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存生記

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2010年11月30日
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里見蘭、『さよなら、ベイビー』、新潮社、2010年。

ひきこもりの青年が誰の子とも知れぬ赤ん坊を抱え込む。両親とも死別し、いよいよ追いつめられ現実と対峙するはめになる。親戚や民生委員のお姉さんたちの協力を仰ぎながら、立ち直るきっかけをつかむのだが、赤ん坊の両親を捜すうちに自分の出生にも秘密があることを知る……。

物質的には快適なひきこもりの空間に侵入してきた赤ん坊の存在がおもしろい。ひきこもりの治療法に赤ん坊の世話をするのは、社会に出て行くきっかけになるのではと思わせるほどマッチしている。盲目的な生命の欲動は不気味であると同時に世界を明るくもする。有無をいわさぬ現実へと青年を結びつける触媒にもなる。可愛いだけではすまない社会的現実もしっかり描かれている。不妊治療や特別養子制度が一例だ。まただからこそ主人公は赤ん坊の世話を通じて成長することができた。赤ん坊とカラオケボックスに行って、デリケートな鼓膜を考慮して「上を向いて歩こう」を選曲するなんて誰にでもできることではない。

ひきこもりにもいろいろあるのだろうが、今の世の中でひきこもりならずとも立ち直ることが難しいとすれば、ひきこもった人が再び社会に適応することは至難の業である。この小説では、そうした困難な状況を打開しうる一つのモデルを提示している。もちろん小説ならではの好運なケースなのかもしれない。彼が仕事をみつけてやっていける保証はどこにもないし、そもそも解決法を指南するための本でもない。心を閉ざした人間が心を開く過程を小説という形式によって多面的に描くことが主眼だろう。一直線に進まない凝ったストーリー構成は、ミステリーのサスペンスをかもしだすと同時に、複数の人たちが織りなす錯綜する現実を丁寧に描こうとする作者の意図が感じられる。

ある意味でひきこもりも赤ん坊のようなものだが、対決したら本物の赤ん坊にはかなわない。なぜかなわないのかといえば、良心の呼び声のようなものがまだ彼にはあるからだろう。生死や自殺未遂のようなシリアスなテーマを扱いながらもこの小説がどこかユーモラスで爽やかな余韻を残すのはそのためだ。主人公がひねくれていないタイプのひきこもりだったのが幸いしたのかもしれない。





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最終更新日  2010年12月01日 02時40分19秒



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