農哲学院@貊meak美深農苑の日誌

2009/01/04(日)22:17

今年度の活動記録4

農苑より(59)

 ~8月30日(土)~ 「差」 運動会で始まったこの週。ローリーの活躍のおかげで、 本当に無事に終えることができた。 そして、ようやく我々がどういう人物かということを少しは理解してもらえたのかもしれない。 とにかく今週は晴れた日は白菜植え一色だった。 月曜と火曜は3時間だけだったが知的障害者施設のぞみ学園の皆様に手伝ってもらって 今週は3000株弱を植えることができた。 そして、水、木、金は天候があまりよくなく、少雨では白菜植えを続行したが、 それ以外ではセンターの中でニンニクの種を一つづつに分ける作業を行っていた。 白菜の植え方は、最初は小さい移植ゴテで穴を掘って、苗を入れるというやり方だったが 次第に剣底スコップでザクッと穴を掘って、そこに苗を植えていくというやり方にかわっていった。 どちらが良いのかというのはまだ結果が出ていないが、スコップで穴を掘ったほうが 植えやすくなるし、土を少し起こすことになって根を伸ばしやすいのではないだろうか。 白菜畑(先週紹介した、白菜・ニンニク・ダイコンを植えた1反弱の地面)で先週植えていた白菜の成長にだいぶ差が出てきた。 もうデカくなっている白菜は一日一日その成長ぶりがわかる。 どうしてかははっきりつかめないが、 1、 笹の勢いが強すぎるか、他の草とのバランスがよいか。 2、 植える際、少し広めに土を掘っていた。 3、 生ゴミ堆肥を植える時に穴に入れた。 成長が良いところと悪いところの差は以上のようなことが考えられる。     左 笹と牧草が入り混じって生えていた所は成長が良い。   右 完全に笹わらだったところに植えた白菜  笹の下の地面は非常に肥えてはいるが、どうやらその根が張りすぎていると他の植物の成長を著しく阻害するようだ。 反面、適度に笹と牧草が混ざり合っている地面では、まだ他の植物の入る余地がある感じがする。 どちらにしても、笹を丁寧に刈って、レーキなどで一度笹をどけた後、もう一度刈ってやるという二度刈りをしてやることだ。 しかも、表土が見えるくらいまで刈ってやらなければならない。 そして、植えた後には必ず草わらをかけてやること。 移植の際、堆肥を穴の中にいれた畝では、全部ではないが調子が良い。 白菜の土作りの際、生ゴミ堆肥を混ぜ込んだが、 結局当初いわれた葉が焼けるのではという心配にも関わらず、 たしかに多少腐ったような株もあったが、大部分はしっかりと育ってくれた。 なんとあの狭い空間の中に巨大ミミズがいるくらいなのだから。 堆肥には思ったほどの「枯らす力」はないのかもしれない。 何が良い、何が悪いというのは人間サイドの見方であって、 植物にとって心地の良い環境になる為の手助けをするという気持ちが大切なように思える。 この堆肥すき込みも、多少おせっかいなのかもしれないが、 この地面、あまりにも牧草やら笹やらの勢いが強すぎて新人の入り込む隙があまりにも少ないように感じるので、ちょっと手助けをすることにした。 農業と自然との調和、というのはその言葉自体、実は矛盾している。 野菜を育てるということは、もうそれ自体で自然を破壊していることになる。 もっといえば、人間が生きるということ自体が自然を破壊する行為であるのかもしれない。 それなら、生きられないではないかと思うかもしれないが、 だからこそ、畏敬の念、そして申し訳ないという謙虚な心を常に自然(植物)に対して持って生きるべきなのである。 しかし、これが中々難しい。 今まで生きてきて付着してきた現代社会の種々様々な固定概念がいつもいつも立ちはだかってくる。 by Yasu

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