本朝廿四孝本朝廿四孝【概要】◆初演 ・人形浄瑠璃:明和3年(1766)正月 竹本座 ・歌舞伎: 明和3年(1766)5月 大阪中の芝居 ◆作者:近松半二 三好松洛(しょうらく)、竹田因幡(いなば)、竹田小出(こいず)、竹田平七、竹本三郎兵衛(さぶろべえ) ◆分野:時代狂言 ◆全体構成:全5段 このうち 歌舞伎ででよく上演されるのは、四段目にあたる「十種香」「奥庭(狐火)」です。 では 全体の構成はどうなっているんでしょう? 国立劇場の公演記録を見ると、人形浄瑠璃では、全段の通し公演もしばしば行われています。 鶴澤八介(故人)さんのメモリアルHP「ようこそ文楽へ」(http://homepage2.nifty.com/hachisuke/)の床本集に 「本朝二十四孝」の通しの床本がでていました。それによると、全体では
という構成になっているようです。 なお、歌舞伎の本によると、この「本朝廿四孝」は、
武田信玄と上杉謙信の争いに斉藤道山・直江山城守・山本勘助などのエピソードを織り込んで作られた作品。
とあります。歌舞伎では、「十種香」「奥庭(狐火)」以外の上演は・・・ 手元にある歌舞伎座公演の筋書きの上演記録を見ると、過去には
諏訪明神/信玄館/道行/鉄砲渡し/十種香/狐火/見現し
という構成で上演されたことがあるようです。 1999年11月の国立劇場の通し公演では、
桔梗が原/勘助住家/竹薮/勘助物語/十種香/狐火
という構成で上演されています。 「十種香」の前の部分は、三段目の「筍堀」にあたる部分です。 歌舞伎座の上演記録を見る限りでは、この「筍堀」の上演は他にありません。 2005年3月の国立劇場の通し公演では、
勝頼切腹/道行似合女夫丸/十種香/狐火
という構成でした。 【気になるその前、その後】 では、気になる「十種香」の前と、「狐火」の後の話を、さぐってみましょう。 まずは「十種香」の前のお話。 歌舞伎座の筋書きにより「十種香」にいたるまでの話は、ポイントをまとめると↓こんな感じになるようです。
各ポイントを掘り下げていきます。 ・時は、戦国時代。
具体的には16世紀中頃。足利義晴は12代将軍です。 ・甲斐の武田家と越後の長尾(上杉謙信)は、諏訪明神から賜った諏訪法性の兜の所有権争いを発端に、対立しています。 室町幕府の将軍足利義晴は両家の和睦を考え、信玄の息子勝頼と謙信の息女八重垣姫とを婚約させます。
この辺は大序で語られます。歌舞伎では上演されたことはないようです。
・その矢先、将軍が何者かに銃により殺害、嫌疑が信玄と謙信にかかります。長尾謙信は前の長尾景虎、後に上杉謙信です。当然、当時の武田家といえば、武田信玄です。が、ここではまだ武田晴信となっています。 諏訪法性の兜の所有権めぐる対立というのは、武田家が諏訪明神から賜わり、それを借りた長尾家が返さないってことが原因のようです。 文楽の本では、武田の嫡男勝頼と長尾の姫八重垣姫の婚約を取り結んだのは、将軍の御台(正妻) 手弱女(たおやめ)御前の計らいとなってるようです。 また、この大序には、謙信の嫡男の景勝、長尾・武田の両家の存在を疎む北条氏時も登場します。 なお、この大序には もう一段お話があります。 ここに登場するのが、景勝の家来、直江山城守。腰元 八ツ橋とこっそり逢瀬を楽しむところ、将軍の愛妾(おめかけさん)賎の方にモーションをかけられます。 さすがに将軍のお妾さんに手を出すのは、とためらうものの、強引に連れ込まれてしまいます。 と、そこへ将軍が乗り込んできたから、さぁ大変。 不義者ということで、今まさに成敗されんとしたところに 手弱女御前がやってきて、賎の方はそんな軽はずみをする人ではないはず。 これには仔細が、と とりなします。 実は賎の方は正妻の手弱女御前を差し置いて身籠ったことを申し訳なく思い、不義者として処罰されることを望んでいたのです。 で、それを聞いた将軍も怒りを納め、直江山城守も無罪放免。賎の方には安心して出産するようにいいます。 そこへ「将軍に献上したいと、鉄砲をお披露目に来た者がいる」という報せが来て、将軍は会いに行きます。 この賎の方、直江山城守が後の伏線になってます。
※多分、直江山城守兼続(1560-1619)のことかと思ったのですが、床本には「直江山城之守種綱」とあります。 時代的にもなんとなくあいませんし、別人なのかもしれません。 三回忌までに真犯人を捕まえられない場合は、それぞれの嫡男の首を差し出すということになります。
将軍殺害を語るのは初段です。この部分も大序と同じく、歌舞伎では上演されないようです。
鉄砲を持ってきたのは井上新左衛門と名乗る老人。 御前で試しうちをと、見せかけて、将軍を一発必中で撃ち殺し、逃亡します。 おまけに、この混乱に乗じて、賎の方が何者かに誘拐されてしまいます。 長尾の嫡男、景勝はこの誘拐犯を追っかけて行きます。 ここに遅れて現れたのが武田晴信・長尾謙信。 ここぞとばかり、北条氏時と、その腹心 信濃の村上義春は、長尾か武田の仕業と疑いをかけ、 賎の方の誘拐も犯人を追って未だ戻らない景勝が一枚かんでると主張しますが、 ここにまた良妻 手弱女御前の大岡?裁きで、
さらに直江山城守が、賎の方が誘拐されたのは自分の落ち度と切腹しようとするところへ、腰元八ツ橋がでてきて 不義は二人の仕業。私も共にと いうのを長尾謙信の慈悲の裁きで 二人は浪々の身となって落ちていきます。 ここまでの大序・初段、歌舞伎でも、結構できそうなんすが・・・なんで上演されないんでしょうねぇ
※実在の義晴さんは1546年(天文15)に将軍職を子の義輝に譲り、その翌年、細川晴元に攻められて都落ち。 1550年(天文19)にお亡くなりで、享年44才だそうです。 ※鉄砲伝来は1543年。武田晴信の出家は1559年らしいです。 ・両家は懸命に探索してきましたが、期日をすぎても、真犯人は見つからず、とはいえ、 とはいえ、両家とも息子を犠牲にするわけにはいきません。 武田家では息子勝頼の身代わりを立てようと考えますが、間に合わず、 勝頼は切腹。 ところがこの切腹した勝頼は、実は赤子の時にすりかえられた武田家の奥家老の実子。 武田家の奥家老がお家のっとりをたくらみ、行ったことが、皮肉にも本物の勝頼を助けることになりました。 本物の勝頼は奥家老が「勝頼の身代わり」にとつれて来た蓑作だったのです。
この辺は二段目になります。
・長尾家では身代わりにしようとした男が自ら片目をつぶし、面体が変わったことを理由に身代わりを拒否します。二段目は、二つの舞台があります。 まず、諏訪明神が舞台の「諏訪明神百度石の段」。歌舞伎では「諏訪明神」と呼ばれるようです。 諏訪明神にやってきた、武田の家老(悪者):板垣兵部が、勝頼そっくりの蓑作を見つけ、屋敷に連れ帰ります。 次に腰元の濡衣が、眼病で盲目になっている勝頼を案じ、お百度参りにきます。 その濡衣にからんだのが、横蔵というワル。この横蔵、袖にされるものの、濡衣がお百度を踏み、 お社で鈴のついた紐を引くと、紐がぷっつり切れたことを不安に思っていると、鈴の綱に、 十七歳の男子息災延命と書いてあるから、神様はあんたの願いを聞き届けた。 とフォローしてやったりするところもあります。 しかし、濡衣が帰ったあと、賽銭ドロを働く上、長尾家嫡男:景勝が奉納した太刀まで取ろうとしますから やっぱり、ワルです。 その現場を長尾の家来に見咎められて、成敗されるところでしたが、来合わせた景勝本人の温情で命拾いをします。 そこで ほっと一息ついて座ったのが、持ち上げて力くらべをするのに使う力石。 横蔵がその石を持ち上げてみたたところ、なんとその穴から老人が出てきます。 この怪しい老人、横蔵といがみ合ったあと、何を考えてか 「七重八重、花は咲けども山吹の、みの一つだになきぞ悲しき」 という太田道潅の和歌を口にして、着ていた蓑を横蔵に投げ与え、二人は再会を約束して別れとなります。
※「七重八重、花は咲けども山吹の~
は、太田道潅が雨に降られ、手近な家の娘に蓑を貸してくれと頼んだところ、その娘が八重山吹をさしだして、この歌を読んだんだそうです。 八重山吹は実をつけないので、”実の(蓑)ひとつだになき”(=蓑はひとつもありゃしないよ) とかけたわけです。 次の舞台は信玄の館。 大序で北条氏時と一緒に長尾・武田両家の滅亡をたくらんでた村上義清が上使として武田の館へやってきます。 信玄の奥方は勝頼と、恋仲の濡衣をひそかに逃がそうとしますが、義清に見つかり、勝頼は切腹。 ここへ諏訪明神から蓑作をつれて 板垣兵部が帰ってきますが、すでにとき遅し。 打ち落とした首を手に慌てふためく武田家をあざ笑いながら、村上義清は帰っていきます。 兵部はやけになり、蓑作をも切り殺そうとします。そこにそこに信玄が(ようやく)現れ、兵部を切り殺します。 ここで、兵部がお家乗っ取りをたくらみ、生後間もない勝頼を自分の息子と取替え、本物の勝頼は里子にだしていたことが 明らかになります。 信玄は兵部がしたことを知りながら、逆に勝頼の身を守るには好都合、と、取替え子に気づかないふりをする一方、 兵部が里子にだした実子(=蓑作)の行方もチェックし、既に親子の対面を果たしてたりします。 そして、信玄の命で、勝頼は諏訪法性の兜を長尾家からとりかえすべく、蓑作のふりのままで、濡衣と一緒に長尾家を探りに旅立ちます。 ここは歌舞伎では「勝頼切腹」と呼ばれる部分です。 この蓑作(実は勝頼)と濡衣の薬売りに化けての道行きが、四段目の最初の「道行似合の女夫丸」になってます。
この辺は三段目にあたります。「筍堀」と呼ばれる場面です。
この段で、初段・二段目の伏線がバリバリに生きますが、結構、複雑なお話になります。 最初は身代わりしようとした男の周辺話から始まります。 最初の舞台は甲斐と越後の国境の桔梗が原。 やってきた農夫の慈悲蔵は親への孝行で兄の子:次郎吉を自分の妻:お種に育てさせるため、 桔梗が原に愛児を捨てていきます。 この捨て子を見つけたのが、甲斐の国の執権 高坂弾正と、越後の執権 越名弾正。 というW弾正。 その捨て子につけられてた名が、あの有名な軍師「山本勘助」というので、二人はそれぞれ自分が引き取るとゆずりません。 結局、それぞれの奥さんの乳房をだして、子供が吸い付いた方が引きとる。 という 子供のことを考えてるんだか、奥さんのことを考えてないんだかわからないような決め方で勝負した結果、甲斐の高坂夫婦に軍配があがります。 次の舞台は、さっき名の出た山本勘助の住居。 山本勘助はすでになくなっており(~1561年)、今の住人はその未亡人(後家)の老母:越路と遺児二人。 この遺児の兄の方が、二段目にでてきた横着者の横蔵。 弟はさっき桔梗が原で子を捨てた慈悲蔵です。慈悲蔵は兄と違って親孝行な息子。 しかし、老母は横蔵をかわいがり、慈悲蔵には冷たくあたります。 (歌舞伎の本によると、老母は女ながらも亡夫の名を継ぎ、その名を今度は二人の息子どちらに継がせるか、悩んでる女性になってます。 よって、「勘助」の名を横蔵に、秘伝の1巻を慈悲蔵に与えたのは母ということになってます。 ) その家に長尾の嫡男:景勝が訪れ、諏訪明神で会った自分とよく似た顔の横蔵を家来にしたいと申し出ます。 次に、景勝と入れ替わりに、先ほど桔梗が原の捨て子の養育権を勝ち取った高坂弾正の妻:唐織が、 その捨て子を慈悲蔵に帰しに来ます。 慈悲蔵の妻:お種は喜んだものの、慈悲蔵は老母の命に従って断り、唐織を締め出します。 閉め出しを食らった唐織は、子供を雪の振る門口において立ち去ります。 ところが慈悲蔵は門に鍵をかけ、老母に言われた筍を堀りに裏の藪に向かいます。 (っていっても、今、冬なんで、もちろんとれるはずありません。) お種はわが子かわいさに門の戸を破って子供を抱き上げますが、その時、 不意に飛んできた手裏剣で、慈悲蔵の子供は、短い一生を終えます。 今度は裏の竹やぶに舞台が移ります。 あるはずもない筍を掘る慈悲蔵は、山中に何かが埋まっているのに気がつき、掘り出そうとしたところへ横蔵がやってきます。 二人は、大喧嘩の末、その箱を掘り出します。 そこへ今度は老母がやってきて、「景勝の家来になれ」と死に装束を横蔵に突きつけます。 ところが横蔵は、なんと自分の左眼をつぶし、面体がかわったから、もう影武者には使えまい という戦略をとります。 ここで横蔵に関する謎解きがあります。 ・実は横蔵は以前から武田信玄に使える身であったこと。 ・実は初段で賎の方を誘拐したのも、この横蔵であったこと。 (賎の方の誘拐は、足利家の安泰をはかる信玄の指図でしたことでした。) つまり、老母が慈悲蔵の妻に育てさせようとしていた 横蔵の子供:次郎吉こそ、 誘拐してきた賎の方が産んだ子供、松寿君だったわけです。 ちなみに賎の方が、産後に亡くなったため、乳のない次郎吉の養い親に慈悲蔵の女房を選んだわけです。 なお先ほど兄弟げんかの末掘り出したのものは、足利の白旗でした。 そしてここでもう1つ、今度は慈悲蔵の謎解き。 ・慈悲蔵は、長尾の家臣で、大序にでてきた直江山城守でした。 直江というのは、母方の姓のようです。 このことも承知している横蔵は父の名「山本勘助」を名乗り、軍法の秘書は弟に譲り、次は敵味方、戦場で と別れるのでした。
※この雪中の筍堀が、タイトルの「廿四孝」の由来となってます。 元は御伽草紙の「二十四孝」という、中国の24人の孝行話です。 このうち、孟宗という人の、冬場に筍をたべたがる病気の母親のため、雪の積もる竹薮で孟宗が祈ったところ、筍が生え、その筍を食べた母親は元気になった。 という話がこの「廿四孝」につながったようです。 さて、ようやく、この後が、おなじみの四段目「十種香」「奥庭(狐火)」になるわけですが、歌舞伎でよくやる八重垣姫と蓑作(実は勝頼)との なんやかやの場面の前に、ひとつ、「狐火」の後の話につながる伏線を含んだ展開があります。 四段目の「謙信館景勝上使の段」と「鉄砲渡しの段」です。歌舞伎では「鉄砲渡し」と呼ばれる場面です。
場所は 「十種香」と同じ謙信の館です。
大序と初段で活躍の手弱女御前と若君(これは三段目にでてきた松寿君です)が謙信館に迎えられています。 そこへ、嫡男の景勝の首を受け取りに上使が到着します。ところが、この上使が 当の景勝本人。 その景勝に「倅の首を出せ」詰め寄られ、当惑する謙信を見て、景勝が切腹しようとします。 そこに花造りの関兵衛という老人が現れ、自分は何度切っても花を生かす方法を知っている。と蓑作(実は勝頼)を謙信に 見せます。これを見た謙信は関兵衛と蓑作を自分が召抱えようといい、上使としてきた景勝には、追っ付け返事をすると対応します。 謙信は関兵衛と二人になると、初段で預かっていた将軍殺害の凶器の鉄砲を関兵衛に渡し、この新しい武器のの使い方を知るものこそ、 犯人につながるとして、その詮議を関兵衛に任せます。 このあと、やっとおなじみの「十種香」「奥庭(狐火)」になります。 「十種香」
これは四段目の後半になります。 謙信の娘:八重垣姫は、婚約者、武田勝頼の回向に余念がありません。 そこに 勝頼そっくりの花造り(=植木屋さん)の蓑作を見かけたもんだから、びっくり。 女の直感は恐ろしいもので、蓑作が実は勝頼と見極めた八重垣姫は蓑作にせまります。 そこに父親:謙信が出てきて、蓑作を使いに出し、その後から追手をかけて殺そうとします。 おまけに ダメだしにもう1人追手もかけます。 それを知った八重垣姫は、気も狂わんばかり。 謙信が濡衣を女スパイと見抜いて捕らえるところで幕となります。 「奥庭(狐火)」
八重垣姫が、勝頼を助けたい一心で、諏訪法性の兜の霊力に助けられ、勝頼に追いついて知らせるべく 氷の張る諏訪湖を渡っていく というお話です。 さて、今度は気になる「奥庭(狐火)」の後です。 これが四段目の最後の段で「道三最期の段」、歌舞伎では「見現し」と呼ばれる場面です。 この場では、「十種香」の最後に女スパイとして謙信に捕まった濡衣の気になるその後がわかります。
先ほど 謙信より鉄砲を渡され、犯人の詮議を頼まれた花造りの関兵衛は、奥庭に忍びこんでいました。 そして、同じく奥庭にいた手弱女御前を、鉄砲で狙い撃ちします。 その鉄砲の音に雑兵が討ち取ろうとするのを 悠々と交わして、関兵衛は御殿の方に戻って行きます。 館に忍びいった関兵衛を、今は山本勘助と名を改めた横蔵が「斉藤道山」と名指しします。 しらばっくれる関兵衛ですが、山本勘助は、二段目の諏訪明神で太田道潅の歌と共に受け取った蓑をだし、 和歌の『みの一つだになきぞ悲しき』とは足利に攻め落とされて美濃を取られたその鬱憤。 つまり、将軍を鉄砲にて打った理由。美濃国の道三と証明する簑は身の破滅。 最前使った鉄砲の使い方を知っているのは貴様1人。 と 道三を追い詰めます。 道三は、よくも見破ったといいながら、さらに、手弱女御前も殺害したことと、 将軍の跡継ぎの松寿を人質にし、長尾・武田の両家も滅亡させる計画を明かします。 しかし勘助も負けていません。 松寿君といってこの館に来たのはここに来てるといったのは自分、 さらに、さっき道三が鉄砲で撃ったのは、道三の娘の濡衣(!)だというのです。 やけになった道三は大暴れしますが、最後は謙信の放った白羽の矢が目にささり、観念した道三は その矢を引き抜き自分の腹に突き立てます。 そして、企ての張本人が北条氏時であること、さらに氏時の小田原城を攻める秘策を教えて息絶えます。 その後、謙信は諏訪法性の兜を 武田家に返し、八重垣姫と勝頼はめでたく結婚しましたとさ。 ・・・濡衣、むちゃくちゃかわいそうな最後です(-_-;)。 多分、生きて武田に返してはもらえないだろうとは思いましたが・・・ ◆Notariと本朝廿四孝 2005年3月の国立劇場の通し公演 →感想のページへ 「十種香」「奥庭」の前に、二段目の「勝頼切腹」と四段目の「道行似合女夫丸」がつきました。 八重垣姫に時蔵さん、勝頼に愛之助さん、濡衣は孝太郎さんでした。愛之助さんの蓑作・勝頼の二役がなかなかよかったですし、 孝太郎さんの濡衣も、話の流れがわかってるのことも合わせて、いままでより艶っぽくみえました。 この公演は見ました。「十種香」「奥庭」以外は初見でしたが、「勝頼切腹」がつくだけで、「十種香」の背景がよくわかり、見ててわかりやすい気がしました。 1999年11月の国立劇場の通し公演 「十種香」「奥庭」の前に、三段目の「筍堀」が付いたやつです。 復活狂言として当時話題となり、観にいこうと思いましたが、見損ねました。 今、思いだすと、とてもくやしいところです。 2002年11月に歌舞伎座 「十種香」「奥庭」のみでしたが、「十種香」の八重垣姫を雀右衛門さん、「奥庭」の八重垣姫を人形振りで芝雀さんがされたものです。 初めて人形振りを見たのがこのお芝居でした。 ・・・正直、このころはあまりお上手とは思えませんでした・・・ ◆ここから広がる歌舞伎の世界 【三婆】 三段目に出てくる老母、越路は、「三婆」のおひとりです。 他のお婆サマは ・「菅原伝授手習鑑」(道明寺)の 覚寿 ・「近江源氏先陣館」(盛綱陣屋)の 微妙 となっております。 が、この「本朝廿四孝」の越路の代わりに、「信州川中島合戦」(輝虎配膳)にでてくる越路を 数えることがあります。 この「本朝廿四孝」の越路と「信州川中島合戦」の越路は 同一人物です。多分。 「輝虎配膳」は輝虎=謙信が、長尾家の執権、直江山城守の妻で、山本勘助の妹である唐衣を母に会わせるという口実で 勘助の母、越路を館にまねき、山本勘助を長尾家の味方につけようと計画する というお話です。 ちなみに「唐衣」は、「本朝廿四孝」では、甲斐の執権、高坂弾正の妻の名前として、てできます。 ただ、近松作のこのお話の方が「本朝廿四孝」より先に出来てたようです。 ★この演目、2005年歌舞伎座で上演予定あり 【三姫】 四段目にでてくる八重垣姫は、「三姫」のひとりとして有名なお姫さんです。 三姫 他のお二人は、 ・「祇園祭礼信仰記」(金閣寺)の 雪姫 ・「鎌倉三代記」の 時姫 となっております。 【三女房】 「三女房」というのは、あまり聞かないのですが、「本朝廿四孝」の三段目に出てくるお種が この1人に入ってます。 その他のお二人は、 ・「吃又」の お徳 ・「義経腰越状」の 関女 といわれています。 ・・・「三婆」「三姫」「三女房」制覇してるの、この「本朝廿四孝」だけなんですね。すごい! ◆参考文献 ・山田 庄一(1990年) 『文楽』(伝統芸能シリーズ) ぎょうせい 326 p ・和角 仁(1990年) 『歌舞伎 』(伝統芸能シリーズ2) ぎょうせい 334p ・渡辺 保(1982年) 『歌舞伎手帖』駸々堂 ・佐藤孔亮(1999年) 『歌舞伎にみる日本史』小学館 127P ・和角仁/樋口和宏(1994年) 『歌舞伎入門事典』雄山閣出版 ▲このページトップに戻る ←白州~おしらす~【調べ物】へ戻る ←頂上~てっぺん~【ホーム】へ戻る ジャンル別一覧
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