2020/09/25(金)00:23
貧乏農家の次男の父に恩人が2人。掴み取った人生
さすがに紅葉はまだネ!
一日中、小雨だったのでおうちで蟄居(ちっきょ)
ぬか床を作って、きゅうりとナス2本を漬けたり
バルサン焚いたので掃除をしてたらシンクの下の
大掃除になってしまったりと…
午前中はのんびりとしながらもバタバタと掃除を
済ませたわ。
父の事を書こうと思ったんだけど面白くないかもよ。
だって、面白く書けるんだったら作家になってるわ。
それでも書くわね。
父は褒められる事が何よりの御馳走だったから。
父とは血の繋がりがまったく無いの。父は子供を持った事が
無いので、手探りの子育てでお互いにギクシャクした部分が
あったんだわ。
今はすごく感謝してるの。
他人の子供を育ててくれるって凄くない?
感謝してもしきれないわ。そうは言っても私は年頃の頃は
物凄く反抗したの。
母の日記に「自分が先に死んだら夫とみるこは他人だから
心配だわ」って書いてあったわ。
たしかに、母が亡くなってからの10年間は関係が難しく
なちゃって。
それでも、父の生きて来た道をとっても尊敬してるので
書いてみたいな~
父は大正6年生まれで、存命なら100歳以上です。
菅総理と被ると思って書き始めたのですが全く違いました。
義務教育の尋常小学校を卒業して奉公に出される事になっ
てたのを…
勉強をさせたらドンドン伸びると才能を見抜いた校長先生が
自宅まで日参し、親を説得てくれ旧制中等教育学校に行ける
事になりました。㊟ 校長先生が恩人①
勿論、ぬくぬくと勉強だけをしてたのではなくて、農業も手伝
い、知恵を絞ってお金を稼ぐ事をしたようです。
たとえば、ドジョウを捕まえたり、海に行って漁師の捨てた
ザコの小魚をバケツにいっぱい拾って町に売りに行ったり、
野鳥をつかまえて手乗りにして売ったりと、頭と身体を使っ
て働きながらの学校生活よ。
成績は2番だったって。
1番は両親共に教師で恵まれた家庭の息子でその後、東京大学
を卒業して森鴎外の研究では有名な人みたい。
卒業後、上京して小さな薬問屋に住み込みで就職しましたが、
将来を考えるとこんな零細企業で使いっ走りをしてたんじゃ
ダメだと考えて国鉄(今のJR)の入社試験を受けたのよ。
不合格だったのが不服で人事課に乗り込んで抗議したら、
人事課長が「君のテストは満点だったけど保証人が居ないから
採用出来ないんだよな」って。
そこで父は図々しく、人事課長に保証人をお願いして見事自分
の手で合格を勝ち取りましたとさ。
昔はこんな事も一人の裁量で出来たのですね。良いような、
悪いような…今なら許されないわね。
そして、勤務態度を見ていた上司が「君は大学に行くべきだ」と
言って、国鉄職員のまま昼間の大学に行かせてくれたそうなの。
㊟上司が恩人②
何故法政大学?って聞いたら「授業料が安かった」からですって。
ここが、菅総理と同じなのよ。菅総理も働きながらって言うので
夜間ですか?と言う人がいるけど、昼間なのよね。
(今なら考えられないけれど)
ここまで書いたけど長くなるので今日はここまでね。
ナイショ話
父は二人の恩人のお蔭で思わぬ展開で出世していくんです(大卒で
なければなれない仕事で…)
人生って、いろいろな人に支えられてるのよね。
うん!支えあってるぅ~
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