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カテゴリ:農村力を考える
今回の、緑のふるさと協力隊隊員は、
なかなかの名文家です。 そして、今回の彼のブログに、すごくいいことが書いていたので、 紹介させていただきます。 ・・・・・・・以下引用・・・・・ 僕が農村に来た理由の一つに、こんな経験がある。 そのとき、僕は福島県の鮫川村というところにいて、 地元のじいちゃんと並んで森を見ていた。 林齢(森の年齢)が若い森を見ていたんだ。 そしたらじいちゃんが、「この森はあと100年か150年で一人前だな~」って、 フツーに「明日は晴れだなー」みたいな口調で言った。 人間一人の人生をかるーく飛び越えて物事を捉えていて、 それが"普通"って事のすごさ。ショックだった。 「持続可能とか、不可能とかじゃなくて、続いてくんだから、そんなの。 で、どうするかだよねー。」みたいな構え方。 伝わるかな、もう考え方じゃない。脈々とそこに在りながら、 むちゃくちゃに新しい。ふわ~って、変なため息が出た。 若くて、自分の考えがまだグズグズと振れ幅が大きいうちに、 農村で学ぶ必要があるんじゃないか。大学で都市緑化を勉強していた僕は、 だんだんとそう思うようになった。そんで今、ここにいる。 で、さっきの話に戻るんだけど、そんな遠い目を持ちたくて来たはずなのに、 僕は今までより先を見なくなってる。 今を見る"って言うほどに物事を捉えられてはないけど、 なんだか日々重ねていく感覚が強まってる。 それがどういう事なのか。今日少しだけわかった気がする。 たぶん、農村の文化は織っていくことで、やっと存在してる。 一つの生きざまはその縦糸と横糸の重なった、たった一山でしかなくて。 その時代とその地域の一山は、それまでとそれからを繋いでる。 その織物の存在をつかめれば、実際に遠い目を持つことになるんだ。 個人の経験則に拠った未来とは異質の、経験的な未来を見通す目。 それにはやっぱり、自分なりに営みを積み重ねていくしかないんだと思う。 それは、得るんじゃなくて"あとでそれに気付く"に近くて、 身に付けるよりも"湧く"に近い感覚なんだ、たぶん。 そんな目でいろいろなものを見てみたいなぁ。 そんな感覚でモノゴトを捉えてみたい。 という内容。 彼はすでに「農村力」の本質を感じとりはじめているようです。 人一人の存在を超えていながら、人一人に受け継がれている 大事なもの。 こうしたものを、「無価値」だと決めつけて捨ててきた今の社会は、 本当に健全なのか? そういう意味で、わたしたちは、社会の根本原理を、意識して いかなければならない時期にきているのではないでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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