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存生記

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2005年02月17日
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車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』、文春文庫、2001年。

ストーリーはすでに書名から明らかだ。それでも久しぶりに書棚から手にとってみると、引き込まれてしまう。独特の言葉遣いの語り口に吸引力がある。「セックス」と言わず「まぐわい」、「ラブホテル」と言わず「連れ込み宿」。いかにも近代、現代を感じさせる言葉を逐一車谷語に時代小説を書くように翻訳してゆく。「辻姫さん」なんて言葉は知らなかったが、平野啓一郎のような衒学的な臭みはなく、泡経済の時代に顕著だった記号の表層の戯れ的な現象、あるいは、想像力による人工的な虚構世界を突き崩すために用いられている。ありきたりな表現になってしまうが、言葉のざらついた感触をさらけだすまで、推敲を重ねた文章である。この人が詩を書くのも当然だと言える。

言葉だけでなく、表現も「文学」している。ブンガクではなく、時代錯誤こそ新しいといわんばかりに正面から文学を突き進む。一瞥しただけでも、「亡者の女」「奈落感にさいなまれて」「孤独感にうちひしがれた男」「色餓鬼の交わり」といったおどろおどろしい言葉が目にとびこんでくる。生活に根ざしたニヒリズムにも凄みがある。百貨店やスーパーに並んでいる食料品もすべては糞尿となって消えてゆくという認識があり、この小説の男も、贓物を串刺しにする仕事に従事している。「尻の穴から油が流れ出るような毎日」。どんな生活だろうか。イメージがわかなくても納得してしまうような文句だ。「見事な虚体の生活」。虚体という言葉は、埴谷雄高の『死霊』からであろう。車谷のエッセイ集『業柱抱き』の『死霊』の書評から明らかだ。私小説作家らしくエッセイにも小説にも同じエピソードが出てくる。或る場合は、少し変えてある。この小説もエッセイとあわせて読むとおもしろい。

主人公は有名大学を出て会社員として何不自由ない生活をしていたが、近代の人として生きることに不安と疑問を感じ、レールからはずれてしまい、流れ流れて安アパートで一人きり贓物を相手にする生活に陥る。これはそのまま、ふわふわとした、とりすましたカタカナの世界から、濃縮され古色を帯びた漢字や平仮名の世界に降りてゆく動きに対応している。黙々と単純作業を営む姿は、どこか求道僧のような風格がある。アヤちゃんという在日の別嬪さんが彼と心中しようとするのも、彼の僧侶のようなたたずまいに惹かれたからだろう。

一言で言って、車谷のエッセイに出てくる文章をもじって言えば、この小説は「新宿の酒場などへ呑みに行く手合いよりは、も少し体臭をむき出しにして生きている」人たちの物語である。





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最終更新日  2005年02月17日 19時41分48秒



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