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「土門拳の昭和」を日本橋三越でみる。雨の日はデパートが散歩にちょうどいい。クローズアップの仏像や職人の手は、ストレートな深みのある写真である。遊んでいる子供の顔は誰もがいい顔をしている。トカゲを頭にのせた友達をみて笑う子供。それに対してヒロシマの子供は暗い。見ないで通り過ぎる人もみられた。だがここを通り過ぎては、砂川闘争の写真のインパクトが減じてしまうだろう。古く懐かしい昭和にだけ浸ることになる。
予科練や看護婦の訓練ぶりは、規律正しい雰囲気が伝わってくる。個性や批判精神を奪うが軍隊教育がいちばん簡単で効果的なのだ。街をあげての出征式などは、モンスターペアレンツどころではない緊迫した世相が写真から感じられる。上野の焼き芋泥棒はコントの一場面のようだ。戦後まもない銀座の夜の写真は、空襲の傷跡を感じさせず幻想的である。それに対して初詣で訪れたばかりの浅草は、昔も今とそれほど変わっていない。花見で有名な埼玉の幸手の写真も既視感があった。 写真嫌いの梅原龍三郎の写真は、エピソードがエピソードだけにおもしろい。この後に籐椅子を床に叩きつけたと聞いても納得の気難しい顔をしている。三島由紀夫は全身写真だとボディビルで鍛えたオーラが感じられない。むしろコミカルな印象だ。岡本太郎のふてぶてしい面構えの写真もあった。岡本太郎も縄文土器の写真など撮っていたが、どこか土門の写真と通じるものがある。ただ岡本の場合は古寺巡礼的な美の世界は拒絶するのだが。土門の絵も展示されていた。若年と晩年で画風が変わっている。 ズバッと切り込む骨太な写真の印象があるが、メモ魔ぶりを示す手帳には細かい書き込みがある。イラストに色までついていたりする。仏像や桜景色、進駐軍専用の劇場、手術跡の生々しい被爆者までさまざまな日本を写し出す展示だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年03月06日 20時01分48秒
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