど貧窮しているときには、ルソーの家に泊まっていた時期があったらしい。どちらも奇人で知られるだけに興味深い関係だ。そのジャリがルソーにゴーギャンを紹介したのではないかと著者は推測している。たしかに二人の画家には熱帯の楽園という共通のテーマがある。船員、株式仲買人をへて35歳で画家を志した経歴もルソーと共通する。

ジャリがルソーを見出し、アポリネールがルソーの評判を高めた。ルソー家の夜会には、ピカソ、ブラック、ヴラマンク、ローランサン、ドローネ、ピカビア、ユトリロ、ジョルジュ・デュアメル、ジュール・ロマン、マックス・ウェーバーといった面々が集まっていたという。ルソーは楽器に習熟していて、サックス、ヴァイオリン、フルートなど演奏できたようだ。妻に捧げる曲を書いている。夜会では、俗謡を演奏して場を盛り上げた。

一攫千金を狙い、コンクールに作品を出品するが落選が続く。その間、劇作を自分で書いて売り込んでいる。ボードヴィルだったらしいが、これも失敗する。不器用に絵だけ描いていた人という印象があるが、なかなか多芸多才な人だったようだ。

信じがたいほどお人よしだったと言われており、事実その通りだったようだが、窃盗と詐欺で二度も刑務所に入っている。フリーメイソンの会員でもあり、減刑や雇用継続をめぐってネットワークを活用している形跡も残っている。反アカデミズムを貫きながら、次第に評価され、絵が売れ始めたのは、こうした人脈や夜会などの社交によるものも大きいと思われる。

女性関係もよく調べて書かれている。好色とか淫蕩というのではなく、幼児が母親をしゃにむに求めるように女性に惹かれていったと、「心の奥深くに隠された狂おしい魂の渇きのあらわれ」だと書かれている。「偉大なる情熱家」なればこそ、あのような想像世界が構築されたのだ。遠近法のような理知的で余裕のある認識や技法ではなく、ルソーならではの知覚によって肉厚で細密な樹木(「蛇つかい」)や、ふてぶてしいまでに逞しい赤ん坊(「ポリシネル人形を持つ子供」「岩の上の子供」)が描き出された。ちなみにメキシコで原始林を見たというルソーの話は嘘であり、動物園もかねたパリの植物園や子供用の猛獣図鑑から、作品は生み出されたのであった。





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最終更新日  2004年04月17日 20時28分12秒



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