見えなものを描く(その2)
「化粧の匂い」若い頃、京都にいて会社の仲間と足繁く美術館へ通った。大正ロマンなどが盛り上がっていた頃、甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)の作品に足が止まった。甲斐庄楠音研究室絵には大正デカダンスの不気味さと妖しさがあった。友達は「趣味が悪い」と嫌がった。確かに飾って楽しい雰囲気ではないし決して美しいといえる絵ではなかったが、私はその毒々しいともいえる空気の中に魅かれていった。妖艶な女性像から「化粧の匂い」「体臭」までもが感じられた。絵を学ぶ過程では、たいがいの人が女性像を描く。ヌードデッサンやクロッキー教室に通うパターンも多い。私もやっぱり女性像を描いた(笑そして、パソコンでもやっぱり描いた(^^いや、図案を描くため色々な表現技法を学ぶのには、女性像はうってつけなのだと説明する(爆)が、説明すればするほど墓穴を掘りそうだ(^^CG初期(2001年ごろ)に描いた女性像「化粧」昨年(2006年7月)CG展を開いた折りに見に来てくれた女性が言った。「あっ、いやらしい絵」「・・・」「妄想を掻き立てるわ」・・・あのね~(--;)ここは一言、きり返すしかない。「それは見ている貴方に妄想があるんじゃない?」「あはは、絵は妄想を掻き立てるくらいが良いのよ」・・・私が口で勝てる相手ではない(^^;)この絵が「出かける時の化粧」か「帰る時の化粧」かの話題になる。すると、必ず「帰る時」という答えになる・・・(なんのこっちゃ(笑))私は単に化粧する姿を描いただけ(嘘)だったのに、「物語」が勝手に作られていく。「待つ女」 「帰る」 たぶんタイトルが問題だ・・・どうしても意図的に妄想を引き起こそうとしているとしか思えない(笑)だが、女性像を描くにつけ、つくづく思うのだった。化粧をする「姿」は描くことができるけど、今のところ化粧の「匂い」は描けそうもない。・・・。やっぱり「化粧の匂いがする絵」を描くには、私の「修行」が足りなかったんだと思う・・・。