丘へ続く坂道は先祖の墓所へと続く。その坂の土を板で留めて階段を作って40年ほどが過ぎたけど、もう私の右肩と腰は杭を打ったり、坂道に土を運んだりはできなくなった。土地の所有者の世話人さんに話し許可を得て、コンクリートの階段にすることになった。
きっと世話人さんにとって最後の仕事になるだろうし、私のお世話も最後になるだろう。そして、階段の仕事をしてもらう職人さんも80歳を超えた二人、これが左官職人として最後の仕事になると言った。
久しぶりに晴れた冬の一日、これが丘への道、最後の仕事になった

この助っ人は、まだ若くて最後の仕事ではないが(^^

私は工房の2階から記録写真を撮るのが仕事(^^;

この地でも数少なくなった左官職人さんは二人とも80歳を超えている

最後に表面を仕上げていく、お疲れ様でした

『大工左官』は年末のお祭りになっているけど???日本は職人さんを育てる国じゃなくなって久しい。日本の職人の技術は海外から憧れられていたけど、受け継ぐ仕事もなくなり、育てられる環境でもなくなった。
丁寧なモノづくりを誇れる国から消費と物流の国になり、情報と観光立国になろうとした日本。過ちを認めない総理が続き、コロナに振り回されて年末を迎える。この国の美しいものとして、誇れるものは、いったい何だったんだろうか? | |