帰国へ。
ついについにお別れの時がきた。一つのことに集中できた幸せ。家族のように扱ってくれた幸せ。泥まみれになりまくれた幸せ。ここには数知れない幸せにあふれていた。完璧ではない。しかし、何かは残せた。そして、一番の大きな収穫は「自分」の発見。ここに来たことであきらかに心境は変化した。今後やるべきことの重要性がわかってきた。それは、一つところで留まっていてはわからなかったこと。一つの所に留まった水はやがて腐る。しかし、濁ったようにみえた水も流れがあれば、やがては透き通る。一瞬でもあの水のような存在になれたような気もした。何かに固執していた自分がいた。それが少しひっぺがされた。自分が生きていること自体が奇跡だと自信を持っていえる。「今を生きる」「今に集中する」そこから得られる限りないよろこび、うれしさ。他に何を求めるのか。何にもいらないじゃないか。Ugoと最後に田んぼを見に行ったとき、「あっちの方はもう草に覆われはじめているけど、収穫できるのか?君はあの草(ヒエ)でも食うのかい?」と笑いながら言った。笑顔で、「もちろん、あの草を食べるさ」と答えた。もちろん、今後も鴨をうまく活用したり、ある程度の除草をしたり(一応ルカがやる予定)と収穫ができるように努力はする。それはもちろん重要なことなのだが、実はそれが一番ではないような気がしている。では何が重要か。それはそこに残った思い、情熱、空気。それらは、いつかはそこに種をおろし、やがて芽を出すそして何かに変化する。それこそが僕の一番望むこと。とりあえず、どうなるかはわからないが、まだまだ十分ではないかもしれないができる限りの「思い」をあの田んぼには注ぎ込んだ。結果はどうであろうと、それはすでに完璧なことで後はその起きたことに対してどう智慧をもって対応するか。例えば、ヒエが育ちすぎたとしてもそれを収穫して商品化すればいいんじゃないかな。けっこうおいしいし。(もちろん、米が収穫できるに超したことはないのですが…)何をおそれているのか。何かを求めて、それに固執しすぎてでる我欲。それをみつけてちょっと解放してやる。そうすると、何にもない「空」な自分がみつかる。ここに来たことの一番の収穫はそれ。結局、世間体みたいなものに影響されて、こうならなければ駄目だとか恥ずかしいとかそういった心配やおそれが生まれる。でも、それは目で見える現象であるかもしれないが、それはたんなる表面的なことでしかない。どうでもいいこと。あることに思いを集中させる。ただただ、黙々と。それだけでいいんじゃないかな。別にとって食われるわけでもないし。(まあ、とって食われてもいいけど)そういう「思い」をどんどんどんどん出せる場を作る、そして、あの自分を見つける。それがなんだか大切なんだなと思えるようになってきた。言葉でしか理解しようとしない彼らにも少しはわかってもらえただろうか。とにかくも、うれしいことにNadiaとMaraが2人で空港まで見送ってくれた。最後に手紙ももらった。いつ戻るんだと何度も聞かれて「9月には戻ることを望んではいるけど…」と答えるのが精一杯。でも収穫の時には戻る予定ではいる。今回は火山灰の影響もなく、無事に飛行機は飛んでくれた。一旦、ロンドンに入る。懐かしいレストラン。人と人との交流の場。交差点。今回もなぜだかこのタイミングでスコットランドの二人と福井の遊さんに会う。別に選んだ訳じゃないけれど「思い」が集中する場のようだ。何ヶ月ぶりにあったかわからないけれどやっぱり一瞬のような気がした。巡り巡ってロンドンいただき繕レストラン。スコットランド、福井、イタリア、北海道…。それぞれの場でそれぞれの与えられた役割をこなす。各々の得意分野・個性を活かせる場所。そして引き出させてくれる場所。新たな自分を発見させてくれる場所。こんなに楽しい空間があってもいいのだろうか。さあ、北海道に戻りますか。Yasu