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Nonsense Story

Nonsense Story

片岡家の災難 2


 「あたしじゃないからね! あたし、絶対こんなことしてないからね!」
 明代ちゃんはきれいに整えられた眉をハの字にして、涙声を出した。目は無惨に穴の開いた障子に注がれている。
「分かってるよ。誰もお前がやったなんて思ってないから」
 片岡の言うとおりだった。明代ちゃんの悲鳴が聞えたのは、彼女が帰宅してから一分も経っていなかった。これだけ散らかすには、とても時間が足りない。
「まさか空き巣かな・・・・・・」
 今度は、明代ちゃんは身震いをして、自分の肩を抱いた。
「いや、それはないだろう。抽斗をあけた形跡がない」
 片岡は箪笥の中をチェックし終え、続いて鏡台の抽斗を開けている。
 ぼくと赤松は廊下から呆然と見ていることしかできなかった。おばあさんの部屋の中はあらゆるものが散らばっている上に、ティッシュペーパーが被さっている。下手に足を踏み入れると、何かを踏んでしまいそうで怖かったのだ。
「お兄ちゃんは何時ごろ帰って来たの?」
「三十分くらい前だけど。・・・・・・って、まさか俺を疑ってるんじゃないだろうな」
 片岡は、縁なし眼鏡の奥の細い目を、更に細めて明代ちゃんを睨んだ。
「だって、この前、携帯電話没収されてたじゃない。だからそれを探しに来て・・・・・・」
「俺ならこんな馬鹿なことはしない。物を探しに来たのはお前の方だろう。今日はばあさんがお茶席の手伝いで六時までは帰らないから、この前取り上げられた竹中とやらの写真を探しに入って、この状況に出くわしたんじゃないのか」
「うっ。そっ、そんなこと・・・・・・」
 明代ちゃんはどうやら図星だったらしい。片岡とは対照的な大きな瞳をきょときょとと泳がせている。
「写真なんて焼き増ししてもらえばいいだろう。ばあさんの部屋に忍び込んで探そうなんて、怒ってくださいと言わんばかりじゃないか」
 片岡は呆れたようにため息を吐いた。「だいたい、あんなナヨナヨした奴のどこがいいんだか」
 それを聞いた明代ちゃんは、片岡を睨んで大声を張り上げた。
「なによ! 竹中先輩はお兄ちゃんと違って格好いいし、センスもいいし、スポーツだって万能なんだからね! お兄ちゃんなんて、ダサいし、ガリ勉のもやしっ子じゃない!」
 片岡は確かにガリ勉タイプだが、もやしっ子と呼ばれるほど貧弱そうには見えない。しかし、たかだか兄妹喧嘩くらいで彼に助け舟を出してやる必要もなさそうなので、ぼくは傍観を決め込んでいた。赤松も同様に静観している。いつもの彼女ならオロオロして「どうしよう」と訊いてきそうな展開だが、喧嘩の当人同士が兄妹なので、あまり不安に思わないのかもしれない。
「じゃあ、この部屋の始末はお前が一人でするんだな」
 興奮する明代ちゃんに、片岡は冷ややかに言い放った。
「なっ・・・・・・。あたしがやったんじゃないもん! あたしのせいにする気!?」
「でも、疑われるのは俺達のどちらかだ。そして、こんな馬鹿なことをするのは、ガリ勉の俺じゃなくチャランポランなお前だと、ばあさんの中では相場が決まっているだろう。俺が何も言わなくても、自動的にお前のせいになる」
「そんなのずるい!」
 明代ちゃんはそう言って、ドンッ、と思い切り足を踏み鳴らした。その途端、「ギャッ」というカエルが潰れたような声がして、ティッシュペーパーの海がいきなり波打った。
「わっ」
「きゃっ」
 片岡兄妹が同時に悲鳴を上げ、その場から飛び退く。ぼくと赤松も息を飲んだ。
「あ、猫!」
 舞い上がったティッシュペーパーの下を凝視して、赤松が小さく叫んだ。その声が聞えたぼくも、彼女の視線の先を追う。
 そこには、ティッシュペーパーと同じくらい白い猫が、長い毛を逆立ててぼく達を威嚇している姿があった。
「なんで猫が・・・・・・」
 片岡が幻覚でも見たように言って、毛足の長い猫を抱き上げた。猫は、シャーッと蛇のように口を開けて、手足をめちゃくちゃに振り回していたが、片岡に押さえ込まれて大人しくなった。
「かわいー! ペルシャ猫かな」
 明代ちゃんは目を輝かせている。
「犯人はその猫だな。お前ん家の猫じゃないの?」
 ぼくが訊くと、二人は同時に首を振った。
「うちは動物禁止だ。きっと、どこかから忍び込んだんだろう」
「じゃあ良かったじゃん。これでお前らのせいにならなくて済むし」
 ぼくは二人が無実を証明できることを喜ぶかと思ったのだが、彼らは顔を曇らせた。
「まずいな。この猫、ばあさんに見付かったら、ただじゃ済まないぞ」
「こんなにかわいいのに、可哀相」
 明代ちゃんはまた涙声になっている。
「可哀相って、その猫、おばあさんに見付かったらどうなるの?」
 二人の様子にただならぬものを感じたのか、赤松が不安そうに訊いた。
「これだけのことをしてるからな。ただ捨ててくるだけじゃ済まないだろうな」
「保健所に連れて行かれるか、川にでも投げ込まれるか・・・・・・」
「でもこいつ、なんか高そうじゃん」
 近所の飼い猫かもしれないと、ぼくが明るく言うと、二人はまた同時にキッとぼくを見据えた。
「お前はまだ、ばあさんの本当の怖さを判ってない」
「おばあちゃんはね、小動物が大ッ嫌いなの」
「そして、いい意味でも悪い意味でも差別はしない。ばあさんにとっては、血統書付の高価な猫も、そこらへんの残飯を漁る野良猫も、みんな同等に『汚らわしいもの』なんだ」
「そう。『家を汚す悪魔』なの。猫だけじゃないよ。犬もハムスターもうさぎも、みーんな嫌いなの。子猫や子犬でも、ほうきで蹴散らそうとするんだから」
「どっかの飼い猫でも?」
 ぼくの問いかけに、片岡は大きなため息を吐き、明代ちゃんは目から大粒の涙をこぼし始めた。
「飼い主がすぐに見付かればいいけどな。すぐに見付からない場合は・・・・・・」
「可哀相だよぉーっ」
 言葉を濁す片岡に代わって、明代ちゃんが威勢よく泣き声を上げた。
「明代ちゃん、まだどうなるか決まったわけじゃないんだから、そんな泣かなくても。ね。まだ、おばあさんにも見付かったわけじゃないんだし」
 ぼくが慌てて明代ちゃんをなだめにかかると、彼女はすぐに涙を引っ込めた。
「そうか。まだおばあちゃんに見付かってないのよね。要はおばあちゃんに見付からなきゃいいんじゃん」
 明代ちゃんは嬉しそうに顔を晴らすと、良かったねー、猫ちゃん、などと言いながら、猫の頭を撫でた。泣いたカラスがもう笑ったとは、小さな子供だけでなく、少し成長した子供にも見られる現象らしい。
「この状況はどうするんだよ?」
 ティッシュペーパーと猫の毛、そして破れ障子紙の舞い踊る部屋を見回して、片岡が嘆息する。
「そんなの、あたし達で元通りにするに決まってんじゃん!」
 明代ちゃんは高らかに宣言した。
 小さな命がかかっていると思うからか、仕方ない、と片岡が折れる。
「あのぉ、その『あたし達』の中には、俺達も含まれるんでしょうか?」
 ぼくは何故か丁寧語になっていた。
「手伝ってくれないの?」
 明代ちゃんはまた目を潤ませた。この子の涙腺は、水道の蛇口のように調節ができるらしい。
「悪いけど、猫助けと思って手伝ってくれ」
 片岡はそう言って、襖を隔てた隣室に入っていった。それに続いて、猫にミルク入れてあげる、と明代ちゃんも四畳半を後にする。
 ぼく達二人だけになると、赤松が小さく訊いてきた。
「あのぉ、その『俺達』の中には、わたしも含まれるんでしょうか?」
「他に誰がいるの?」
 ――午後四時四十分。共犯関係成立。


つづく



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