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存生記

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2009年12月25日
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「バッタ君、町へ行く」(1941)を有楽町で見る。フライシャー兄弟といえばベティ・ブープ、ポパイのアニメやスーパーマンが知られている。ヒットを飛ばせなかった「バッタ君」は今では傑作として評価されており、ジブリの後援もあって公開されたのだろう。

 国の支援を受けずにアニメを制作する苦労話はよく聞くが、フライシャー兄弟も例外ではなかった。「バッタ君」でもお金にまつわる苦労がストーリーから滲み出ている。バッタ君たちが楽園の地に引っ越せるかどうかは、小切手が人間の手に届くかどうかで決まる。まるで金策に追われる中小企業の社長のような境遇である。

 こうしたマネーにまつわる苦労は、第一次大戦後から資本主義大国として覇権を握るアメリカの影の部分を表している。高層ビルに自動車にジャズ。このアニメでも典型的に描かれているアメリカ的なアイテムは、そのまま非人間的なシステムを表している。人間も非人間的に描かれ、しまいには虫ケラのように描かれる。俯瞰することでとりあえず安心したいという観客の気持ちを代弁するようなラストになっている。

 古いアニメならではというか、音楽とダンスの楽しい部分も随所にある。アメリカ文化の強みである。感電シーンなどは、カートゥーンの狂気がおもしろく描かれている。封筒に閉じこめられたまま闘うアイディアもおもしろい。

 日本の軍令部がこのアニメを見てその価値を見極められたら、アメリカに戦争を仕掛けるべきではないと判断すべきだっただろう。だが日本もドイツもアニメ大国アメリカに追いつこうと資金を投入し、結果的に戦争へと突入した。数値化できない文化を生み出す国力を侮った結果どうなったかは、歴史書に書かれている通りである。





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最終更新日  2009年12月25日 17時27分03秒



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