高校生の頃、私は新聞部だったのだが、珠洲市の老先生に寄稿していただいた記事の中に「新しい伝統を創れ」という内容があった。
当時の私には、その意味が分からなかった。が、その分、不思議な内容として受け止め、その言葉はずっと記憶の中に生きていた。
手描きロウケツ藍染め絹ストール 『木蔦』
古くからの形式や昔から伝わっている価値観、文化など伝統という言葉を頻繁に目にするが、単に慣習や伝承と言う場合と伝統には大きな違いがある。
伝承は伝えられているもので、過去のままでも良いだろう。だが、伝統は(様々な解釈があっても)『統べられてきた』勝者の理論だ。途切れたり廃れてしまった内容を伝統とは言わない。
極端な例だが、甲子園常勝校には伝統があると表現する。しかし地方予選一回戦に敗退する高校には、その伝統があるとは言わない。一回戦に敗退の高校が悪いというのではない。「伝統を誇りたいならば」常に勝たなければならないだろうし、不祥事を起こすと伝統を穢(汚)したとさえ言われてしまうものでもある。
器でも染め物でも何であっても、時代を超えてきた伝統を誇るならば、今の時代に使われる魅力を生み出さなければ次の時代に繋げられることは無い。廃れたとき伝統は滅び、過去の遺物となるだろう。
15年前に小学生の前で「統」の言葉を読めずに焦った私は、その時こう言って授業を締めくくった。「伝統にも始まりがあったのです」と。
そして私は高校の新聞部の、あの時の先生と同じ年代になった。当時17歳ほどの私は、まさか自分が染色や着物の仕事をするなどとは、夢にも思っていなかった。
今、古い草木染めにも染め方の工夫を重ねて、新しい表現を探している。自分の仕事が伝統であるかないかは、どうでも良いと思うが、新たな魅力を創り出したい、という想いで仕事をしている。
もっと的確な作業の方法は無いか?他の考え方はないのか?と、繰り返す日々。腰の痛みを抱えながら明日は再びロウの仕事だ。若い頃には出来なかった藍染めのロウケツ技法が、工房で栽培している藍を使って可能になってきた♪
珠洲の先生の言葉を聴いてから45年の時間が過ぎて、混沌としていた頭の中が、少しは「統べる」ようになったのかもしれない(^^) |
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